『やばたにwww見つけた竹マジ光りまクリスティーwww』
『かぐやたんテラ無茶振りwww爺さん「あっ……(察し」』
『ナシ寄りのナシなら来んなって言いはったらどないどす?』
一体なんと読むのだろうか……。所々に入るダブリューも意味が分からない。
古文よりも漢文よりも、難解な現代語訳に頭が痛くなってくる。これならどこかの遺跡にある未解読の石版の方が、なまじ分かる単語が出てこないだけ先入観無く読めるというものではないだろうか。
あまりの事に、深いため息と共に頭を抱える。
このふざけ切った回答に困っている訳ではない。問題なのはこの生徒の理解度が全く汲み取れない事だ。
いや、このような回答を寄越す生徒が、それ相応の学力が必要なこの学校に入ってきた事や、その上で授業について来られるかという事も、今後は悩みのタネになるのは確実だろう……。
怪文書の解読に嫌気を感じぼやける視界を、窓の外の風景でも見て目を休ませようかと顔を上げれば、一人の男子生徒と目が合った。彼は確か……、左近君だったかな。
一番前で、教壇の目の前という特等席に座っていながら、彼はどの授業でも起きている事は無い。そのため私も彼の顔をはっきりと見た事がない。
しばらく呆然と見つめあう。それはまるで時を止める魔女が教室にやっかいな呪いをかけたようだった。
「……おはよう。君が起きている姿を初めて見た気がするよ」
「体育や集会では起きてますよ」
「残念ながら、私は体育の担当ではないものでね」
前代未聞の事態に意味の分からない会話をしてしまった。
いやそれよりもだ、彼が起きているこれは夢ではなかろうか。やはり私も睡魔に抗えず、生徒たちと共に眠りこけてしまったというのか……。
「爺ちゃん先生、それ竹取物語ですよね?」
「ん……。そうだが」
「一節が聞こえたんで、目が覚めたんですよ」
「声に出ていたかな」
「えぇ。でもなんだか、面白いアレンジになってましたけどね」
どうやら私は解読しようと必死なあまり、声に出してしまっていたようだ。
しかし彼はあの文章で、なぜこれが竹取物語だと気付いたというのか、それが気になった。
「君はさきほどのアレンジされたものを聞いて、内容が理解できたのか?」
「なんとなく、ですけどね」
「……つまりこれは、分かる人にとっては正しく訳されていると?」
「正しいって、なんなんでしょうね」
「ん?」
正しいか正しくないかなど、回答と一致しているかどうかで分かることだ。なのに彼は何を言っているのだろうか。
しかし、彼は授業こそ全て寝ているような生徒だが、成績はトップクラスだ。
それもあって、授業態度がどれだけ悪くても注意する事もないのだが……。
ともかく、そんな彼が正しく訳されているかどうかが判断できないとは思えない。
「先生ならご存知かと思いますが、『全然』という言葉に続くのは否定ですよね。
けれど『全然』という言葉が入ってきた当時は、その後に続くのは肯定で使う事もあったそうです」
「あぁ。だが昔そういった話を聞いた時に調べたが、学校では今までそのように指導した事はないそうだ」
若干嫌味っぽく聞こえる前置きをされたが、私の知識の範囲内の話でよかった。
その上それは的外れであり、あの怪文書が許される道理はない。
「学校ではそうですね。けれど言葉は生き物ですよ。
全然が再び肯定に使われるようになったり、先生の理解できない言語が僕たちの中で生まれたり……。
それは止める事も、正す事もできません」
「何が言いたい?」
「『学校での正しい事』しか認めないのなら、言葉が変わる事無く今でも古文のまま生活していただろうなと……。
変わっていくことの方が正しいから、『現代語訳』の必要が出てきたんじゃないですか」
「つまり君は、この解読不能のモノこそが正しい解答だと言いたいのかな」
その言葉には「そこまで言うつもりはありませんよ」と、眠そうな目をこすりながら答えた。
正しいか正しくないか、彼は「正しいとは何なのか」という哲学を私に問うたのだろうか。
しかし、私の専門は語学であり哲学ではない。正しいとは何なのかなど、答えられるはずも無い。
「少なくとも、私はこの回答にマルを付けるわけにはいかないな……」
「えぇ。ここは学校ですから、その判断で間違いはないと思いますよ」
「けれど君は、この判断すらも『正しい』とは言わないのだね」
「どうでしょう。僕は『正しい事』に興味ないですから」
彼は何を言いたいのだろうか。はぐらかされているような、からかわれているような……。
どの言葉も風に舞う紙ふぶきを掴もうとするように、ひらりとかわされているような感覚だ。
苛立ちはしないが、こうやって話すのも初めてと言っていい。彼が何を考え、この世界はどう見えているのか……。
教師と生徒という間柄を気にせず、臆する事も無い素振りに、そういった興味が沸いてきた。
教室が寝息に包まれている今、こうやって言葉を交わすのも貴重な体験と言える。
「私は、何が正しいかなんて分からない。けれど、正しくありたいと思うよ」
「いいじゃないですか。正しくありたいと思うのは、いたって普通の事ですよ。
特に先生なんていう立場なら」
「君は、そうありたいと思わないのかな」
「僕は……『正しさ』よりも『真実』が欲しいです」
「真実?」
そう言うと、彼は窓の方へと目をやった。
私もつられるよう目をやれば、風がふわりとカーテンを舞い上げ、明るく晴れ渡った外の風景が写る。
彼の言う「真実」とは、そこにあるというのだろうか。
「その訳をした人は、物語にどういった真実を見つけたんでしょうね」
「というと?」
「物語で出てくる5つの『無茶振り』は、どうして課されたんでしょう」
「よく知らない人とは結婚できないので、本気かどうかを試した……といったところかな」
「その回答をした人は、そう書いたんですか?」
その言葉に、私は手に持っていた怪文書をめくった。
しかしそれは到底私に解読できるものではなく、頭痛を起こしそうになったため、回答者には悪いと思いながらも彼に渡して解読してもらうほかなかった。
「……この人、すごくまじめな人ですね」
「その回答を見てどうしてそう言えるのか……」
「彼、いや彼女かな? ちゃんと物語を読んで、登場人物の心情を考察していますよ。
この人にとっては、古文は古文じゃないんだと思います。ただ昔に書かれたというだけの文学。
そんな風に思ってないと、こんな回答はできないでしょうね」
「そうなのか……?」
「えぇ。でも内容は教えません」
「なぜ?」
「先生にとって、この回答は不正解なのでしょう? なら知る必要もないですよね」
「だからって……」
彼はからかうように、少し意地悪そうな笑みを浮かべる。
ここまで言われて内容が気にならないわけがない。
なのに私にはそれを解き明かす術が無いのだ。
額に手をあて少し悩むが、ここは恥を忍んで頭を下げた。
「先生は、いわゆる『若者言葉』に興味があったんですね」
「いや、そういうわけではないんだが、内容がどうしても気になるんでな」
「みんなも先生と同じですよ。興味があれば、教えを請うものです」
その言葉にはっとした。彼は私に示したのだ。
今こうして、たった一人しか起きている生徒が居ないこの教室の理由を。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!