スーラが壁際で高く飛び上がる。重力のせいで高くは浮けないが、それでも全力で。
フィアが理想だった。あんな単純で、馬鹿で、かっこいい戦い方ができたら。
(ずっと無理だと思っていたけれど、)
「諦めないって、案外大事ね」
スーラは宙で両腕を斜め下に見えるキャバへと向ける。
そして叫んだ。
この場所だけでできる、理想の戦い方を。
「エクサ・アクランっ!」
初級魔法も使えないスーラには当然超級魔法は使えない。それでも激しい水が盾を構えるキャバへと降り注ぐ。これがスーラの全力だった。
フライメイルは普通の人間には使えない。必要量に対して魔力が大きすぎるから。どうやったって暴発してしまう。
だからといって、魔力が微弱なスーラがコントロールしていないわけではない。少ないながらも魔力に強弱を持たせて宙を自在に舞っている。
だが今のスーラの魔法は、全身全霊最高最強。スーラにとってのマックスの威力だ。
少ない魔力で人間を宙に浮かすほどの火力を得ているフライメイルの特性だ。スーラの低すぎる限界でも、実際の超級には及ばなくても、ヒャドレッドを苦しめられるだけのポテンシャルはあるはずだ。
「まぁ俺としてはどっちでもいいんだよ。お前を見逃そうが、殺そうがなぁっ!」
傘のように盾を頭上に掲げて水流から身を守るキャバ。こんな攻撃くらい完全に防げるだろう。
だがここは普段より重力が強く、そこからさらに水流も上から落としている。堅牢で重い盾を上に構えて平然としていられるわけがない。
それこそがスーラの狙いだった。魔法で倒せなくても、結果的に倒せればそれでいい。
重さで潰れるのがベスト。盾を落とさせるだけでもいい。それで盾は触手の粘液で溶かされるはずだ。
××トラップダンジョンの生命維持機能で魔力が尽きないスーラは、これを延々と続けることができる。
だが人間を宙に浮かせるほどの威力の水を発しているのだ。当然スーラの身体は後ろに下がるが、壊れない壁のおかげでそれを防いでいる。
「ぐ、ぁ、あ……!」
しかしその分の衝撃は全てスーラの身体にやってくる。馬車に前後から挟み込まれているようなものだ。腕がひしゃげ、全身の骨が粉々に砕け散る。
だがその度に身体は回復していく。実質的なノーダメージだ。
それでも痛みがなくなるわけではない。文字通り死ぬほどの痛みが常にスーラを襲っている。
でも痛みには慣れている。普段から大人モードを維持し、身体に負担をかけているんだ。これくらい、耐えられないわけがない。
そして何より、ここで逃げる心の痛みよりは何倍もマシだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
頼むから倒れてくれ。敵を倒すという気持ちよりも、早く終わってくれという感情がどうしようもなくスーラを襲う。それでも、
「くそくそくそくそくそくそくそくそっ!」
キャバが歩みを止めることはない。盾のせいで表情は見えないが、ゆっくりではあるが着実にスーラの方へと近づいてきている。
駄目なのか。××トラップダンジョンの力を借りて、自分の限界を限界まで引き出しても尚、少しのダメージも与えられないのか。
身体と心の痛みがピークへと達した時、スーラの視界に一人の人間が現れた。
イユだ。空中にあるテレポートゲートからうつ伏せになったイユが降ってきた。
でもそれで戦況が変わるわけではない。イユは後ろ手に縛られていて、銃を撃つには相当の努力が必要なはずだ。それにたとえ撃ったところで致命傷は与えられないだろうし、火力不足の今位置交換はまるで役に立たない。
せめて縄が解ければまだ可能性はあるのだろうが……。
そしてスーラはある可能性に辿り着く。ユリーがこのフロアにスーラとイユを送り込んだ理由。それがもしこのためだったら。
「――くそ」
最後に絞り出たその言葉は、今までのどれよりも心の底から出たものだった。
「はっ」
スーラは水流の放出をやめ、宙を飛んでイユの下へと近づく。
「ぁっ、ぁっ、だめっ、さっきっ、いっ、った、ばっかなのにっ、ぁっ、ぁっ」
うつ伏せに倒れ、身体の前面を触手に責められているイユを立ち上がらせる。やっぱりそうだ。
「このっ……!」
身体が熱くなる。怒りと惨めさによって。それでも今はこうするしかない。
「起きてっ!」
「ふわぁっ」
スーラは手のひらから放出した水をイユへと浴びせる。
「はぁっ……はぁっ……あれ……なんで……」
ようやく正気を取り戻したイユが今の自分の状況に気づいた。
「縄が……解けてる……」
このフロアの触手から発せられる粘液は装備を溶かす。それは決して解けないカースロープにも例外ではなかった。
つまりイユの制服の前面部分と一緒に、縄も溶けてなくなったのだ。
これがユリーがスーラとイユをこのフロアに飛ばした理由だ。粘液に縄を溶かしてもらい、スーラが起き上がらせる。そしてイユが敵を倒すという寸法だ。
つまり、スーラのポジションは本当に誰でもできたのだ。もっと言えば、最悪いなくてもイユが自力で起き上がれれば問題ない。いてもいなくてもあまり変わらないけれど、他に行かせるところもないからここに飛ばした。
「まさかここまでその通りとはね……」
もう笑うしかない。自分で言っといて、いざ使えないと宣言されたらされたで傷ついてるんだ。
惨め。なんて惨めなんだろう。
(まぁユリーちゃんを責めるわけにもいかないか。弱いあたしが悪いんだ)
そう笑いながら微かに涙を浮かべるスーラだったが、実際のユリーはそんなこと全く考えていなかった。
ユリーは有利な層に飛ばすと言っていた。言葉通りだ。この層ならスーラはキャバに勝てると踏んでいた。
スーラの武器は機動力で、それは腕だけのブースターでも変わらない。対してキャバは重くて大きな盾を抱えている。
鍵は体重移動だ。キャバの周りを走り回り、盾を振らせる。勢いよく身体を回転させればこのフロアなら転倒は免れない。転ばせてしまえばスーラの勝ち。下の触手と上のスーラで適当に攻めていれば勝てる。スーラが自分の限界を決めつけ早々に諦めた接近戦さえできていれば勝てたのだ。
むしろ役に立たないと踏んでいたのはイユ。頭をおかしくされ、縛られているイユが邪魔だった。かと言ってフィアの方に行かせるわけにもいかない。馬鹿なフィアは確実に気を遣ってしまい、戦いに集中できなくなってしまうから。
だからイユをスーラに託した。誰でもない、スーラにしかこれはできないと思って。これ以上にないくらいユリーはスーラを信頼していたのだ。
だがその事実を知る由もないスーラはイユに言う。
「あたしは何もできなかった。悔しいけど、後は頼んだわよ」
まだぼんやりとしている頭で素早くフィールド、敵の様子を把握したイユは「ほんとうにそうかなー?」と思ったが、スーラの今にも死んでしまいそうな青白い顔を見て何も言えなくなってしまう。
「まーいいや」
後のことは後で考えればいい。それよりも今は。
「この世で一番無駄なのって、同じものを二つ買うことだと思うんだよねー」
お金は有限だ。無駄なものに使う余裕はない。それなのに服の前面は破け、靴もボロボロだ。購入する他ないだろう。
「カッパのキャバ……確か6700万だったっけ……」
ヒャドレッドに限らず、凶悪なモンスターには懸賞金がかかっている。同じものを買うのは屈辱だが、これだけあれば気持ちの面でも相当なプラスだ。
「ということでー、あなたの首で服を買うのでー。無駄に騒がないでねー、時間の無駄だから」
ボロボロのジャケットを結んで胸を隠し、イユは銃口をキャバに向けた。
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