彼、入福大介には理解できなかった。
突然どこからともなく「耳を塞げ」と聞こえても、一体それが誰の声か、何のためか、そして自身に投げられた言葉なのか。
一瞬の迷いが言葉に従う事を躊躇わせた。
しかし関屋雫は、彼の疑問の全てを理解していた。
それに従わねば危険が及ぶ事も、そして彼の反応が遅れたことも。
「大福君! ごめんっ!!」
「えっ……?」
その直後彼の視界は闇に覆われた。
突然の暗闇に混乱するが、顔に感じる温かみと柔らかさ、そして石鹸の香りは拒絶したくなるものではなかった。
ただ力なく、彼は手にしていた剣をポロリと落とす。
そして訪れる衝撃、耳には「わっ」か「わん!」というような、何かの鳴き声が微かに届いたが、キーンという耳鳴りで何の音か、もしくは声なのかも知覚できなかった。
「けほっけほ……。江美ちゃん大丈夫? とくに耳」
「……大丈夫じゃないです」
「ははは、耳を塞ぐだけじゃダメか~」
「……そうじゃないです」
鳥かごのように編み込まれた竹の檻に入った二人は、周囲の心配をよそにあっけらかんとしていた。
その竹籠はゴーレムの腕が落ちる寸前、古市進によって編み込まれたものである。
雫の叫びがこだます時、彼はすでに最初の「竹www」を出現させていたのだ。
しかし先ほどの衝撃、腕だったものを破壊したのは、彼でも隣で重機を描く彼女の力でもなかった。
衝撃波、それは美沙の“声”だった。
雫の格闘技の能力が覚醒によって強化されたように、彼女もまたそのよく通る声を武器として使えるまでになっていたのだ。
だがそれは、あまりに暴力的で、無差別な攻撃であったために雫に使用を禁じられた。
それが今、彼女らを襲った巨石を砕き救い出したのだが、ついでに魔物の大半を蹴散らしたのは、美沙も想定していなかっただろう。
しかし、江美が問題視しているのはそこではなかった。
彼女の見つめる先……、いや、睨みつける先が問題だったのだ。
それに気づいた美沙は、その視線の先を辿る。
そこには雫と、そして大介が居た。
雫は両手で自身の耳を塞ぎ、そして器用にも二の腕で大介の耳を塞ぐ格好で。
その姿は、正面から大介の頭を抱きかかえる形だった。
つまり彼の顔に、高校時代胸囲ランキング上位の彼女のそれが覆いかぶさっていたのだ。
「まっ!! 雫ったらダイタン!!」
「…………」
近所のオバさんが、うわさ話にニヤけるような顔をする美沙の隣では、誰にも聞こえないほどの小声で呪詛の言葉を続ける江美が居た。
もしかごの中の鳥でなければ、今すぐに一撃お見舞いしていただろう。
しかし、呪詛を唱えるのは江美だけではなかった。
もう一人の彼女の場合は、声ではなく筆に呪詛を乗せたのだが。
そんな事もつゆ知らず、彼は冷静さを取り戻したのか暗闇に抵抗を始めた。
「もがもが……」
「あっ、ごめんね、苦しかったよね!」
「いっ、いえ、大丈夫ですっ!」
腕から解かれた彼は瞬時に状況を理解し、ばっと二歩ほど後ずさりしながらも、失礼のないようにと早口で言う。
その顔は、月明りでも分かるほどに真っ赤だったが、直後に青ざめる事となる。
彼が目にしたのは、高速で回転しながらも一直線に自身へと向かい来る三又の槍、トライデントの姿だった。
またもや敵襲かと咄嗟に動き、脇腹を掠める槍を見事な反射神経で避けた。
「……チッ」
「ちょっ!? 朝倉!? 今のお前か!?」
「…………」
彼女はいつも通り何も答える事はない。だがその黒い笑みが十分な返答だった。
難を逃れた彼だったが、その後ろで巻き添えを食らったスケルトンが数体いたことを、この場の誰も知る事はない。
そんな険悪な二人をよそに、雫は美沙達のもとへ駆け寄り、竹の籠を引きちぎり二人を抱きしめた。
「よかった……、よかった無事で……」
「あー、さすがにアレはダメかと思ったね。でもこの竹? のおかげで助かったよ」
「うん、古市先生にお礼言わないとね」
「あっ! 爺ちゃん先生おひさ~! 助けてくれてありがと~!」
「いえいえ、無事で何より。それよりもですね、上を何とかしないと」
先生の指さす先、そこにはスライムでコーティングされたゴーレムが限界といった様子で、背で大地を支える様子だった。
そして太く編み込まれた竹も、重量に耐え切れずいくつもの節が破裂している。
もう猶予はない、それは誰の目にも明らかだった。
「江美ちゃん、まだいけるよね?」
「えぇ。もう一度集中しなおせば、なんとか」
「ちょっと待って、限界だったんじゃないの!?」
「ううん。今は集中してなくてもゴーレム達を維持できてるくらいに余裕あるの。
さっきから、スマホの通知が止まらなくて、ね」
「どういうこと?」
「私の力はバズるほどに強くなる。きっと今なら……」
大丈夫、みんなが居る。誰かの特別じゃなくても、今は一人じゃない。
みんながいるから、きっとまた怒ったり、泣いたりもするんだろう。
けど、だからこそ、もっと楽しいことも、嬉しいこともあるんだ。
その想いこそが力になる。
喜びも悲しみも、何もかもを混ぜ込んんで力に……。
自身の想いと、世界中の反応を編み上げ、文学少女は三度ゴーレムを造る。
「お願い……! みんなの想いに応えてっ!!」
声に反応し、ノートは輝きだす。
そしてスライムを纏ったゴーレムも眩く輝き、次の瞬間にはその姿を大地と同じく漆黒へと変えた。
五体の黒き巨石は、迫りくる天を押し上げ、唸りを上げる。
その姿に、地上の者たちは呆然としていた。
「はぇ~。すっごい」
「でもどうするの? このまま投げ飛ばせるとは思えないんだけど」
「んー……。江美ちゃんどう?」
「そこまでは……無理です……」
油汗を流しながらの返答は、彼女が限界まで力を注いでいる事を示していた。
しかしここまでやってきたのだ、せめて最後まであがいてやろう、その思いは共通だった。
「跳ね返せないでも、勢いは抑えられてるし、軟着陸できない?」
「まー……。でも、天井が落ちてくるようなもんだし、どの道ねぇ……」
「私に星を砕くほどの腕力があればよかったんだけど……」
「雫、それって瓦割りついでに、地球割りもできそうだよね」
二人は必死な江美を置き去りに意見を交わすが、これといった解決法は浮かばなかった。
そこへ案を出したのは古市先生だった。
「砕くのは無理でも、穴を開けてその部分に入るというのはどうでしょう」
「それいいかも! 街がすっぽり入る穴、あけられるかな?」
「ゴーレムの位置としては、街を囲んでるしできなくはないかもだけど……。
でも、そのあけた穴の土はどこにやるのよ」
「そんなの、その時考えればいいのいいの!」
「はぁ……。美沙は相変わらず適当ね。江美ちゃん、できそう?」
「やれるだけ……やってみます……」
他に方法も、ゆっくり考える時間もない。ならば行き当たりばったりでもやってみるしかない。
そうして再びゴーレムへと力を流す江美、それに従い天を支える者たちは、力強くその腕を支えるもう一つの大地へと突き立てた。
亀裂の入る白い天井に、その腕から黒いスライムが流れ込む。
ひび割れを広げ、そして割る。それが江美の取った掘削方法だった。
しかしそれは思わぬ結果を招く。
小さなヒビにスライムが入った瞬間、巨大な落下物の全体に、深い亀裂が走ったのだ。
そして、空を覆っていた白い月は幾多の破片へと変わり、それぞれが大地の重力に引かれ落ちる。
「みんな! ゴーレムの足元へ隠れて!」
魔物を寄せ付けぬよう戦っていた大介も、それに対して怒りの矛先を向けていた朝倉も、異変に気付き言葉に従う。
片腕の巨人は、主人とその仲間を守るよう覆いかぶさり、背に破片を受け止め続けた。
『あーあ、俺の世界壊されちゃった。ま、もういらないから別にいいけど』
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