それでも彼は変わらなかった。
うろたえる事もなく、ヤケを起こすわけでもない。
ただいつものように空を見上げ、いつもの場所でいつものように地に腰を下ろす。
そして持ってきたカップに、コーヒーを注ぐのだ。
その黒いはずの水面は、空の月を映し白一色に染まる。
いつだったかコーヒーに星と月を浮かべたときは、角砂糖と同じ大きさだと笑い、その白い穴に落とすよう砂糖をゆっくりと沈めたものだった。
今はもう、星を映すことはない。そして空にも、星の居場所はなかった。
「よっ。最期の日にも天体観測かよ」
「あぁ、上二。君も抜け出してきたんだ」
「まぁな、避難所なんて退屈なトコ居られねえよ。それにやっぱ家の方が落ち着くからな」
やってきたのは彼の友人、神宮前上二。
にこやかに声をかけるが、その実平静を装うのに必死な事を見抜くのは、悪友にとって簡単だった。
そして彼の言葉通り、この場所は彼の家である神社の一角だ。
「あの地下都市なら、退屈はしないと思うけどな。ま、僕にとってはここの方が数倍刺激的さ」
「そうかい。隣、いいか?」
ただ短く「どうぞ」という返事に、上二はどすりと腰を下ろした。
そして、持ってきたコンビニの袋からビールを取り出し、缶を開け一気に流し込む。
はぁ……と息をつくと、少し間を開け恐る恐る疑問を投げかけた。
「なぁ、お前はさ……、地球滅亡の日どう過ごすんだ?」
「そりゃ、やりたい事やるでしょ」
「それが……、これか?」
「そうだね。ま、滅亡しなくてもやってるけど」
たしかに違いねえ、といつもなら笑うところだが、今の上二は何も言えなかった。
「俺は……、立つ事さえできなくてさ……。ずっと避難所でぼーっとしててさ……。
でも、お前がここにいるんじゃないかって、心配になったら動けたんだ」
「へぇ、上二が僕の心配なんてね。明日は雪でも降るのかな」
「笑えねえよ。今日月が降るんだからな」
冗談めかしたからかいの言葉には冷たい返答だった。
それも当然だ。同じ出来事でも二人では見える景色は違うのだから。
しばしの沈黙。機嫌を損ねた訳ではなかったが、お互いかける言葉を見つけられずにいた。
その溝を埋めるように、天から小さな粒が降り注ぐ。
「ホントに降ってきやがったな、雪」
「いや、これは……」
かれは手のひらに舞い降りた粒を見つめる。
それは溶ける事なく、その手を白く染めてゆく。
「砂、だね」
「砂?」
「そう。月の砂が、地球の重力に引かれて落ちてきてるんだ。
……もうすぐ石も落ちてくるだろうね」
「石ってお前」
淡々と語るが、その言葉が示す意味を理解できぬ上二ではない。
しかし言葉の主は目を輝かせ、その時を楽しみにしているようだった。
「呑気に言ってる場合か! シェルターへ戻るぞ!」
「そうだね、上二は戻るといいよ。僕は落下地点に向かうから」
「は!? 何言ってんだよ!」
「ずっと、ずっとこの時を待っていたんだ。
きっと生まれてくる前からずっと……」
上二には彼の言葉が理解できなかった。
ただ一つ分かったことは、彼が月に狂っている……。
いや、狂わされていることだけだった。
「付き合いきれねえよ……。俺は戻る……から……」
その先は言えなかった。「一緒に行こう」ただその一言が出なかったのだ。
本当にやりたい事なら、やらせた方がいいのかもしれない。どの道助からないのなら……。
その諦めの思いが、言葉を阻んだのだ。
「それじゃ……」
「うん、またね」
次などありはしない。それなのに「またね」か。
その思いを胸にしまい、上二は降り続く白い光の中を歩き出した。
◇ ◆ ◇
所変わって地下都市の一角にある会議室。そこでは最後の会議が行われていた。
彼らにとっては二度目となる目前に迫った世界の終焉。しかし、それに対抗する気などなかった。
「乗り切れればよし、ダメならそれまで」
「ちょっと待って下さい! 打つ手なしなんですか!?」
進行役の三田爺の言葉に反論したのは涼河だった。カオリも彼と同意見だったが、先を越された形だ。
「俺たちにアレを止める術はない。星を砕く力も、受け流す力もない。
ま、んなもんあったら、すでにやってるっての」
「だからって、ここで何もせず待つって言うんですか!?」
「まあ、落ち着きなよセンパイ。これは君たちが来る前に話し合った結果なんだよ」
潔すぎる反応に、若干ヒートアップしかけた涼河を制止したのはセルだった。
その話し合いというのはカオリが覚醒する前、そして彼らが集結してすぐに行われたものだ。
それぞれに託された能力を確認しあい、今後を話し合った、こちらで初めての会議だった。
「ボクたちの能力は、強いものじゃないんだ。むしろ、舞台裏で糸を引くタイプばっかなの。
だからこそボクたちは、無理に事態を変えようとしなかったんだ。今までの行動もそうだったでしょ?」
「じゃあ、もしこの街が持たなかったら……」
「センパイは亜空間整備担当だからわかってると思うけど、かなり深層まで掘り下げてるよね。
だから、表層で衝撃を弱められれば、助かる可能性はあるよ」
「でも……、その方法がないんだよね……?」
弱々しく、震えるような声でカオリが核心を突いた。
その青ざめた顔は、最悪の事態を考えている事を表している。
「だから俺たちは待ったんだ。この世界の奴らが開花するのをな」
「そそ。これだけの人がいるんだから、そのうち強力な能力に目覚める人もいるだろうってね」
「そのために運営……。いや、今はM-RⅢ型機と言ったか。あいつらに覚醒者を監視させていたワケだ」
「そして、不測の事態には、ちづるん達が対処してたんだよ」
それに疑問を呈していたチヅルであったが、今ではもうやるしかないと覚悟を決めていた。
ならば何も意見することなどない。
「でも……、そんな他人任せな……」
「他人任せはどっちだ? この世界にとっては、俺たちの方が異世界人だ」
「それにこっちに来るときに言われたのは、“世界の混乱を鎮めること”だからね。
“世界を救って欲しい”とは言われなかったんだよ」
涼河もカオリも反論などあるはずがなかった。
当然、反論できるはずもない。“他人任せなのは自分たちだ”と己を恥じていたのだから。
「ま、心配いらないっしょ? なるようになるさっ!」
「逆に言えば、なるようにしかならんのだがな」
「ちょっと~? ジィちゃんってば!」
少し気を楽にさせようとしたセルに、三田爺は少しばかり意地悪をした。
彼もまた、そう決めておきながら不安に駆られていたのだ。
「それよりもカオリ、お前はここに来て大丈夫だったのか?
一人にさせないほうがよかったんじゃないか?」
「あ……。お兄ちゃんは……、あれから部屋に籠ってて……」
「熊なら385号に監視させてるから、大丈夫なんだぜ」
「うわっ!? いたんだ!?」
「呼ばれてないけどなんとやら、なんだぜ」
突然天井から降ってきた黄色いボールこと局長に、会議室の皆はビクついた。
神出鬼没、そして逃げ足だけは俊足のそれは、したり顔である。
あの時ただ一人逃げたことに関しては、戦闘力がないのだからと不問にされていた。
むしろ、レオン達への迅速な情報伝達は彼らのおかげだったし、なにより足手まといになった可能性もあったのだから、最善の行動だったと言える。
「朝から385号さんが来て、見ているからこっちに出てほしいって……」
「こっちの方が大事だと思ったから、派遣したんだぜ」
「でも今の話だと、もうやれることはないんだよね?」
「いや、俺たちは別件で動くつもりだ」
「別件……?」
三田爺は、カオリを思ってうまく帰らせようとしたようだった。しかし局長にそれは阻まれた。
彼は髭を触りながら、憂う表情でカオリに目をやる。たとえ今は違うとしても、主人であった彼女を危険に近づける事は避けたかったのだ。
「俺たちに対処できるものなら、それでいいんだが……」
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