いつもよりゆっくりとした休日の朝8時。食卓の上に並ぶ朝食を前に、彼は大あくびを見せた。
八枚切りのカリっと焼かれたトースト、目玉焼きとその隣に添えられたリーフレタスなどの小さなサラダ。デザートのヨーグルトにはイチゴジャム。
店で出せるようなモーニングセットは、カオリが用意したものだ。
トーストをサクサクと音を立て香ばしさを口いっぱいに堪能すれば、一人暮らしをしていた頃はいつも腹持ちだけを考えて、五枚切りのパンを焼きもせず牛乳で流し込むだけだったと思い出す。
今ではこうやって朝食を作ってくれる、おせっかいなほどに優しい妹を持ち、幸せ者だと彼はしみじみと感じていた。
カオリにしてみれば、朝はパンかシリアルだけ、昼はコンビニのおにぎり、よくて多少具材の入っている太巻き。
夜はいつもレトルト食品という、あまりに悲惨な食生活では兄がいつ体を壊してもおかしくないと心配しての事なのだが、彼がその心のうちを知るはずもなかった。
そんな、人の生活習慣をよく見ているような彼女が、今朝の兄の様子がおかしい事に気づかぬはずはない。
赤いストローが刺されたオレンジジュースの入ったグラスを彼の前に置き、向かいの席で自身も同じメニューを食べながら探りを入れるように話し出す。
「どうしたの? 体調でも悪いの?」
「ん……。そう見えるか?」
「なんとなく、ね」
こういうのは第六感とでもいうのか、いつもと違うがどう違うかと言われれば、言葉にしにくいものだ。
たとえ言葉が通じずとも、ペットの異変に気付くように。
そう思いながら、何の話かと聞きたそうな目をして寄ってきた柴犬のクロを膝に乗せ、カオリはやさしく頭をなでた。
「体調は悪くないんだが……。少し不気味な夢を見てな」
「そうなんだ。うん、でもそういう時あるよね。起きたあと、体がだるくなっちゃうようなの。
……で、どんな夢だったの?」
彼はカオリが夢の内容などに興味を示すなんて珍しいなと思いながらも、話してみれば少しすっきりするかもしれないと、おぼろげな記憶を今一度思い返す。
「それがさ、地上の街が廃墟ってか、瓦礫になってる夢なんだよな。
それで誰かに呼ばれて、その中を歩いて行って……。
んー、なんで廃墟になってたんだっけな……」
「夢って、すぐ忘れちゃう事多いよね。なのにモヤモヤしたのだけが残ったりして」
「まさに今、そんな感じだなぁ……」
覚えていられないのに不快感だけが残るという理不尽さに、彼は苦笑いを浮かべる。
しかしそれが夢というもので、いたって普通の事なのだ。
けれどなぜか、何か大切な事だったのではないかと、いまだに引っかかって納得できないでいた。
「それにしても、瓦礫になってる夢ねぇ……。確かに不気味かも?」
「なんていうか、リアリティがあるというか、妙に生々しくてさ。ちゃんと覚えてないのにな」
「少し疲れてるんじゃない? こっちに引っ越してきて、環境も変わったもんね」
「それはあるかもな」
歯が抜ける夢を見たら実際に虫歯があったとか、そういったのと同じように疲労感がそんな夢を見せる事もあるだろうと、彼は無理やりに納得することにした。
しかし、疲れとは自分でも気づかないうちに溜まるもんだなと思いながら、彼はレースのカーテンのかかる、ベランダへと続く掃き出し窓の外を眺めた。
今日もよく晴れ渡っており、ふわりと優しい風がカーテンを揺らす。
しかし、そこは“外”ではない。地下に造られた、人工的な屋外空間だ。
風も日差しも造られたものであり、季節の移り変わりさえ体調を崩さぬよう穏やかに移り変わるよう配慮された、完全に管理された空間である。
無菌状態ではないにしろ、普通に生活する限りにおいては体調不良を訴える事のないように配慮されているにも関わらず、その環境に適応できないでいる自分自身に、彼は少しの情けなさを感じていた。
そんな寝ぼけたような、緩み切った呆けた顔をする兄を見ながら、未だ彼が何も思いだしていないことに、カオリは安堵しつつも一抹の寂しさを感じていた。
膝の上で甘えてくるクロをなでながら、ここではない世界での日々を思い出す。
そして共に世界を渡った者たちが、彼の知らぬところで世界を守らんとしている。その事実に思いを馳せた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!