「オープン! バーストテンタクルっ!」
ダンジョンブックを呼び出し、魔法陣から無数の触手を放つ。
「にゃんだかわからにぇえが、今更そんな攻撃が当たるかよっ!」
私が取り込まれている間に巨大なスライム状の獅子へと変化したニェオが、触手から逃れようとその大きな体躯で床を駆ける。だが、
「にゃっ!?」
ニェオを囲むように伸びた触手がニェオの腹の中に侵入し、取り込まれていたフィア、スーラ、イユを救い出した。
「はぁ……はぁ……助かった……」
「ていうかこのスライム、なんか臭いんですけどー……」
「今はそんなこと言ってる場合じゃ、って、どなたですかーっ!?」
助け出されたフィアたちが私、いや私たちの姿を見て大きな声を上げる。そりゃそうだ、三人からしてみれば知らない人がダンジョンマスターの証であるダンジョンブックと、勇者の証である勝者の十字架を持っているのだから。
「ユリーとミューが融合したんだよ。私の魔法、魂の融合によってね」
魂の転職の強化版、魂の融合。これにより人型モンスターだけでなく、他のモンスター、それに人間との融合も可能になった。しかも、
「にゃぜだ……にゃぜにゃーのスピードに追い付くっ!」
腹を貫かれたニェオが人型に戻り、私たちを強く睨みつける。今まで私たちはニェオの速度に全く対応できていなかったんだから、そんな反応にもなるだろう。
「どうやら能力自体も底上げされてるみたいだよ。今まではただモンスターの力をそのまま持ってきただけだったけど、今では全ての能力が強化されている」
もっともその分魔力消費も激しいし、ダンジョンブックはあと数秒使えない。まぁニェオの速度相手にダンジョンブックはそもそも相性が悪い。さっきは奇襲だったから何とかなったけど、もう有効打にはならないだろう。
「クローズ。……ミュー、いける?」
『ああ。問題ない』
ダンジョンブックを閉じ、身体の中のミューと会話する。人間が私の中にいるだなんて不思議な気分だ。
「抜刀、千方百計十束剣」
床に落ちている十手を左手で拾い、勝者の十字架との二刀流にする。勇者の剣術にはあまり使われないが二刀流もあったはずだし、奴を倒すには十手の魔法が必要になる。しばらくはこれで戦わなければならないだろう。
「いいぜ、本気で相手してやるよっ!」
『来るぞ、ユリーっ!』
「わかってますっ!」
そう答えるや否や、私たちの剣とニェオの爪がぶつかった。やっぱり凄まじい速さ……魂の融合の効果でなんとか目で追いつけるようになったが、それでも攻勢に移るのは難しそうだ。そして何より、スライムキャット特有の斬撃無効が厳しすぎる。まずはそれを何とかしないと。
「三の手、棒術っ!」
ニェオを腕力で振り飛ばし、能力を封じる亀刻が使える棒モードに十手を変化させる。これさえ当てられれば斬撃無効を封じられる。まぁ当てられればだけど……。
「!」
突如、銃声。そしてニェオの背後に魔石弾が。イユが撃ったんだ。これで後ろを取れれば……だが……!
「にゃははぁっ!」
ニェオもそれに気づき、位置交換に対してカウンターを与えようと手を振りかぶっている。これでイユに位置交換されたら……!
『うちの正秘書官を舐めるなっ!』
身体の中でミューが声を上げる。なるほど、そういうことね。
「スクラッチスラッシュ!」
ニェオが背後を鋭利な爪によって斬り裂く。だが、
「交換してにゃい……!?」
「生憎もう魔力空っぽなんですよー」
イユの銃撃は完全なるブラフ。ニェオはただ魔石を斬っただけで、さらに背中はがら空きっ!
「亀刻っ!」
「にゃ、ぁっ!」
ニェオの背中を渾身の突きが抉り取る。まだ実験不足で詳しくは知りえないが、これで最低でも十数秒は斬撃無効は無効化された!
「おみゃーらが何をしようと、当たらにゃければ……。っ!」
ニェオが私たちの動きを見張っているところに別方向から桃色の球体が衝突した。
「当たった当たったっ。スーラちゃん、後はお願いっ!」
「任せなさいっ!」
ニェオに集中していた視界を広くしてみると、辺りを桃色に輝く球体が漂っていることに気づいた。これ確かフィアのとっておき……。そしてそれの一つに向かってスーラが手のフライメイルから全力の風魔法を発している。
「関係にぇえよっ! どっちにしろ当たらにぇえんだっ!」
ニェオが離れていくが、スーラが巻き起こした風は近くの球体を巻き込み、桃色の輝きを帯びながら竜の形になって確実にニェオの下へと近づいている。なるほど、誘爆の原初の魔法……。フィアにしてはいい魔法持ってるじゃん!
「ちぃっ!」
ニェオもその効果に気づき逃げられないことを悟ったのか、諦めて腕を前でクロスして防御の体勢を取る。だがフィアとスーラの協力魔法。それだけで防げる威力じゃない。
「「光竜咆っ!」」
「にゃぁぁぁぁっ!」
フロアにある全ての球体を回収した桃色に輝く風の竜が、ニェオを巻き込み吹き荒れる。まだ原型は保っているが、身体のあちこちに痛々しい切り傷が刻まれる。だがそれで終わりじゃない。
「いらっしゃい」
「っ!」
フィアの魔法の正体にいち早く気づいた私は球体の一つを勝者の十字架に当てておいた。魔法の終着点。それは勇者の約束された勝者の剣だ。
『王羅激斬っ!』
絶対切断の剣と光竜の顎がニェオの身体を挟み込む。いくらトーテンといえど、これを防ぐことは不可能。ニェオの身体が腰から上下に分断されたが……。
「にゃははははっ! どうやら運もこっちに向いてきたようだにゃぁっ!」
「くそっ……!」
亀刻の効果が既に切れていた。スライム状の二つの身体が混ざり合い、元のニェオの姿に戻っていく。風による切り傷は受けているようだが、それも人の血が入っているせいで徐々に回復してきている。やはり一撃で殺さないと奴は倒せないか。
「ミュー、裏型使える?」
『!』
私の質問に魂が動揺することで答えるミュー。だが一応言葉にもしてくれた。
『いいや、その技は既に失伝している。名前だけは聞いたことがあるが……曾祖母の代で途絶えたそうだ』
「充分。私はちゃんと知っているから」
十手を投げ捨て、居合のように左腰に勝者の十字架を構える。だがこれは剣術ではない。他の技とは次元、意味が違うんだ。
「にゃはは……おみゃーみてぇな似非勇者が何をしようが無意味にゃんだよ。にゃーはこの時をずっと待っていた。にゃーこそがその剣を手にし、唯一の勇者になるこの時をっ!」
「勇者だなんだって言ってる時点で三流なんだよ。本当の勇者はただ粛々と目的を果たすのみ」
「ほざけよっ! 外側のおみゃーはそもそも勇者の血を引いてすらにぇえだろうがっ!」
「血は流れてなくても魂は受け継いでいる。だって私は勇者の家族なんだから」
この技はずっと脳裏に焼き付いている。112年前、私を救ってくれた剣技。今こそこの時代に再現しよう。
「勇剣・裏型――」
「死にぇえっ! ニセモンがぁっ!」
ニェオが一心に向かってくる。魂の融合は転職と同じく××トラップダンジョンの理から外れた力。殺されれば死んでしまう。
私が死ねば融合しているミューも死ぬ。上級魔法を使うのに時間がかかるフィア、武器を失ったスーラ、魔力が残っていないイユも助からないだろう。
だから私は守らなければならない。助けなければならない。救わなければならない。
大丈夫。そのやり方は、知っている。
「――橋渡し」
ニェオの爪が私へと届く数瞬前。私は既に剣を振るい終わっていた。抜刀を終え、虚空を斬り裂き、残心をとっていた。
「にゃははっ、終わりだぁぁぁぁっ!」
ニェオのノエル様とは少しも似ていない声が耳に響き渡り、
「にゃっ」
小さな断末魔と共に消えていった。
『――何だ。何なんだ、今の技は。斬撃は効かないはずじゃ……!』
私に触れる寸前、またも腰から上下に分かれ、床へと落ちていったニェオだったものを視界に入れてミューは問う。
「今のは斬撃じゃない。もっと高次元のものだよ」
この技が斬るのは敵じゃない。空間。虚空そのもの。この勝者の十字架は全てを斬り裂く剣だ。それは空間にだって例外じゃない。
空間の裂け目に触れれば、そこにあったものは存在しないことになる。だってそこに物体が存在できる大前提の空間がないのだから。だから空間の裂け目に触れたニェオは斬り裂かれた。無効化できない斬撃で。正確に言えば、身体の一部を持っていかれた。
そう。これは敵を斬るための力ではない。
「人を守るための力だよ」
勇者の剣技、唯一にして無二の防御の技。この技が、再び私を助けてくれた。
「そっか……そうだよね……」
私は宝物を失った。ノエル様からいただいた秘書官服。私に遺してくれた唯一の物はもうこの世には存在しない。
でも宝物はそれだけじゃない。ノエル様と過ごした12年間は、100年経った今も鮮明に残っている。
そしてそれは今の勇者にも伝えることができた。ノエル様の御令嬢にも、その御令嬢にも私は伝えられなかったけれど。今その末裔に魂は受け継がれた。
『ユリー。あなたは私の誇りだ。どうかその力をこれから先の勇者に授けてあげてほしい』。
ノエル様の最期のお言葉。100年経った今、ようやく。
「果たすことができました――」
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