巨大な岩人形の足下で、新ノ口江美は祈るように力を流し続けていた。
それは、彼女にしかできない事。この世界を護るため、落ちる月を支え続ける事。
頭や肩に降り積もる砂を気にする事なく、そして失敗すれば助からないという恐怖に負ける事なく続けられたのは、この特別な能力は、己に課せられた使命なのだとさえ思っていたからだ。
けれど、彼女は知らなかったのだ。月によって狂わされた者が、自身だけでない事に。
カタカタという音に気付いた時には、何もかもが遅かった。
今にも途切れそうな集中力を、途絶えさせぬようゆっくりと周囲を見回せば、すでにそれらに取り囲まれていた。
光に集まる虫のように、強い力に惹きつけられた魔物、スケルトンに。
彼女は、その力こそが自らを窮地に立たせたのだ。
その様子に彼女は考える。
これらは敵対的なものなのだろうか、いやその前に何故スケルトンが……。
あぁ、火葬がほとんどだからゾンビじゃないのか……。
だが、その思考こそが集中力の低下だとは気づかなかった。
パラパラと落ちる砂ではないもの、それはこの葉のように薄く、しかし硬い鱗のようなもの。
見上げればそれは、岩人形の表面が剥離し、舞い降りたものだと気付く。
そして、表面だけでなくその本体も、ミシミシと音を立てながら亀裂が入ってゆく。
「だっ、ダメ! 持ち堪えてっ!!」
もう一度、もう一度最初から……。必要なのは……。
再びイメージを固め直すも、すでに現れたそれには効果を及ぼさなかった。
その間にも、にじり寄ってくる蠢く骨はカタカタと歯を鳴らす。
それらは間合いを詰め、もう一息で岩人形の力の源を手にしようとしていた。
亀裂は深まり、周囲には新鮮な肉を求める魔物。
力及ばずこのまま果てるのか……。諦めかけたその時だった。
バキッという鈍い音と、ガラガラと崩れる音が、続けて背にした側から耳に届く。
なにがあったのかと恐る恐る振り返れば、そこには憧れの人が居た。
そしてそれは、バッとジャンプしたかと思えば、身長の倍ほどまで飛び上がり、周囲の骨どもを高みから踏みつけるよう蹴り飛ばしたのだ。
ついに幻覚まで見てしまったか、と自身に呆れる江美に声がかかる。
「江美ちゃん大丈夫!?」
「美沙……、先輩……?」
抱きしめられ、その温かさにそれが幻覚などではないことを確かめる。
その間にも雫は、次々と魔物を砕き続けた。
「先輩……。どうして……」
「大事な戦友を心配しないヤツが、どこにいるのさ!」
「ありがとう……、ございます……」
にっと笑いながら江美の頭に積もった砂を払う美沙に、気恥ずかしさを覚えたが、それもすぐにかき消える。
「雫先輩っ……!」
「大丈夫、雫は最近妙に強くなったんだってさ。なんで、この程度なんてことないよ。
私も手伝うって言ったんだけど、こっちの被害のが大きくなるからやめろって言われちゃった」
へらへらと笑いながら説明するが、肝心なところが抜けている。
その強さが、常人のものではないという所だ。
雫は月夜に舞う兎のように跳ね、次々と襲いくる敵を蹴散らしてゆく。
その姿に、江美の憧れがより一層強くなったのは、言うまでもない。
しかし、その思いと美沙達が来てくれた安心感が、彼女の集中力を解いてしまった。
そしてそれが、彼女たちを危機に陥れたのだ。
「江美ちゃん! ヒビが深くなってる!!」
「だっ! ダメ! 崩れないで!!」
再び集中しその亀裂を埋めるようイメージするも、すでに出現した岩人形を修復する力はなかった。
「ど……、どうしよう! 直らない……!」
「落ち着いて、何か方法があるはず……」
どこからか聞こえる不思議な声に、江美の能力を聞いていた美沙は考える。
現状をみると、造ることはできても直す事はできないようだった。
それは、漫画の内容を知る美沙なら納得だ。
ゴーレムには、回復魔法などの能力を設定していなかったからだ。
ならば新しく造りなおすか……。
しかし、それだと今あるゴーレムを支えなければならないし、何より江美の力が枯渇する恐れもある。
ならばどうすれば……。
その時、漫画の内容を考えている時の、アイデアが降る感覚にはっとする。
「そうだよ江美ちゃん! あの本の中身!」
「本の中身……?」
「ゴーレムの相方だよ!」
「あっ……! スライム !」
その言葉を待っていたかのようにゴーレムの足元から、その巨体を包み込まんと大量の粘度の高い液体が噴き出す。
足先から順にゴツゴツとした身体をなめまわすようにそれらは上部へ向かい、逆流する滝のごとく、各ゴーレムごとに赤、青、緑、黄、紫のスライムは、亀裂を埋めながら駆け上がる。
しかし、胸まで覆い隠したあたりだった。江美と美沙を足元に据える岩人形が異変をきたしたのは。
それは一瞬だった。バキッという音、その音に雫が振り向いた時、折れた腕はすでに江美達の目前に迫っていた。
「美沙!! 江美!!」
彼女の声は、黒き瓦礫の街にこだました。
◇ ◆ ◇
世界の終わりより、ある意味で衝撃的なモノを見てしまい、疲弊した三田爺達であったが、その件は局長に任せ、自身のやるべきことに再び目を向けた。
空間が歪み、何かが出てくる。
それだけしか情報はなかったが、せめて何が出ても大丈夫なようにと対策を講じるのだった。
しかし、その対策はその場しのぎどころか、問題の先送りであった。
『出てくるのが止められないのであれば、隔離するのがよろしいかと』
あの時、そう進言したのはアルビレオだ。
そして、その隔離場所というのは……。
『月の衝突は避けられず、勢いを抑えられたとしても、しばらくは地下都市から出てゆくこともできないでしょう。
ならばその“何らか”には、我々の住めない地を譲っても問題ございませんね?』
『そうかもしれんが……』
『もしその“何か”が、月を迎撃してくれたなら儲けもの。
双方相討ちしたのなら、漁夫の利を得ることもできましょう』
金と青のオッドアイを光らせ、ニィッと悪い笑みを浮かべる。
自らの手を汚さず勝利する、それが彼の最も好む勝ち方だ。
『そううまくいくか?』
『情報が少なすぎますのでなんとも。
しかし、仮に地上を支配されたとして、それを討伐でき得る力を付けるまで、刃を磨き続ければ良いことです。
それだけの時間を稼ぐくらいには、地下都市の機能を充実させております。もちろん守りも』
『ふむ……』
三田爺は椅子に深く掛け直し、宙を見つめて考える。
彼にとってそれはとても対処とは呼べず、無責任に思えたのだ。
けれど、他の手があるわけでもなかった。
『それでいくとして、どうやって地上に誘導する?
空間の歪みは、壊れかけの壺に入った水みたいなもんだ。薄い所、割れ目から溢れ出すぞ?』
『つまり、亜空間である地下都市の方が、深掘りしている分、地上より弱くなっているのですね』
『あぁ、放っておけば一番深い区画……。そうだな、公園エリア辺りから出てくるだろうな』
最も亜空間として深い区画は、地表の影響を受け難い。しかしその分、亜空間としての影響を多大に受けるのだ。
そのため、魔物も多く出れば、今回のような予期せぬことも起こり得る場所となっていた。
そして、空間の歪みから出てくる“何か”を地表に誘導するには、それよりも“魅力的”な餌を用意する必要があった。
『誘導……。ふふっ、ちょうどよい場所があるではありませんか』
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