「あのっ……。先輩……、下書き見てもらえますか……」
笑い話として十分な出来栄えの思い出に浸っていると、大福君というボディーガードをひとつねりでダウンさせたお嬢様、朝倉さんが蚊の羽音より小さいほどの声で話しかけてきた。
この内気で気弱な一年生部員を私は気に入っている。なにせ「作品さえ出せば出席は問わない」という、ユルい方針にしか興味の無い新入部員達とは違い、夏休み中ほぼ毎日登校して活動を続けていたのだから。
そのうえ初作品が完全一次創作だというのだから、部長を任されている者ならば気に入って当然だろう。
この子が部長になれば……、などと考えたこともあったが、性格的に部を引っ張っていけるタイプではないので、出展作品のクオリティ向上で、部に貢献してくれる立ち居地になるだろうと思っている。
「もう下書きできたの? 早いね。それと書き直しになってごめんね。
前の分、ほとんど完成してたのに」
彼女の作品、さっきの美沙の話にあった「後輩の一次創作」がこれだ。この作品は、完成目前で私が書き直しを指示した。
もちろん後輩いびりでもなければ、嫉妬心からの書き直しでもない。内容に問題が出てしまったのだ。
ボツになった内容は、簡単に言えば「風魔法を使えるようになった男子高校生、福神 圭介が、幼馴染の女子高生、薬水 沙良と共に事件に巻き込まれる」というものだ。
それ自体はよくある物語である。けれど、事件の発生場所が悪かった。
その場所というのが図書室で、能力を暴走させた男子生徒が居合わせた図書委員の女子生徒を巻き込んだ上に、二人とも死亡する結末だった。
そしてタイミングの悪い事に、最近図書委員の女子生徒とその彼氏が失踪する事件が発生した。そのため私は漫研の部長として作品の書き直しを指示したわけだ。
もちろん本当に図書室でそんな事件があったわけではないし、何よりその二人は遊びに行った先の繁華街で失踪したらしい。
そして、私が初めて作品を見た時期や製作時間などを考えれば、その失踪した二人が元ネタでないのは明らかだった。
けれど作品は、10月の文化祭で公開される。なので、その二人の事件を元ネタとして、「急げば仕上げられるのでは?」と疑われる可能性がある。
そうなれば私が何を言っても言い訳にしかならない。
それ以上に、こんなことで優秀な部員を、いわれのない疑いに掛けたくなかった。
だから私と作者の朝倉さんが話し合いをして、ストーリーの改変を行う事になった。
その時にストーリーの原作者が大福君だと聞かされたのだ。
そして私の疑惑は確信に変わった。主人公のモデルがこの二人だと。
それを大福君に問いただすと、ものすごく恥ずかしそうに、名前は朝倉さんが付けたのだと語ってくれた。
自身をモデルにした幼馴染の女子高生は全然違う名前なのに、大福君がモデルの主人公は気付ける程度にしたのは、何かの意図があるのか……。もしくはちょっとしたいたずら心か。
多くを語らない彼女の心境は分からない。けれど、それを許してしまう大福君はとても優しい人か、もしくは彼女に甘いだけなのか……。
ともかく話合いの結果、舞台は図書室から体育館に変更。襲い掛かる本はボールや備品に、そして能力を暴走させた生徒と巻き込まれた生徒は死亡せず、改心するという結末に変更された。
これならば、今後なんらかの事件があっても問題にはならないだろう。
もちろん書き直しになるのは変わらないし、その労力を考えると、朝倉さんにはとても悪い事をしたと思うのだけど。
「うん、いい感じに出来てるね。何か困ってる事とか、手伝って欲しいことはある?」
ぱらぱらと渡された下書きを見て、先の書き直しがあるとはいえこれが初作品だとは思えない出来栄えに驚いた。
きっと今までも見せる事はなかったけれど、何枚も描いたり、いくつもの作品に触れて勉強してきたのだろう。
ただ、主人公に襲い掛かるボールのシーンはスポ根マンガを手本にしたのか、特訓シーンを彷彿とさせ、狙っていない笑いが取れてしまいそうだった。
躍動感はあるし、何より本人がこれでいこうと思っているなら私が口を出す事でもないしね。
あ、だけど体育倉庫にあったと思われる、槍投げ用の槍が主人公の頬を掠める描写は、臨場感や危機感を煽る非常に良い構図になっている。
舞台変更も怪我の功名といえるかもね。
「今は、特に無いです……」
どこから声が出ているのか分からないほど、彼女は口も表情も動かないけれど、少なくとも今は私の出番はないようだ。
それにしても、誰に対してもそうではあるのだけど、私に対しては特にオドオドしているというか、怖がられている感じがする。
それは私が部長だからなのか、それとも私の性格や噂を聞いているからなのか……。
まさか私の身体付きを見て、格闘技経験者だってわかるほどのその道のプロだとか!?
なんてのは冗談にしても、あまり好かれていないようで、少し寂しさを感じた。
それでも前までは登校していても、私を避けるように図書室で製作していたのが、ストーリーもできたからと、大福君付き添いの条件で部室での作業に変わったのだ。
少しづつ誤解を解いていけばいいかとポジティブに考えている。仲良くなる前には引退してしまっているかもだけどね。
「あ、そうだった。大福君、前に借りてた本返すね。
あと、その時言ってた文芸部に入るかどうかなんだけど、新ノ口部長には話通してあるから、その気になったら言ってね」
「文芸部ですか……。あんまりガラじゃないと思うんですけど、相手の部長さんも今回の作品、気に入ってもらえてるんですよね。もうちょっと考えてみます」
「焦らないからゆっくり考えてくれていいよ。言い出したのはこっちだしね。
その気があるなら、漫研でも歓迎するよ? もちろん作品の提出は必要だけどね」
「絵は文章以上に苦手なので、それはやめておきます」
残念、あっさりと振られてしまった。
とはいっても、本気で勧誘するつもりもなかったんだけどね。
「でもさ~部活入ってるといいこともあるよね~。
部長経験あれば、雫みたいに推薦もらいやすかったりするし~」
作業に戻っていた美沙が思い出したかのようにつぶやく。
思わぬ助け舟だが、部長経験者だからってだけで、推薦貰ったわけではないんだけどな。
それでも、二年連続で部長やってる人っていうのは珍しいので、全然関係ないとは言い切れないか。
しかし当の美沙は助け舟を出したつもりはなかったようで、その続きは「受験生はたいへんだ~もう勉強したくないよ~」なんて話だった。
本人はそう言うが、今みたいに話を聞いていないようでちゃんと理解していたり、作業しながら会話を続けられる“ある種の器用さ”があるので、本気になればすぐ結果が出そうだと私は思っている。
そんな美沙とは正反対に、朝倉さんは話をしていても作業を始めると周囲が見えないように没頭するタイプのようだ。
まったく会話に入ってこないし、何よりその作業の早さと躊躇いの無さを見ていると、彼女の目にはすでに完成された原稿が映っているようだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!