個人が開発した『原初の魔法』でない場合、基本的に魔法の詠唱には法則性がある。
たとえば今フィアが唱えた『超獄炎』だと、こうなる。
まず魔法の基本となる属性。この場合火だが、上級を超えると一段階詠唱が進化し、炎となる。
そして魔法のレベルを決める拡張子。下から無印、豪、猛、暴、超。さらに上もあるが、使える人間は基本的にいないので、今回は最上級の魔法である。
そして魔法の効果を表すもの。これは百を超える数があるが、『獄』は魔法を留まらせる能力を示している。
つまり『超獄炎』は、最上級の炎を、相手に延々と浴びせ続ける魔法である。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴が聞こえる。聞きなれた声なのに、聞いたことのない声だ。あの誇り高い勇者一族が身体の反応のままに声を上げている。
美しい御顔は一瞬にして焼きただれ、ただの炭へと朽ち果てる。その次の瞬間には元の身体へと戻り、また燃焼が続いていく。
身体を守るための鎧はこの猛火の中ではただの衣服に過ぎず、もうとっくにその原型を失っていた。鎧の下の誰にも見せたことのない肌だけはこんな状態でも拝めることはできない。いや、こんな状態だからと言うべきか。見せるものがなければ見ることはできないのだから。
××トラップダンジョンでは人間は死ぬことはない。故に何度でも生き返る。動くこともできないのに、永遠に。
つまりミュー・Q・ヴレイバーは、フィアの魔法によっていまだ焼かれ続けていた。時間にしてまだ三十秒も経っていないだろう。それでも私は、これまでの100年間よりも長くここにいると感じてしまった。それほどに悲痛な姿だった。
唯一姿を変えないのは聖剣・勝者の十字架のみ。だがミューはそれを手放さず。手放せず。筋肉もない姿に成り果てながらも掴んでいる。見ようによっては勇者の鑑ともとれるが、知識のある私には人体の当然の反応だとしか思えなかった。
「しぶといですね……まだ息があるなんて」
この大火事を引き起こした犯人、フィアが杖をくるくると回しながら炎を遠くから眺める。
「……このダンジョンでは人は死なないから」
「えっ!? そうなんですか!? まぁでもあんまり変わらないですね、この炎は自然に消えることはありませんし、動けないなら死んでるも同然です。討伐完了、報酬がもらえないのが残念です」
そう。もうミューは動くことはできない。だから私たちにとって、死んでいるのと何も変わらない。
だがミューは生きている。生きて、苦しんでいる。終わりのない痛みに。
「あの、やっぱりお知り合いだったんですか? 戦いたくないようでしたし……でしたら申し訳ありません。こんな結末になってしまって」
「いや……知り合いじゃないよ。初めて会った」
ミューと出遭ったのは今日が初めてだ。でもその血と出会ったのは遥か昔。100年以上前のことだ。100年前から知っている、とても大切な人だ。
だから終わらせてあげよう。この苦しみを、私の手で。
「魂の……転職」
私は唱える。ミューを殺してあげられる魔法を。この距離から矢でも使って頭を打ち抜けばそれで終わりだ。ミューは死ぬ。ミューを、殺せる。
でも――私は。
「フィア……」
「はい? どうしました?」
気づいた時には、私の手からダンジョンブックが零れていた。
「やっばりだずげであげるごとはでぎないがなぁ……」
声が、身体が震える。涙が、想いが溢れる。
「だいぜづなひとなんだよ……ずっとあいたがっだんだよ……ちがうげど、ノエルさまじゃ、ないげど……わだじは、このひとに、いきててほじいよぉ……!」
この人は私を殺そうとしている。殺さないと私が死んでしまう。それでもミュー……様に死んでほしくない。
もう散々悩んで、フィアのおかげで戦うことを決めたけど、どうしても、無理だ。
ミュー様の怨みとか、国民の無念とか、フィアの気持ちとか、一度はそれで納得したけれど。結局それは私の気持ちじゃない。ただ逃げていただけだ。向き合うのが怖いから他人の意見に流されていただけだ。
私のやりたいこと。そんなの決まっている。最初からずっとそうだったじゃないか。
「私はノエル様に救ってもらって。ザエフ様の秘書官だったから。その血を引くミュー様を幸せにしたい」
それだけが、私の全てだ。
「……ユリーさんがそれでいいならわたしは構いません。でもどうする気ですか? この人はあなたを殺しますよ」
私の想いを汲みながらもフィアの顔は渋い。馬鹿と思っていたけど、私なんかよりよっぽど現実が見えている。本当に馬鹿なのは私の方だ。
「話すよ……。話して、わかってもらう。私はザエフ様を殺していないって。それしか……私にはできない」
そんなの無理だとわかっている。100年前の出来事の証拠なんてないし、話が通じるわけがない。それでもこれしか道がない。こうすることでしか、私はミュー様と始まれない。
「……わかりました。でも危ないと感じたらすぐに止めますよ」
「うん、迷惑かけるね」
「いえ、お礼ですから」
フィアが私から少し離れ、杖を手元でくるくると回し魔力を溜める。一応溜め時間がなくても魔法は撃てるが、しっかりと準備したものと比べると威力は段違いだ。しかも強力な魔法であればあるほどチャージに時間がかかる。まぁフィアの短時間での魔法は普通の魔法使いが十分に魔力を溜めた時とほとんど同じ威力なんだけど。
「どれくらいかかりそう?」
「うーん、同じランクの水魔法を使うので、完全に鎮火させるとなるとあと十秒ほどはかかりますかね」
「そっか」
あと十秒……。魔法使い基準で考えれば異常に早いが、私とミュー様にとっては耐え難い時間だ。もう少しの辛抱だと、たとえ聞こえていなくても呼びかけようとした時、異変に気づいた。
「いない……?」
ミュー様の姿が見当たらない。完全に燃えて灰になった……わけではない。
「貴様だけは! 死んでも殺すっ!」
炎から抜け出したんだ。私とフィアが離れるのを劫火の中で窺い、延々と朽ちる身体で駆け、ただ私を殺すためだけに。
「ミュー……様……!」
炎から逃れたことでミュー様の身体は純白の美しい御身体を取り戻している。衣服を纏わず空を駆けるその姿はまるで神話のようだ。
そしてかつて私を救った剣で私の首を――!
「豪回転銃凍!」
刎ねる寸前、その御身体は氷に包まれた。
「……ぎりぎり、間に合ってよかった……!」
フィアが放った高速の冷凍光線によって、氷塊の中に囚われたのだ。
「……ごめんなさい、やっぱりこの人を助ける話はなしです。命の恩人が殺されるのをわかっていて放置はできません」
ことん、という音を立てて床に落ちる氷塊を睨み、フィアがそう吐き捨てる。
「――そうだね……今は、まだ……そうするしか、ないかも……」
その言葉に私は頷くことしかできなかった。
氷塊の中。私に向けた殺意で醜く歪んだ勇者の顔を見てしまうと。もう、何も言えなかった。
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