二人の元へと駆け出した雫だったが、その伸ばした手は彼女らには届かず、虚しくも巨石に阻まれた。
「そん……な……」
信じたくない光景に、迫りくる敵を背に力なくへたり込む。
目の前にはゴーレムの腕だった岩、そしてそれを覆い隠すように赤く、粘度の高いスライムがボタボタと流れてくる。
目の前の現実を彼女の目から遠ざけるように。
後悔だけが沸き上がる。もしあの時、本気で追いかけていたなら江美を止められたかもしれない。
もし敵を倒すのではなく、腕を引いて逃げる事を選んでいたのなら、二人は無事だったかもしれない……。
どんな“もし”を考えても、それは取らなかった選択肢、起こらなかった未来でしかない。
けれどその思いが彼女を縛り付け、その先さえも閉ざそうとしていた。
そして、自身を一番嫌悪させた“もし”は……。
「もし彼に、好きだと伝えられていたのなら……」
こんな時でさえ自分勝手な考えが浮かぶ事こそが、彼女に何もかもを投げ出させたくなったのだ。
しかし、目前の現実を受け止められず呆然とする相手であっても、敵である魔物に待つ義理も知能もない。
弱いながらも数だけは多いその魔物の群れは、ゆっくりと、けれど着実に獲物へと迫っていた。
それを察知しながらも、雫は立ち上がることもできずにいる。
不愉快な音を立てるそれらに囲まれてもなお、ただ静かに涙を流すしかなかった。
「無抵抗な相手に集団で迫るとは、なかなかのクズ共ですねぇ!」
「えっ……」
いつか聞いた言葉。そして今一番聞きたい声。
その声のへと振り返る。
「先輩、助けに来ましたよ」
「大福……君……」
そこにはいつかの時と同じく彼女の大切な人、入福大介の姿があった。
しかしその手には大きな白い両手剣を持ち、同じく白い鎧を身に着けていた。
それは白い騎士のようで、漫画かアニメのキャラクターのコスプレにしか見えない。
けれど、そんなことなど、雫は目に入っていなかった。
「さ、片付けますよ」
言葉と共に、重そうな見た目の装備とは裏腹に、大介は風のように魔物の集団へと飛び込み、その手に持つ剣を一振りする。
すれば剣によって切られた者だけでなく、一帯のスケルトンは、物言わぬ骨の欠片へと変貌するのだった。
「す……すごい……」
「なるほど、彼は風魔法を使うと聞いてましたが、風の剣って事なんでしょうね」
突然の声に振り替えれば、またもや懐かしい顔が視界に入る。
予想外の人物に雫の声は裏返った。
「古市先生っ!?」
「久しぶりですね、関谷さん。もっとも彼らとは何度か会っているそうですが」
「……」
そしてその隣には、無言で小さく会釈する朝倉美花の姿もあった。
「どうして先生が……」
「彼らが走るあなたたちを見かけて、付いていく所に出くわしてね。
面白そうだから、一緒に付いてきたんですよ。
それはともかく、上がそろそろ持ちそうにないので、手伝うとしますか」
指さしながらそう告げる。
その示す先を見れば、ゴーレムは徐々に支える天体の重さに耐えきれず、屈むような態勢になっており、今や腕ではなく肩で支えている状態だった。
だが、どう手伝おうというのか、そう考えたのは雫だけではなかった。
そんな彼の口から出たのは、なんとも場違いな、そして発せられたのが定年を超えた年齢の男性だという事が、違和感を凝縮させたような言葉だった。
「ふふっ。しかし、ゴーレムで月を支えるなんて、草通り越して竹ですよwww」
だが、違和感などかき消すに十分な光景が目前に広がる。
言葉と共に突如大きな竹、それも数十本が互いに絡み合い、綱のようにがっちりと撚り合わされた物体が地面から天へ向かい突きあがったのだ。
それはゴーレムの脇をすり抜け、天にあるもう一つの白い大地へと突き刺さる。
「これで、もうしばらく持つでしょう。あとは入福君の手伝いも必要ですね。
近づくのは危険ですし、飛び道具で応戦しましょうか」
「あの、今なにを……。飛び道具?」
「そう言えば、マジ卍ってどういう意味なんでしょうね」
「え……?」
彼がいわゆる“若者言葉”を研究しているのは、同じ高校を出たこの場に居る誰もが知っていることだ。
けれどそのことと、廃れた言葉と、この状況と……。まったくかみ合わず困惑を呼ぶのだった。
しかし彼の手には、いつの間にか何かが握られていた。
それは卍型の手裏剣。彼はそれらを投げながら応戦しつつも、自身の能力を明かす。
「彼が風魔法を使うように、私もどうやら言葉を具現化できるようなんですよ。
そういえば、朝倉さんも絵を具現化できるので、私の能力と似てますね」
「…………」
「入福君のあれも、戦う必要がありそうなので、彼女に用意してもらったものですよ。
それに時間を取られてしまって、助けに入るのが遅れてしまいましたがね」
語りながら投げる卍は、あらぬ方向へと投げても意思を持つように軌道を変え、敵だけを見事に打ち抜いた。
そして朝倉も、彼女は彼女で何やらスケッチブックに筆を走らせている。
その速度は人間技とは思えぬ迷いも何も感じさせぬもので、一つ一つ引かれる線は闇の中淡く輝いていた。
最後の一筆が終わった時、彼女は描いた紙を切り離し宙へ掲げた。
すると、その薄い平面に乗る墨は、一対のグローブへと姿を変える。
そして小さく、聞き取れるかどうかのほんの小さな声で雫に語る。
「先輩……、これ……」
「関谷さん、無理を承知でお願いします。こちらは私が何とかしますので、入福君と共に時間を稼いでください。
その間に朝倉さんに重機を“描いて”もらいます。二人を助けないといけないですからね」
「……はい!」
雫は再び駆け出す。絶望も諦めも投げ捨てて、今できることを、しなければいけないことだけを見つめて。
「お待たせっ! 今度は私が助けるから!」
「えぇ。先輩が居れば百人力ですよ!」
互いに背を預け二人は魔物たちと対峙した。
続々と集まる群れが途方もなく続いても、二人なら乗り越えられる、そう信じて。
しかし、再び戦いが始まらんとしたとき、あの声が二人に警告を発した。
「みんな耳をふさぐんだぜ!!」
◇ ◆ ◇
4つの三角と3つの四角。そして2つの六角に円。
普通の人間からすれば、ただの幾何学模様である。
けれど涼河にとってそれは、異質であり不安をもたらす魔法陣だ。
いつか母が解決へと導いた事件の現場。
そこへ再び訪れようとは、いや再び訪れたいとは思っていなかった。
「なんか……、前より禍々しさが増してません……?」
「それは、センパイの感度が上がったのもあるんじゃない? 私にはわかんないけど」
「どちらもですよ。今回のために強化してありますから」
セルの適当な返答に補足したのは、アーニャだった。
三田爺の孫アーニャは、普段は会議に参加すれど発言はしないなど、表立っての行動は避けていた。
いや、正確には過保護な祖父に止められていた。
けれど今回のことに関しては、空間操作の能力を持つ彼女が主体となる他なかったのだ。
「取り調べに同行して、魔法陣を描いた本人に構造を聞き出しました。
これに力を流せば、時空の歪みはこちらと繋がるはずです。問題は……」
「問題は、出力が足りるかどうかだ」
過保護な爺さんは、説明すらも孫にはさせたくないのか、途中で口をはさむ。
けれど、こればかりはアーニャも譲ろうとはしなかった。
「私一人の力じゃ足りないんです。だから、この魔法陣の“本来の使い方”をしないといけなくて」
「本来の使い方?」
「魔力を一人に集約する。12人の生贄を使って……。だよね」
「はい……」
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