「ネバネバオトシアナ! テンタクルオトシアナ! スライムオトシアナ!」
ユリー、ミュー対ニェオの戦い。まず仕掛けたのはユリーだった。
相手は目にも止まらぬ速さで動く化物。それへの対策は単純。自身の周囲をいくつもの落とし穴で囲い、走ってこれないようにすることだ。
これでニェオは床を走れず、拷問具のある壁もつたえない。残りの道は空中だけ。浮いてしまえば自慢の速さも意味を成さない。
「スピードグラス、2!」
だがもしも突破された場合、ユリーたちでは動きを捉えることもできない。そこでかけるとあらゆるものがスローに映るこの眼鏡の出番だ。本来は冒険者の恐怖を倍増させるためのトラップだが、それも使いよう。二つ召喚し、片方をミューへと手渡す。
「はい、これ。身体が慣れるまで時間はかかると思うけどないよりマシだから」
「ああ、助かる」
だがこれだけでは不十分だ。ニェオを倒すにはまだまだ下準備が……。
「そんにゃモンでにゃーを止めたつもりか?」
落とし穴を張ったところは見せたはずだ。それなのにニェオはこちらに駆けてきた。
(でもこれで落とし穴に落とせれば勝ち確……いや!)
ニェオは落とし穴の上を平然と走っている。それなのに落とし穴が作動しない。いや、作動しているが、ニェオが速すぎて穴が開く前に移動できてるんだ。
(口を開く時間はない……!)
いくらスローに映っても、身体が反応するわけではない。舌打ちする時間もなく、ミューは眼前にまで差し迫っていた。
「はぁっ!」
だが近接戦闘のエキスパートであるミューはユリーとは段違いの反射神経を持っている。ミューが腕を振り上げるのに合わせ、カウンターの要領で一薙ぎに斬り裂いた。
「やっ……てない……!」
横薙ぎは当たったように見えたが、ミューの死体も血さえも残っていない。確実に躱されているが……どこに……!?
「ずいぶんとのれぇーにゃぁー」
「!」
空中で斬撃を躱したニェオは。
「そんなんじゃ欠伸も出にぇーぜ」
振り抜いたミューの剣の上に猫のように座っていた。
「テンタ――」
それを確認たユリーは触手を召喚してニェオを捉えようとする。だがそれは叶わなかった。
「にゃ――――――――っ!」
それはただの鳴き声。咆哮に近いが、それでもただ声を上げただけに過ぎない。それなのに、
「がっ……!?」
ユリーとミューの身体がゆっくりと地面に落ちていく。耳からは血が噴き出ており、眼鏡は粉々に砕け散っていた。
(最早ソニックブーム……! ていうか、まずい……!)
二人の世界に音という概念が消え去った。鼓膜が破れたんだ。
(耳が聞こえないということは言葉を正確に発せないも同義! これでダンジョンブックや魔法は使えない……!)
こうなってしまえば戦えるのはミュー一人。だがただでさえ目で追えないのに、聴覚も失っては攻撃を当てるなんて不可能に近い。勝算がゼロになってしまった。
(私は……何ができる……?)
それはミューが一人だったらの場合。今ここにはユリーがいる。サポートし、勝たせるのが秘書官の仕事。でもいくら指示しても聞こえないんじゃ……!
「――ぃや」
ユリー・セクレタリーは、ミュー・Q・ヴレイバーの秘書官じゃない。
おいしいところをくれてやる必要はないのだ。
「がぁっ!」
床へと倒れかけている身体を必死に動かし、眼鏡の破片を手にする。そして全力で首へと刺すことで、あんなに怖かった自死を敢行した。一度死を迎えたことで身体が万全の状態へと戻る。
「七の手・回転銃――!」
ユリーはまだ床には着いていない。つまり、一緒に落ちたニェオの身体も身動きが取れない空中にいるということだ。
「――猫弾子っ!」
それは十手の棒身と鉤の間から放たれる銃撃。軌道や速度は通常のライフルと同程度だが、任意のタイミングで炸裂、さらに強烈な破裂音を出すことができる。
「にゃぁっ!?」
銃弾はニェオの脇腹へと命中する。そしてこのタイミングで炸裂。ニェオは痛みと音で怯むが、耳の聞こえない勇者には関係ない。
「やっぱおいしいとこはあげます……!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ユリー、ミュー、ニェオ。三者とも床へと体勢を崩して落ちている最中だ。その中でミューだけが無理矢理身体を捻り、脚だけを着地させる。そして無理な体勢で必死に踏ん張りをきかせ、剣を振りかぶる。既に亀刻の効果は消えている。阻むものは何もない。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
そして、一閃。
「にゃ――!」
ニェオの身体を胴体から真っ二つに斬り裂いた。
「スウナ、お願い……」
「か、かしこまりましたっ」
さすがに真っ二つに斬られたら生きているわけもない。頭から床に落ちたユリーは、回復のエキスパート、ナース服を着たモンスター、スウナを召喚する。
「すぐに治しますからね……」
スウナが駆け寄ったのは鼓膜が破れたままのミュー。自分の怪我はせいぜい頭を打ったくらいなので、ユリーはミューの治療を優先させたのだ。
「……そろそろ大丈夫だ」
スウナが回復魔法を耳に当てて数十秒。あっという間にミューの聴覚は元の状態に戻っていた。
「やったな、ユリー……」
そしてミューはユリーがいる後方へと振り返る。
「ごぼっ!?ぐびゅっ、ぐぼっ!?」
水色の液体に上半身を包まれ、悶えているユリーに、ようやく気づいた。
「な、にが――!?」
ニェオではない。スライムだ。水色の、猫耳と尻尾が生えた、スライム。それは曾祖母の仇。そして自身の血にも僅かにだが確かに流れている生物。
「スライムキャット――!?」
「さすがにこいつには詳しいよにゃー、勇者」
スライムが喋った。ニェオと同じ口調、同じ声で。
「よっと」
上半身だけでは飽き足らず、ユリーの全身を包み始めたスライムからミューと同程度の大きさの塊が分裂する。それはあっという間に人の形へと変わり、元のブロンドの髪を取り戻した。
「なぜ、生きている! ニェオっ!」
見間違いではないし、擬態しているわけでもない。見た目、オーラ。どれを取っても魔王軍大幹部の一員、つい数十秒前に斬り裂いたはずのニェオだった。
「なぜって言われてもにゃー。単純ににゃーに斬撃は効かにぇーってのが答えかにゃ。それにこのダンジョンのおかげで銃撃の怪我も治ってきてるしにゃ。ま、さすがに純粋にゃ人間とは違ってかにゃり遅いが……」
ニェオの姿が消えると同時に、ミューの身体が後ろへと吹き飛ぶ。高速での蹴り。その速度は斬る前とほとんど変わっていない。
「どう、なっている……!」
拳を固く握りしめ、ミューは立ち上がる。今の蹴りで勝者の十字架を落としてしまった。今のミューには武器がない。
「まだわかんにぇーか。ま、さすがにこれでわかんだろ」
呆れたようにため息をついたニェオは、落ちている勝者の十字架を拾い上げた。
「無駄だ、そいつは勇者の血を持つ者にしか使えん……!」
「だから使うって言ってんだろー?」
ニェオの高速移動と同時に、勝者の十字架の斬撃がミューの左腕へと注がれる。だが勇者ではないものが使った場合、「斬る」という剣の能力は完全に失われ、ただの金属の塊になっているはずだ。それなのに、
「ぐ、ぉ、お――!?」
ミューの左腕は完全に分断された。ダンジョンの効果ですぐに元に回復するが、そんなことはどうでもいい。
「なぜ、使える……!」
「ここまでやってもだめか。ま、しゃーにぇえ。教えてやるとするか」
剣を担ぎ、ニェオは言う。いや、正確には、
「にゃーの本名は、ニェー・О・ヴレイバー」
勇者の血を持つ存在。
「勇者とスライムキャットの間にできた娘の内の一人がにゃーだ」
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