「ここは……?」
スーラが転送された層は言ってしまえば触手部屋だった。ただ生えているのは床だけ。しかも肉壁のように短い触手がただ蠢いているだけで、特に襲ってくる様子はない。だが足の裏に粘液が絡みつき、ひどく不快な気になる。
「……足裏?」
なんで靴を履いているのに粘液の感触が肌にするのか見てみると、スーラのフライメイルは無惨な姿になっていた。
「靴底だけ溶けてなくなってる……!」
まるで元から存在しなかったかのように、靴の底だけが綺麗に抜けている。
「……まずいわね」
おそらくこの粘液は装備だけを溶かすものなのだろう。辺りには裸になった冒険者が転がっている。でも肌に痛みはないし、普通の人なら不快で滑りやすいだけで済むはずだ。
だがスーラの武器は靴だ。フライメイルの靴底に彫ってある魔法陣から魔法を放出して高速移動している。これが使えなくなることはエンジンを半分失うと同じだ。これからの戦いを手のひらからの魔法で戦うしかなくなる。しかも懸念点がもう一つ。
「身体が重い……」
おそらくこのフロア全体の重力が普段より二、三倍強くなっている。これではスーラの持ち味である機動力が活かせない。
「たぶん冒険者を床に張り付かせて触手で責めるってトラップだと思うけど……とんでもない相性の悪さね……」
だがユリーはスーラにとって有利なフロアに転送すると言っていた。これがフィアだったら別だが、ユリーが転送先を間違うことはないだろう。
だとしたらまだ気づいていないだけで何らかのメリットがあるはずだ。そう思って辺りを探っていると、空中のテレポートゲートからカッパのキャバが落ちてきた。
「何だここっ!?」
キャバはスーラに気づくことなく、触手と重力に戸惑っている。
こっちに気が向いていない今がチャンス。動き出そうとした寸前、ユリーの言葉を再び思い出す。
このフロアにはイユも送ると言っていた。だとしたら待ってからの方がいいだろうか。
(いや、今のイユさんは満身創痍。二人がかりでもヒャドレッド相手に勝てるとは限らない。だったら相手がこのフロアに慣れていない今攻めるしかないっ!)
「はぁぁぁぁっ!」
スーラは駆け出す。腕のブースターしかないし、重力のせいで身体が重い。それでも、
「烈風渦旋っ!」
床を強く蹴り、キャバの顔面に飛び蹴りを仕掛けるスーラ。普段の数分の一程度の威力しかないだろうが、それでもクリーンヒット。これで体勢を崩せればあたし一人でヒャドレッドを倒せる! しかし、
「ってーじゃねぇか」
「効いてない……!」
体勢を崩すどころか、少しも移動させることができていない。腕のブースターの威力を強めるが、それでもまるで大きな岩に体当たりしているような気分だ。手ごたえがまるでない。
「いや、効いてるっ!」
わずかではあるが、口の端から赤い血が流れている。口の中を切らせることしかできていないといえばそうだが、それでもノーダメージじゃない。
「旋風……!」
「おらぁっ!」
追撃をしかけようとした瞬間、スーラの背中で何かが爆ぜる。
「がっ……!」
重力に耐えかね下げていた盾から爆弾を飛ばしたんだ。スーラの身体が高く宙に浮く。
(体勢だけは崩すなっ!)
これで身体から倒れたら腕のフライメイルも溶けてしまう。空中で水の魔法を放ち、なんとか脚から着地することに成功する。
(連打でなんとかいける……? いや……)
キャバから少し離れたところに着地したスーラはキャバの様子を窺うが、盾の中の銃口はこちらを捉えている。これで不用意に近づいて吹き飛ばされれば今度はどうなるかわからない。自分の限界は自分が一番よくわかっている。ここで攻めても勝てるわけがない。
なので静止を貫くことに決めて蹴りの構えをとっていると、不意にキャバは盾を下ろした。
「なぁ、もうやめないか?」
キャバが休戦を申し込んできた。スーラを仕留めきれない事情があるのだろうか。そう考えていたスーラにキャバは言葉を浴びせる。
戦士としてのスーラをこれ以上なく侮辱した言葉を。
「はっきり言ってお前、雑魚だろ?」
「は……ぁ……?」
思わず動こうとした脚を止め、スーラはキャバを睨みつけるが、相手の表情はひどく同情的だ。
「俺の目的は勇者の捕獲。お前と戦う意味がないんだよ。別に戦ってもいいけどよ、お前確実に負けるぜ? 見逃してやるから見逃せって言ってんだ」
そのスーラを馬鹿にした言葉は、限りなく事実に近かった。渾身の不意打ちはほとんど無傷。近づくこともできないし、この重力の強い空間でキャバの攻撃を避け続けることもできないだろう。
「いや俺もヒャドレッドの中では弱い方だからわかるんだよ、お前の気持ちが。バケモンみたいな連中といると疲れるよな。どんだけがんばったってあいつらの足元にも及ばないんだ。がんばるだけ損だぜ。てことでお互い省エネで行こうぜ、って提案だよ」
キャバの自虐めいた語りにスーラは思わず頷きそうになる。同じだ。スーラがどれだけ努力したってできることは限られる。きっとスーラがいなかったとしても、ユリーならその時はその時の作戦を立てて成功してしまうのだろう。
「しばらくここにいて向こうの戦いが終わるの待ってようや。ニェオさんも勇者以外を傷つけるつもりはないって言ってたし、お前に損はさせねぇよ。なんなら俺から見逃してくれって頼んでもいいしな」
いてもいなくても変わらない。それはずっと感じていたことだった。村にいた時から、誰もこっちを見てくれなかった。魔力がほとんどないのだからできなくて当然だと視界にすら入れてもらえなかった。
「ほら、お互いにとってメリットだらけだ。まぁ重力のせいで休めないのだけは辛いけどな」
「そうね。あなたの言っていることは正しいわ」
そう短くつぶやき、スーラは壁際にゆっくり歩いていく。
「あたしたちが何をしようと結果はあまり変わらないでしょうね。下手にがんばって迷惑をかけるのも嫌だし、ほんとめんどくさいわ」
「だよな。わかってくれて助かったよ」
「それでも」
ユリーは頼んだんだ。スーラに。キャバを倒してくれと。信頼してくれているんだ。
「あたしはあなたを倒す。それができなきゃ、ユリーちゃんに合わせる顔がない」
「それができないから提案したんだが?」
「できるわよ。あたしはあんたとは違うから」
もっと頭がよければ。もう少し魔力があったら。伝説の武器を持っていれば。有用な特技があったら。
そんなこと、考えるだけ無駄だ。
たいしてない頭で。全くない魔力で。そこら辺で売ってる武器で。誰にでもできることで。
「こっちはハナからあの化物に並ぶつもりでここにいるのよっ!」
そしてスーラは、飛び上がった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!