「あの子どこ行く気!?」
「わかんないけどっ……! 速いっ……!!」
走りながらの雫の問いに美沙は考えることもできず、そう答えるのが精一杯だった。
日頃漫画を描くばかりで運動していないツケが、ここぞという場面で回ってきたのだ。
対する雫は、普段から運動不足にならないよう、トレーニングジムに行っているのもあって、余裕そうだ。
今も走る速度を美沙に合わせているだけで、本気を出せば追いつけたやもしれない。
高校時代の脅威度ランキング上位は伊達でないと、美沙は密かに思っていた。
商業エリアの人波をかき分け、新ノ口江美を追いかける。
そして幾度か通路を曲がり、エリアを超え、たどり着いた先は、人の気配のない見知らぬ場所だった。
しかし、江美の姿はない。
「あれっ!? こっち入ったはずよね!?」
「はぁ……はぁ……。ちょっと休憩……」
へたり込む美沙とは対照的に、雫は顔色一つ変えなかった。
そしてひとつの扉の前へと進みノブに手を掛けた瞬間、さっと身を翻し美沙と共に物陰へと身を隠す。
「どうしたの!?」
「しっ! ……誰か来る」
閉鎖中と貼られた扉が開かれ、一人の男が現れた。
肩や頭に白い雪のようなものを乗せたまま、男はそれを気にも止めず入った扉の前で立ち尽くす。
「もしかして、江美ちゃんも外に……?」
「わからないけど、ここに居ないってことは、ね」
小声で話す二人に男は気付くことはない。
どんなによく通る美沙の声も、耳元で囁く分には外に漏れ出さなかった。
そして男が去れば追いかけて出よう、そう話し合った二人の前に、更なる障害がやってくる。
「ちょっとあなた! こんな所で何やってるの!?
あんまりひとけのない場所に居ると、危ないわよ?」
それは、雫達の母と同じくらいの年齢であろう女性だった。
少し早足で男に近づくと、その姿に驚く。
「すごい汚れてるじゃない! 雪……?
じゃないわね、砂ね。ほら、綺麗にはたいて、ね?」
ぽんぽんと男の砂を払う彼女に、美沙は見覚えがあった。
「ねぇ。あれって前に、なんかの手柄立てた婦警さんじゃない?」
「私が人の顔覚えてると思う?」
「思わない」
美沙の即答に少しムッとした雫だが、事実だから仕方がない。
それでも最近は本人なりに少し頑張っているし、美沙もそれは察していたが、この場ではどうでもよかった。
一通り身なりを整えてやった婦警、いや正確には元婦警の堀口裕子は、男、神宮口上二の異変に気づき顔を覗き込む。
「どうしたの? 何かあったの?」
「うっ……うぅ……」
上二は何も答えず泣き出し、そのまま崩れるようにうずくまる。
裕子は戸惑ったが、しかし彼女も頭の良い女性だ。
世界の終わりを目前にし、不安に押しつぶされそうになっているのだと察して、優しく男を抱きしめる。
「大丈夫よ、心配いらないわ。きっと何もかもうまくいくから」
根拠などありもしない言葉だが、恋人にも、友人にも置いていかれた上二にとって、彼女の優しさこそが、何よりも嬉しかった。
しかし、そのひと時は長く続かなかった。
「母さん、何やってんの? ってかどうしたの?」
◇ ◆ ◇
兄を385号に任せ、カオリは涼河と共に地下都市を歩く。手には局長を抱えて。
「次の丁字路を左なんだぜ」
「なぁ局長、なんでこんな遠い出口から出るんだ?」
「そりゃ、他の出口は閉鎖されてるからだぜ。
向かうのは唯一開いている出口なんだぜ」
ドヤ顔を表示したディスプレイを叩き割りたくなるのをぐっとこらえ、涼河は続けた。
「なんでそこだけ開いてるんだ? 出られて困るなら、全部閉鎖すればいいだろ?
んで、関係者だけが開けられるようにすればいい」
「考えが浅いんだぜ。出たいと望む者が全部閉められていたら、どうすると思うんだぜ?」
「んー?」
涼河は悩む。地上を避けて地下である事を条件に仕事を探すような涼河には、出たいという気持ちが理解できないのだ。
対するカオリは、そういった人の心理を自らに置き換えて考えられる人だった。
「無理やり壊してでも出ようとする……。とか?」
「正解だぜ。この先は“望む者”と“必要な者”だけが行くことのできるエリアなんだぜ」
「つまり、壊して無理やり出ようとしなくても、勝手にここに来てしまうのか……。
不思議パワー様々だなぁ」
涼河も普段から驚きすぎて、この程度では動じなくなっている。
しかしふと思う。もしかして初めてダンジョンに迷い込んだのも、そういった類の力が働いていたのではないかと。
「それに、出口がひとつなら私の部下を忍び込ませるのにちょうどいいんだぜ」
「……へ?」
「私の部下には、ビー玉サイズの職員がいるんだぜ。
そいつらをちょいとポケットなんかに忍ばせて、行動を監視してるんだぜ」
「監視社会怖えぇ……」
それは敵だけでなく、彼らもA.I.が暴走してるのではないかと思わされる一言だった。
もちろん、敵は機械ではなく、本物の魔物だと涼河は理解していたが。
「外に出て行ったのは、今のところ三人。うち一人は戻ってきたところなんだぜ」
「それって関係者?」
「部外者だぜ。関係者は含んでないんだぜ」
「意外と多いな!?」
「さて、そろそろ着くんだぜ」
その言葉を最後に、局長は物言わぬボールとなる。それは、誰か知られては困る存在がいる事を示していた。
一体誰が居るのかと不思議に思えば、そこには親の顔より見た顔……ではなく、本当に親の顔が見えた。
「母さん、何やってんの? ってか、どうしたの?」
その声に振り返る涼河の母、裕子は、突然の事に驚きを隠せなかった。
けれど何もやましいことはしていないので、経緯を話す。
「あら涼河、ちょうどいいところに……。
ここの扉が開いてたみたいでね、外に出ちゃった人がいたのよ。
それで……、外の様子に取り乱しちゃったみたいで……。ほら、外はアレでしょ……?」
直接的な表現を避けようとするのは、やはり普段から事件被害者とやり取りする立場にある彼女ならではだ。
そして彼女は、息子が地下都市運営の関係者であると知っているため、扉の施錠を頼んだのだった。
「うん、わかった。扉は閉めておくから、その人を落ち着かせてあげて」
「えぇ、頼むわね」
互いに「また後で」と声を掛け合い、裕子は上二を連れてその場を去った。
そして小声の局長に従い、二人はあえて宣言するのだ。
「うーん、困ったなぁ! ここの鍵、壊れちゃってるんだよなぁ!」
「そうなの!? それじゃあ、他に出て行っちゃった人がいるかも!?」
「そうだね! 念のため少し探しに行こうか!」
それは隠れてこの場を見ている者への、局長からのメッセージだった。
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