「オープン! ステータスグラス!」
その探索者の顔を見た瞬間、私は視界に入れた人のステータスを確認できる眼鏡を召喚した。そして画面に近づき、改めて彼女の姿をじっくりと確認してみる。
『ミュー・Q・ヴレイバー
年齢:19
身長:161
3S:80/57/83
職業:勇者
LV:67
HP:1000
階層:1』
ステータス画面に表示された名前。背負った聖剣・勝者の十字架。代々受け継がれている白金の鎧。美しいブロンドの髪。彫刻のような完璧な顔。
間違いない。この探索者は、ノエル様、ザエフ様の子孫だ。
でも何で××トラップダンジョンに……! ここは危険な場所だってわかっているはずなのに……!
「くそっ! テレポートゲートっ!」
ステータスグラスを強く床に叩きつけ、私は階を移動する。目的地は当然、今あの人がいるジュエルシェルの住処だ。
「貴様は……!」
聞きたかった声。二度と聞きたくなかった声。相反する感情が胸を強く締め付ける。
それでも私は。今の私はこう言うしかなかった。
「黙って帰るのなら何もしない。ここから出ていって」
ああ。近くで見ると本当にもう、そうだ。
穢れない一本の剣のように美しく、凛々しく、高貴な顔。
もう二度と見ることはないと思っていたのに。どうしてこんなところに来ちゃったんだ。
「悪いが帰るつもりはない。このダンジョンに巣くうモンスターを全て滅ぼすために私はここに来たのだから」
一度背にしまった剣を引き抜き、私へと突きつけるミュー。その切っ先には強い敵意と殺意が滲んでいる。
「だが目的がもう一つ増えた。貴様、名はユリー・セクレタリーだな?」
「……だったらなに?」
私の名前を知っている……? いや、100年前とはいえこの家系に仕えていたのだから知っていてもおかしくはないが、こんなにもスッと出てくるものか?
「そうか――」
一度深く目をつぶったミューは聖剣を両手で握ると、正面に私を捉えて構える。一見無防備なようで、一分の隙もない見事な構えだ。まるで、私を救ってくれたあの方のように。
どうする。戦うか? この血と、私が。でも戦わないと間違いなく私は斬られる。ノエル様の剣で。それだけは絶対に御免被る。だったら……!
「ヘル――」
「曾祖母、ザエフの仇! 討たせてもらうっ!」
私の詠唱は、ミューの一言によって止められてしまった。
「っ、テレポートゲート!」
堅牢である故重量のある鎧を纏っているのにも関わらず驚くべき速度で迫ってきたミューに対し、一瞬大きく隙を作ってしまった私は空間移動することで距離を取る。と言っても階層は変わらない。少し離れた場所に飛び、巨大なジュエルシェルの背中に隠れた。ジュエルシェルは真正面に立たなければ襲ってくることはない。これでひとまず安全だが、問題はミューの発言だ。
「私がザエフ様の仇……?」
わけがわからない。むしろ私がザエフ様に殺されるはずだっただろう。でもミューの表情は真剣そのもの。何か策があるとも思えない。
だとしたら。なっているのか、あっちの世界では。
私が、ザエフ様を殺したことに。
だったら誤解を解かなければならない。そうすれば話し合えるかも。そう思ってジュエルシェルの背から出た瞬間。
「飛翔斬!」
数秒前まで私がいた場所は、貝の残骸と共に弾け飛んでいた。
「っ――!」
ミューの居場所はさっきまでとほとんど変わっていない。なのにジュエルシェルは粉々に崩れ散っている。まさか斬撃を飛ばした……?
「逃がさん。飛翔連斬っ!」
遠くに見えるミューが剣を振るうと、直後その先にいる貝たちが一刀両断、綺麗に裂かれていく。攻撃はそれで終わりでなく、同じ技が間髪入れずに何度も私を襲ってくる。なんとか走り続けて斬撃の波から間一髪避けるが、この攻撃かなり厄介だ。
まず目に見えない。魔法なら視認は可能だが、これは空を斬った際に生じる衝撃を飛ばしているだけ。一応風の流れでどこに飛んでくるか察することはできるが、私のいたって平凡な身体能力じゃどう考えたって先が見えてしまう。
それにほとんどインターバルがないのもかなり辛い。詠唱を口にする余裕はないし、思考だってまとまらない。
いや、一応あるんだ。すぐにミューを倒す方法は。いくらでも存在する。
でもそれを実行するには勇気がいる。別に一か八かの懸けというわけではない。
ノエル様の子孫を傷つける勇気が、私にはまだない。
「くそ……!」
いつまでもこうやって避け続けるわけにはいかない。だから私は、逃げることをやめた。
足を止めた瞬間、すぐ近くの貝が弾け飛ぶ。だが斬り裂かれているのはジュエルシェルだけではない。ジュエルシェルに捕まり、中で舌に拘束されている女性まで一緒に斬られているのだ。だが裂かれた身体は一瞬でくっつき、傍目には傷ついているようには見えないだろう。だからミューは平然と斬撃を繰り出せているんだ。ならこうすればいい。
「動くな。動けばこの女を殺す」
私はジュエルシェルから解放され、気を失っている剣士風の女性を抱え、首に指をかける。いわゆる人質作戦。××トラップダンジョン内では人が死ぬことはない。でもそれを外の人間は知らない。だからミューは。
「卑劣な下種め……!」
強く握りしめたまま聖剣を下ろすしかできないでいた。
「もう一度言う。黙って帰れ。これは最後通告だ」
強い口調で、そう頼み込む。あの家系にはこんな言葉が通用するわけないとわかっていながらも。
「断る。私は決して貴様のような下種には屈しないぞ、青の悪魔っ!」
「だったらどうするの!? この女を殺すっ!? できないでしょ勇者様っ!」
こうなったら追い詰めてテレポートゲートまで誘導するしかない。できれば装着系のトラップを食らわせて。そうすれば二度とここに入ろうとなんて思わないはずだ。
そう考え、触手系モンスターを召喚しようとした私の口は、次のミューの言葉を聞いた瞬間、別の形に動いていた。
「悪を滅するためだ。多少の犠牲はやむを得んっ!」
「――スライムキャット」
改めて剣を構えたミューの上空から大量の水色のスライムが降り注ぐ。猫の耳と爪、尻尾を持つモンスター。その身体は斬られても分裂し、さらに数を増やすだけ。魔法が使えない勇者一族では決して倒すことのできないモンスターだ。
「くそっ! このぉっ!」
「――思い出した。いや、忘れようとしてた」
纏わりついてくるスライムを斬り刻み、状況を悪くする勇者に言う。
「あんたたち勇者の一族には死んで当然の屑がいるってことを」
「このモンスター……! やはり貴様が曾祖母をっ!」
ミューが何かを言っているがもう興味がない。私が死に追いやられる原因となったモンスターで子孫が命を終わらせることになるとはね。つくづくあの女が間違えていたってことだ。
「こいつ鎧の中に……やめろそこは……! くっ、ぁっ、あぁっ」
ついに捌ききれなくなったミューの身体を大量のスライムキャットが覆い尽していく。もうほとんど彼女の姿は見えない。あるのはただの青い塊。
「あ、これが青の悪魔の正体だったりして」
そんな冗談を口に出し、私はテレポートゲートを召喚する。これでもう決着はついた。
「さようなら。少しうれしくて、とても哀しかったよ」
もう返事がこない青い塊に、私はそう別れを告げた。
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