爆死まくら

ガチャで爆死したおっさん、ゲーム世界に転生する。運0で乗り切る異世界ライフ
島 一守
島 一守

鬼怒川慶治の見る世界 [1]

公開日時: 2021年2月24日(水) 18:05
文字数:3,178

このインターホンを押すとき、俺の手はいつも緊張で震えてしまう。


 うだるような暑さが幾分和らぐ夜八時。

今日こそは昔の名で呼ばれるのではないかという小さな期待と、それならば電話のひとつもするだろうという冷静な思考と……。

夜風に吹かれる柳の枝のように、ふたつの思いの間で俺の気持ちはたゆたう。

意を決しボタンを押した俺は、悟られないようにいつも通りの定型文を口にした。



「こんばんわ! シロネコカワチっす! お荷物お届けに参りました!」


「おう、慶治か。今開けるから」



 返ってきた声は今日も期待したものではなかった。

それは、がまだ来ていないという事であり、世界に異変は起こりつつも彼らにはまだ影響がないという証明だ。

そのこと自体は喜ばしい事だ。けれど俺の寂しさは募りゆく。


 ガチャリとマンションのオートロックが開錠された音に我に返れば、余計な思考を置き去りにするように、配達物のスーツケースとダンボール箱2つを抱え、俺は階段を三段飛ばしに、三階へと駆け上がった。

302号室の前、息と身なりを整え、再びインターホンを押そうとした時、見計らったかのように部屋の主が扉を開けた。



「早すぎねえ!? エレベーターってこんな早かったっけ?」


「あ……、階段で来ましたので……」



 ざわつく心を写したように言葉がうまく出ず、ぎこちない返答となった。

しかし、彼は気付いているのかいないのか、特段気にする様子もない。



「こんなに荷物あるのにか……。さすが普段から配達に走り回ってるだけある、すごい体力だな。

 あ、荷物は中に置いてもらえるか」



 玄関へと入り、部屋へ続く廊下へと配達物を置く。

中は男の一人暮らしとは思えないほど綺麗に掃除されており、ワンルームマンションであるが広めに造られているため、荷物を置いても行き来の邪魔になる事はない。

部屋自体も広く、多少無理をすれば二人で暮らせるほどだ。


 そのためカオリは、隣の部屋を借りていながらも、寝るとき以外は彼の部屋に入り浸っている。

今日は姿が見えないけれど……。


 そんな事を考えつつ、荷物に貼られた伝票を外し、受け取り印の代わりにサインを書いてもらう。

その間、俺は片膝をついて待っていたのだが、その姿に彼は苦言を呈した。



「今までスルーしてきたけどさ、そんなに畏まらなくてよくないか?」


「あ、この姿勢の事ですか?

 ええと、これはお客様を上から見下ろす事が無いようにという配慮ですよ」


「そうか、お前背が高いもんなぁ……。何センチあるんだ?」


「2m8cmです」


「まさか答えがメートルで返ってくるとは……」



 なんとなく発した言葉に、彼は苦笑いだ。

しかし、この身長と、他の人より大柄な体格もあいまって、初めて会う人には大抵怖がられてしまう。


 こうして膝をつく姿勢も、彼が俺のであるのとは関係なく、他の配達先でも同様だ。そのため、慣れた客先に行くと『ネコ耳の騎士』なんて呼ばれていたりする。


 この世界ではコブと角を隠すために、帽子に付けられたネコ耳がその由来だ。

最近では悪ノリした同僚が、反対側に尻尾をつけたため、完全なネコキャップとなっている。

おかげで怖がられることは減ったが、なにか大切なモノを失った気がする……。



「ほいよ、伝票返すな。で、今日はこれで終わりか?

 カオリなら今、犬の散歩行っててな。中で待つか?」


「えぇ、ありがとうございます。それにしても、こんな時間に散歩ですか?」


「ほら、夏場は地面が熱くなるだろ? だから日が落ちてしばらくしてから行くんだよ」


「そうなんですか。クロがいるので大丈夫だと思いますが、夜は少し心配ですね」


「ま、この辺は治安も良いし大丈夫だろ。近所の公園行くだけだしな」



 そういった話をしながら、先ほどの荷物を二人で手分けして持ち、部屋へと入った。

中は冷房が効いており、外での仕事をしている俺にとってはまさに天国だ。

そんな俺にお疲れさんと労いながら、彼は冷蔵庫からペットボトルのお茶を出してくれる。



「そういや晩飯まだだろ? レトルトのカレーくらいしかないけど食うか?」


「ありがとうございます、ご馳走になります」


「それじゃ準備するから、ちょっと待っててくれ」



 さっと台所へと向かい、なれた手つきで棚からレトルトのカレーとごはん、そして食器を取り出し準備してくれた。


 彼は俺の好物がカレーだと知っている。

けれど、彼はなぜ俺がカレー好きかは思い出してはいない。

俺にとっては思い出の味。後ろめたさという重荷を下した先、不安を覚えながらも決断したあの時、皆で分け合った特別な料理だ。


 そんな特別も思い出も、共有できないのならば……、それは夢や空想と何が違うというのだろうか。

彼の背を見ながら、ぼんやりと思い耽っていた。


 そうしていれば、あとは温まるのを待つだけとなった彼は、先ほどの荷物を確認する。



「今回の荷物って、いつもより多いですよね。何かあるんですか?」


「あぁ、ベルがしばらくこっちに来るからさ、着替えとか先に送ってきたんだよ。

 けど、思ったより多いな。それに伝票の名前も“ベル・テイラー”になってるし……。

 あいつが名前を省略して書くなんて珍しいな」



 少し不審そうな、もしくは心配するような顔をしているが、それもそのはずだ。

ベル・テイラーことアナベラ・テイラーは、俺や三田爺と同じく世界を渡った、ベルだ。

そして、それを思い出したと伝えるために、あえてベルと記したのだ。

もし彼が同じく思い出しているなら、小さな変化にも気付く彼ならば、それで十分伝わるだろうと分かった上で。


 しかし現実は、違和感に気付きはしたが、本人が思い出していないのだから無駄だった。



「あ、俺ちょっと電話しないといけないんでした。すみません、すぐ戻ってきますんで……」


「ん? 仕事の話か? 玄関の鍵開けとくから」



 その声を背に、俺はマンションの廊下へと出た。むわっとした暑さと湿気が身を包む。

人が来なさそうな廊下の隅で、俺はスマホの履歴から電話をかけた。相手はベルだ。

彼には無意味だったが、俺は伝票の確認をした時に気付き、連絡を取っていた。

数コール後、少し不機嫌そうな聞きなれた声が届く。



「どうした、今日二度目ではないか」


「あぁ、荷物届けたんでな。主様の様子を伝えようかと」


「ほう、貴様にしては殊勝な心がけだな。それで、思い出しそうか?」


「いや、全然だな。お前も思い出したし、もしかしたらと思ったんだがな……」


「そうか……。残念ではあるが、その方が良いだろう。

 覚醒はリスクも大きいからな。くれぐれも……」


「わかってるって」



 リスク……。それは思い出すという事は、世界の異変の影響を受けるという事だ。

だからこそ誰もが無理に思い出させようとはしないし、ベルだけでなく三田爺も、いつも俺に釘を刺す。



「それでだな、荷物が多いって不審がってたぞ?」


「あれでも、かなり減らしたのだがな……。しかし、旅行にしては多いのは確かか」


「旅行なんて言わずに、正直にこっちで住むって言えばよかったんじゃないのか?」


「そういうわけにもいくまい。我は、を越えてからと考えているのだ。

 移り住むと言えば、彼の性格からしてすぐに結婚という話になるだろうからな」


「えぇ……、そうなるとお前の事を“お義姉ねえさん”って呼ぶ事になるのか……。

 うわ、違和感しかねぇ」


「待て、貴様もまだカオリと結婚しておらんだろう。

 はぁ……。まったく、カミサマってのは無茶な“設定”を付けたものよ……」


「嫌なのか?」


「そんな事なかろう……。って、何を言わせるのだ! もう切るぞ!」


「はいはい、また何かあったら連絡するよ。それじゃあな」



 俺が言い終えるかどうかという所で、フンという恥ずかしさを誤魔化すような鼻息と共に、電話は切れた。

ふと夜空に浮かぶ大きな、大きな月を見上げ、ため息をつけば、かすかに香るカレーに誘われるように、俺はその場を後にした。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート