「走るわよ!」
つけて来る足音から逃げるため、声と共に駆け出す。
人の波を掻き分け、ぶつかりそうになりながらも走る。
しかし運悪く、前方には私達を足止めせんと赤信号が立ちふさがった。
「こっち!」
その声と共に路地へ駆け込む。
それなりの人出があるのだ、路地に駆け込んだ姿を見られなければどこへ行ったかわからなくなるだろう。
そういう判断であったが、どうやら運は私達に向いていなかったようだ。
「いってえな! どこ見てんだ!」
「ごめんなさいっ、急いでたもので……」
路地に入ると三人の男がいた。そのうちの一人にぶつかってしまう。
とっさにあやまったものの、その男達の姿はどう見てもガラのよいものではない。
周囲には多くの酒の空き缶と、タバコの吸殻。こんな人けのないところでわざわざ宴会をするような人がいるだろうか。
状況から考えると、それが見つかると問題になる年齢か、もしくは吸っているものが普通のタバコではないかのどちらかだろう。
私は美沙の腕を引いて後ずさりした。
「ほう、なかなかの美人さんがそっちから来てくれるとはねぇ。お兄さん嬉しいなぁ」
かなりの量の酒を飲んでいたのか、顔を赤らめた男は私達ににじり寄ってくる。
引き返して大通りに戻るべきか……。
しかし、それでは私達を付回している何者かに鉢合わせる事になる。
どちらにしろいい結果になりそうもない。
「そう怖い顔すんなよ。別に痛めつけたりなんてしないさ。
ちょっと俺たちと遊んでくれりゃそれでいいからよ」
男はその下品な顔を、より気持ち悪いにやけ面に変えて迫ってくる。
明らかに普通ではない反応に危機感を覚えた。隣をみれば怯え切った美沙の姿が映る。
そんな美沙を私の背に隠し、男達を睨み返す。
「そういう反抗的な態度もいいけどさぁ、せっかくの美人さんが台無しだぜ?」
そう言うと男は私の手首を掴み、引き寄せてきた。
咄嗟に私は掴んだ男の手の小指を掴み、無理やりに引き剥がす。
力が弱くたって、指だけならば掴めるし、それを普通は曲がらない方向に全力で曲げられるのだ。
これにはどれだけ屈強な相手であっても怯み、手を離してしまうものだ。
ましてやこんな所でたむろしているような、対象法の対処法を知らない相手なら十分有効だ。
「いってぇ! お前何しやがる!!」
胸ぐらを掴まれるも、その腕をしっかりと両腕で固定し、体ごとひねってしゃがむようにすると、男は背中から地面に叩き付けられるよう倒れた。
背負い投げとほぼ同じだが、しゃがむことで相手の体重を勢いに変え、力がなくとも投げられるようになるのだ。
「お譲ちゃん、なかなかやり手のようだが、そこまでにしておきな」
その声に振り向けば、そこには美沙の首元に冷たく光るナイフを突きつけた、もう一人の男がいた。
「ちょっとばかり護身術を齧っているようだけどな、あんまり調子に乗るのはよくねぇぜ?
大事なお友達がいる時なんかは特にな」
勝ち誇った顔のその男は、ニヤニヤとしながらも続ける。
「俺たちもそこまで鬼じゃねぇ。
そうだな、今日のところは有り金置いていけばそれで手打ちにしてやる。
俺たちはそのカネで酒でも飲んで、この事は忘れる。悪くねえだろ?」
こうなると、いくら私が対処法を知っていたとしても意味が無い。
あきらめて持っているものを全て差し出すしかない。私は財布を取り出そうと鞄を開けた。
「か弱い女の子にカツアゲとは、なかなかのクズですねぇ!」
声と同時にキィィン!! と耳をつんざく金属同士がぶつかる音。
それと共にナイフは宙を舞い、地面へと突き刺さった。
ナイフを持っていた男はというと、うずくまり手首を押さえ、痛みに耐えているようだっだ。
「さぁ、先輩! 逃げますよ!!」
私は何が起こったのかも分からず手を繋がれ、同じく腕を引かれる美沙と共にその場から逃げる。
そしてさっきの私を脅していた男の姿を見ると、手首に一筋の傷を負っていた。
「何をしたのだろう、何かを投げた様子でもなかったのに」そう考えながらも、私達は大通りへと飛び出す。
ぶつかりそうになったおばさんに「危ないじゃないの!」と叱られながら、ぎゅっと手を繋がれたまま大通りを走る。
その先で待っていたのは、大きなクマのぬいぐるみを抱えた朝倉さんだった。
「とりあえずここまで来れば大丈夫でしょう」
ハァハァと息を切らす私達とは違い、大福君は顔色ひとつ変えず暴漢たちから逃げきった。
確かに私や美沙は体力があるとは言えないけれど、彼はどうして平然としていられるのだろう。
「で、どうして俺たちから逃げたんですか!? それに男三人を相手になにやってるんですか!
なにより自分の立場分かってます!? 大学の推薦受けてるんですよ!?
こんなのばれたら、推薦取り消しですよ!?」
「えっ……と。ついうっかり?」
急にまくし立てられた私にはそう答えるしかなかった。
「というか、私達のあとをつけてたのって大福君だったの!?」
大事な事に気付いた私は逆に言い返す。
付きまとわれていなければ、あんな路地に入る事もなかったのだから一言言いたくもなる。
それに、なんでここにいるのかも聞かねばなるまい。
「あっ……。いやそれはですね、えっと……」
「私が、先輩達がどこに行くのか気になったから、ついて行こうって言ったんです……」
私の問いにどう答えるか口ごもる大福君の代わりに、クマの盾に守られるような体勢の朝倉さんが答えた。
「もしかして、お昼からずっと?」
「はい……。付けまわして、すみませんでした……」
さっきまでの勢いが嘘のように縮こまる大福君を見ていると、これ以上の尋問は可哀想になってきた。
けれど同人誌を買いあさっている姿や、ゲーセンでUFOキャッチャーに悔しがる姿、もしかしてハンバーガー屋で店員がカッコイイとか言ってた所も見られてしまったのだろうか……。
ものすごく恥ずかしい。よりによって一番見られたくない相手に見られてしまうなんて……。
「はぁ……、まぁいいわ。今度からは一緒に来ましょう。
私達も、ボディーガードが居たほうが安心だしね」
「そうだね~。大福君ありがとうね~」
怯えていた美沙はやっと落ち着いたようだった。
私は美沙が怪我をしていないか確認をした後、もう厄介ごとに巻き込まれる前にさっさと帰ろうと、皆で駅へと歩き出す。
その道中で、美沙は朝倉さんの持っているぬいぐるみに興味をもったのか、ツンツンとぬいぐるみごと朝倉さんをつつく。
なので朝倉さんは、気遣ってぬいぐるみを美沙にプレゼントしようとしていた。
その様子に「ぬいぐるみが可愛いんじゃなくて~朝倉さんがかわいいな~って思ったんだよ~」なんて答えている。
美沙って妹が欲しいとか思ってたのかな。
そのぬいぐるみは、大福君がUFOキャッチャーで取ったものらしい。
「それじゃ、俺たちは歩いて帰るので、ここで失礼しますね」
「うん、それじゃまた明日。あと……、今日はありがとう」
なんとなく言いそびれてしまった言葉。なんだか今さら言うと恥ずかしい。
「もう無茶な事はしないでくださいね」なんて言いながら手を振ってくれる彼。
なぜかその姿を見送るのが、少し寂しかった。
電車に揺られ、赤く染まる山並みを背景に、ビル群が車窓を横切っていく。
それを眺めながら、とても長い一日だったと振り返る。
でもなんだか、美沙と話をする気になれず、微妙な沈黙が二人の間に鎮座していた。
美沙とは沈黙が気まずくなるような間柄じゃない。
けれど、美沙もその空気に違和感を覚えたのか、横目でチラチラとこちらを見ていた。
「大福君さ~、かっこよかったね~」
「そうだね……」
その言葉に、なぜか胸がざわつく……。
返す言葉……。なにか言わないと……。
「ねぇ美沙……。除毛剤って高いのかな」
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