「ぐ、ぅ、ぁ……!」
「驚いているようだな、青の悪魔。私が魔法を使えることに」
私を木属性の初級魔法である大樹で縛りつけ、ミュー・Q・ヴレイバーは不敵に笑う。同じ顔を何人か見てきたが、誰もしなかったタイプの笑みだ。私をハメられてよほど気持ちいいのだろう。
「そりゃ、ぁ、驚いているよ……勇者様がこんな不意討ちをするなんぐぁぁっ」
「減らず口を。今貴様の命を握っているのは私だ。言葉には気をつけろよ?」
締め付けを強め、今度はイラついた表情を見せるミュー。ノエル様も挑発には弱かったし、こういうとこは変わってないんだね……。
でも驚いているのは事実だ。だって勇者の一族は魔法を使えない。正確に言えば身体に魔力を宿すマカという器官が存在しないんだ。なのに初級とはいえ魔法を使用した。勝者の十字架を振るっている以上勇者であることは間違いないのにだ。おそらくスライムキャットも魔法で倒したのだろう。
それにしてもどうしたものか。捕らわれた衝撃でダンジョンブックを落としてしまった。こうなった私は普通の女の子。トラップダンジョンの力で死ぬことはないが、逆に言えば何度も死の痛みを感じてしまうということ。トドメを刺す際に蔦ごと斬ってくれれば助かるが、トラップダンジョンの特性に気づいてしまったら終わることのない拷問が始まることになる。
とりあえずやるべきことはミューを煽り、怒りのままに一振りで殺されること。どう言おうか悩んでいると、再び勇者は嫌な笑みを浮かべた。
「皮肉なものだな。貴様の策略が巡り巡って自身を苦しめることになるとは」
「は、ぁ……?」
私の策略? ザエフ様にスライムキャットをけしかけたってやつか? それが何を……。
「! う、そでしょ……?」
「自覚したようだな。貴様の罪を」
自覚、ではなく気づき、だ。私はモンスターの生態にはくわしい。だからわかってしまった。このおぞましい事実に。
「スライムキャットに……子どもを産まされた……?」
言っていて吐き気がする。裏切られたとはいえ、一度は仕えると心に決めた御方の末路を想像すると、今にも喉をかっ切りたくなる。
殺してやりたい。ザエフ様を止められなかった私を。
「そうだ。私は勇者とスライムの血を持っている。そのせいで純血である曾祖母以前ほどに剣を扱えなくなったが……代わりにモンスター由来であるマカを小さいが手に入れた。初級程度しか使えないが、これだけで十分だったようだな」
ミューの視線が私の真下に落ちているダンジョンブックを捉える。戦闘の際にずっと持っていたんだ。これが私の力の源だと気づいているのだろう。
「情けだ。最期の言葉くらい聞いてやろう。曾祖母への謝罪だった場合、即首を撥ねるが」
太い蔦を跳躍だけで上り、蹴りで大穴を空けて足場を作ると、ミューは私の首の前に剣を置く。復活は身体の面積で決まる。首を斬られた場合は身体がベース。蔦が身体を解放することはないだろう。
それでもいいと思った。私は殺されるべきだ。何度も、何度でも。それが私の罪だ。
ザエフ様を止められなかった。100年前、私がきちんと説明できていれば。たとえ命を失ったとしてもザエフ様を引き止められていれば。私の主人を辱めることはなかったのに。
彼女たちの100年間を想うと涙が出る。勇者の一族は数千年前に当時の魔王を滅ぼし、世界を救ったとされている家系だ。それはただの伝承ではないと、勇者しか振るえない聖剣が物語っている。
そんな偉大で唯一の血が、混ざってしまった。下級モンスターなんかのものと。
きっと酷い屈辱だったのだろう。私でさえ怒りで狂ってしまいそうだ。当人たちの苦しみは私如きでは計り知れない。だって私はこの100年間。毎日平和にスローライフを送っていたんだ。元の世界のことを。ザエフ様を。ノエル様のことを忘れて。
真実はどうあれ、世界の常識では私がザエフ様を貶めたことになっている。だったらもうそれが真実だ。人間の平均寿命は60歳。私と同じ時代を生きた人はもうこの世に存在しない。私の無実を望んでいる人なんて誰もいない。
だったらここで私が殺され。何度も何度も殺され。最期に全ての国民の前で大罪人として処刑されるのが。正しいのではないだろうか。
そうだ。それがいい。それがザエフ様を救えず、ノエル様との約束を守れなかった私にふさわしい末路。
「死ぬのが恐ろしくて涙を流すか。青の悪魔とあろうものが無様なものだ」
もう訂正する必要も意味もない。私は悪役でなければならないんだ。この100年間の全ての怨みを一身に背負って逝かなければならない。
だから私が言うべきことは悪口だ。ノエル様を。ザエフ様を。口汚く罵り、これ以上ないくらいに汚し、死ななければならない。
あぁ、言いたくないなぁ。嘘でも言いたくないし、思い浮かばない。
ザエフ様はまず性格だよなぁ。でも私は全然彼女のことを知らない。知ろうとせずに逃げてしまったんだ。あれが本心だったのか、何か仕方のない理由があって私を殺すしかなかったのかもわからない。
ノエル様は……。ノエル様は。ノエル様は――。
『もう大丈夫だ。君は私が助ける』。
駄目だ。ノエル様の悪いところを探さなきゃいけないのに、どうしてもできない。
『君の家族を助けられずすまなかった。心の底から謝罪する。だが今日から私が家族だ。代わりにはならないが、命を懸けて君を幸せにしよう』
100年以上前のはずなのに、昨日のことのように思い返せる。ノエル様の優しい御顔を。暖かい声音を。
『ユリー、別に私のために生きなくてもいいんだぞ? お前はお前の幸せを手にしていいんだ』
違うんです。ノエル様。私はあなたのために尽くすことが何よりの幸せなんです。
『私は明日、魔王討伐に向かう。ユリーは秘書官試験だったな。その実力なら必ず合格できる。そうしたら……いや、また帰ってきてから話すとしよう』
ノエル様との最期の会話。今思えばきっとノエル様は生きて帰ってこれないことを悟っていたのだろう。じゃなかったらあんな遺書は残さない。
『ユリー。あなたは私の誇りだ。どうかその力を娘に貸してあげてほしい』
100年前。その遺された言葉に謝罪した。できなかったから。私じゃ力不足だったから。
もう一度謝りたい。でもできない。悪く言わないといけないから。
そうだ。そのことを言おう。私の実力を見抜けられなかった観察眼。これだけは事実だ。私なんかを信じてしまったなんて。勇者として恥でしかない。
決意を固め、私は口を開く。100年間避けてきた死へと向かうために。
「火っ!」
しかし開きかけた口は何も言葉を発せず、身体は燃え盛る蔦と共に床へと落下した。
「ぁ、ぐっ」
受け身も取れずに床を転がる私の手にはダンジョンブックが握られていた。癖で近くにあった本を拾ってしまったんだ。
「もう大丈夫です」
何が起きたか理解できていない私の前に、一つの陰が躍り出る。燃え朽ちる蔦を正面に捉え、彼女は言う。
偶然にも、あの御方の言葉と同じ台詞を。
「あなたはわたしが助けますっ」
そう宣言してにっこりとした笑みを浮かべて振り返ったのは。
「フィア……?」
私が二度も助けた少女だった。
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