沈黙が気まずいとは限らない。両親の再婚で他人だった二人が今や兄妹として共に暮らしているという、他者から見れば微妙な間柄であっても、二人にとっては何の会話もない朝食の一幕も日常であり、気まずさとは無縁である。
けれど今回に限っては互いに考え事をしており、その内容も話すべきではないと思っているからこその沈黙である。
兄にとってこの住まいは、妹のカオリが良かれと思って探してくれたものであり、それによる環境の変化で疲れが出ているなんて言い出しにくかった。
それに、物件自体は文句の付けようもない。ペット可、二人暮らしに十分な広さ、そして隣に慶治とベルの二人が住んでいるというのは理想的だ。
部屋割りの話をした時に、この割り振りはおかしいと言ったものの、「婚前に同居するなど……」や「同棲すると結婚のタイミングを失う」などなど、それっぽい理由を付けて他の三人に押し切られたのだ。
いや正確には、クロも分かっているかのようにうんうんと首を縦に振っていたので、正確には三人と一匹に押し切られた。
もちろん本人は、同棲したところでなあなあでやり過ごすつもりはないが、それによって妹の婚期を逃すのは見過ごせなかったので、渋々了承したのだった。
言うまでもなくこの引っ越しには、彼を最優先で地下シェルターへ避難させるという裏の目的があるのだが、それを本人が知ることはない。
「あ。カオリ、もう時間じゃないか?」
「え?」
ふっと時計を見れば、8時台は4分の1を残すところだった。
考え事に集中していて、二人ともうっかりしていたのだ。
「あー! 約束9時なのに!」
「まあ、落ち着け。今から出るしかないだろ? 片付けはやっとくから」
「ごっ、ごめんねっ! ありがと!」
いうが早いか行動が早いか、カオリはほぼ食べ終わりかけていた残りを一気に頬張り、オレンジジュースで流し込む。
ごちそうさまでしたと言いながらバタバタと洗面台に行き、歯磨きや身なりを整える。
朝食を用意する前に着替えてあったため、そこまで時間がかかるものではなかったが、それでもその早技は、寝ぼけ眼な兄には光速をも超えて見えたのだった。
「クロ! 行くよ! いってきまーす!」
駆け出す一人と一匹に、兄のいってらっしゃいの言葉は無人の玄関に置いてけぼりにされた。
一人残された部屋はいやにがらんとしていて、今朝の夢がなくとも少し広く、寒々しく感じる。
せめてクロがいれば……と思う彼であったが、こうしていても始まらないと残された食器を洗い、ついでに部屋の掃除も……と、休日にも関わらずいそいそと作業を始めた。
それは、余計なことを考えないようにするためだった。
しかし、そうしていても何も考えないというのは難しく、「カオリは今日どこへ行くんだろう」とか、「なんでクロも連れて行ったんだろう」などと、思考は巡っていた。
いつもならどこへ行くか、もしくは誰と会うかのどちらかは告げるのに、最近は言わないことも多い。
別に詮索する気はないし、言わなくても何もやましい事はしていないだろうと信用はしている。
けれど気になるのだった。
「もしかすると、慶治とのデートかな?」という適当な落とし所を見つけても、クロをお供に連れた理由が分からずモヤモヤは残っていた。
そうこうしているうちに、一通りやる事を終えてしまい、彼は再びどうしたものかとコーヒー片手に一息ついた。
なんだか落ち着かず、このまま家に一人でいる事に寂しさとも違う居心地の悪さを感じ、せっかくだから外出しようと思い立ったのは、間もなく11時になる頃合いだった。
街に出てみれば休日ともあって人でごった返していた。
もちろん街と言っても地下シェルターの商業エリアだ。
遅めの朝ごはんだったこともあり、ぶらぶらとあてもなく歩く。
入居者を募集しだしてまだ一年も経っていないのだが、すでに多くの店がオープンしており、どの店舗も真新しい新築の匂いが残っている。
どの店も覗いてみれば面白く、現在開店準備中の場所に貼られている、出店予定の店の情報を眺めるだけでも十分に時間を潰せた。
出歩くたびに様子を変える街並みや、毎日のように居住区に訪れる引っ越し業者。
それらは飽きることなどさせてはくれないが、30を超えた彼にとっては、少し落ち着かない刺激にも思えた。
もちろん、彼が昔から同年代の者よりも大人びた性格であり、精神的に少しばかり“老けている”というのも、それらに慣れない原因でもあったが……。
人々が昼食を食べ終えいっそう人通りが多くなってきた頃、人混みの中を歩き疲れた彼は、焼きたてのパンの香りに誘われ入ったパン屋でサンドイッチを買い、商業エリアを抜けた先の公園エリアへとやってきた。
上を見上げれば本物にしか見えない空があり、花々だけでなく木も植えられているほどに広い空間。
屋外にしか見えないのだが、これが造られたものだとは思えないなと感心しながら、彼はベンチに座り、遅めの昼食を食べた。
広場では子供たちが遊んでおり、剣やサークレット、そしてマントまで装備して本格的な勇者ごっこをしていた。
けれど、数人いる子供が全員勇者の格好だったので、「パーティーバランス悪いな!」と、彼のツッコミ魂がうずいたが、大人としてぐっと堪えていたのだ。
しかし、小道具の力の入れようは本気のそれであり、銀紙を綺麗に貼られた剣や、同じく金紙で飾られた頭のサークレットは、彼には到底ダンボール製には見えなかった。
ただ、マントだけは彼もバスタオルだと気付いたので、遊んで汗をかいたら拭けるから便利だななどと、いやに現実的な事を考えていた。
そんな子供たちに「子供ができたら、こんな風に遊んでる様子を眺めるのかな」なんていう妄想に浸りながら、彼は食べ終えた昼食のゴミを捨てるためゴミ箱を探す。
ちょうどよく見つけたゴミ箱は、別エリアとを隔てる壁際に設置されており、ついでだからこのまま違うエリアの散策にでも行くかと、壁際に沿って扉を探す。
すると木陰に、白いローブを着た子が佇んでいた。
それは先ほど遊んでいた勇者たちと同じくらいの、小学生くらいに見える子だ。
フードを深く被っており、目元まで隠れ顔は口元くらいしか見えない。
けれど、首元から出ている肩にかかった赤髪が、女の子であろうことを示していた。
先ほどの子たちの友達だろうか。
おそらくは姿を見る限り魔法使い……、白いし治癒系の魔法使いなのかな? なんて想像が膨らむ。
目は合っていないが、彼は向き合っていたのもあって「こんにちは」と小さく挨拶をした。
すると、赤髪の少女はくるりと身を翻し駆け出す。
その反応に、彼は不審者だと思われたのかと焦ったが、少女は助けを求める訳でもなく、別エリアに繋がるであろう扉を開け出て行った。
「もしかして勇者たちの仲間になりたいのに、恥ずかしくて遠くから見てたのかな」なんて思い、そんなシャイな子に声をかけたのは悪い事をしたなと思ったが、彼は少女の入った扉を見てさらに焦る事になる。
その扉には「危険! 関係者以外立ち入り禁止」の文字が書かれていたのだ。
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