――六月三日、午後四時ごろ、東京都武蔵野市。
武蔵野警察署の署長、岩田恭太郎のパソコンに、一通のメールが届いた。
「何だ? これは……」
悪戯かもしれない。悪戯だとしても、性質の悪い冗談だ。だがしかし、悪戯ではなかったとしたら……。様々な考えが彼の頭を過り、念には念をと考えた彼は、生活安全課課長の宮波徹人、刑事組織犯罪対策課課長の桶田英俊の二人を署長室へ呼んだ。
「悪戯、でしょうか……?」
「しかし、万が一というのもありますし……。もし本当なら、千人近くの犠牲者が出ることになります。本当にそれだけの殺人が起これば、歴史に残る大事件になりますよ……!」
事情を聞いた二人も判断しかねるといった様子で、三人で画面を睨みつけていると、新たな通知が届いた。新着メールの通知だった。メールの差出人は先ほどと同じ。その恐るべき内容に、三人が三人、目を見張った。
『さっきのメールは悪戯ではない。君たち警察に本気で挑んでもらうために、一つ、余興を見せよう。場所は東京都武蔵野市境南町四丁目二十の三。ここに取り壊し予定の廃ビルがある。中には三人の男子高校生が拘束されている。ここを今から五分後に爆破する』
宮波はすぐに、近辺を警ら中のパトカーに急行するよう無線を飛ばす。桶田も爆弾処理班の手配を試みるが、間に合いそうにないと見るや、近隣住民の電話番号を片っ端から調べ上げ、避難を促す電話掛けをするよう部下に指示を出した。あと五分で爆破されるという切迫した事態に、もはや形振り構ってはいられない。署長の岩田はメールの送信元に、要求は何だ、待ってはもらえないかと交渉を試みるも、返事が返ってくる様子はない。
そして、予告の五分が過ぎた。と、警ら中のパトカーから連絡が入る。予告通り、当該場所にて爆発音とともにビルが崩落したとのこと。幸い、近隣住民には被害はなく、爆発というよりはビルの崩落に留まったようだ。しかし、肝心の中に拘束されているという男子高校生はどうなっただろう。もし本当にいるとすれば、存命は難しいように感じられた。程なくして到着した消防隊員、救急隊員により、中から三人の男子高校生が発見されたが、いずれも瓦礫の下敷きになり、身元の確認も難しい状況で、即死で間違いないという。
「くそっ! 何だってこんなことに……っ!」
苛立ちを隠せない岩田の元へ、再度、新着メールが届く。
『これでわかってもらえただろう。警察の威信にかけて、本気でかかってきたまえ。追伸。三人の高校生を救えなかった情けない警察諸君への慰みとして、彼ら三人の身元を紹介しよう』
そのメールに添付された三枚の画像は、それぞれ死亡したとみられる男子生徒の学生証だった。後の司法解剖の結果、死亡した三人は添付された学生証の生徒と合致することが判明した。
「……もはや我々だけで対処できる問題ではない。SIRへ捜査協力の依頼を、本庁に要請しよう」
* * * *
予告状
愚かなる警察諸君へ。
君たちを私のゲームへと招待しよう。来る七月二十五日、東京都武蔵野市にある、東京都立瀧上高等学校の全校生徒を一人残らず殺害する。君たちが阻止できなければ、全校生徒八七三人の命はない。もし阻止できれば、私は武蔵野警察署へ出頭すると約束しよう。期日までに私の正体を突き止め、確保した場合も、君たちの勝ちだ。
ただし、休校措置や短縮授業などの措置で、生徒が通常の学校生活を送れなくなった場合には、先に述べた期日に関係なく生徒一人ひとりを殺害し、合計八七三人の生徒を殺害する方針へと変更させてもらう。
この予告状について、私からマスメディアへの公表はしない。公表するかどうかは、君たち警察が選ぶといい。
では、互いの健闘を祈る。
* * * *
――六月六日、午後二時頃、警察庁。
「本日、東京都知事、警視庁刑事部長、警察庁刑事局長、都立瀧上高校学校長との間で会合が行われた。そこで決定した事項だが、まず、この予告状のことは公表しないことになった。もちろん、瀧上高校の生徒、保護者たちにも、だ。その上で、極秘に捜査、警備を行うことになった。武蔵野市の警備体制を強化するとともに、瀧上高校に常時警備員を配置。そして、事務員として警視庁捜査一課の刑事が潜入捜査に当たる。我々SIRからは、科乃が生徒として潜入捜査をすることになった」
武蔵野署に届いた大量殺人予告は、当然のようにSIRにも捜査協力の要請が回ってきた。しかし、事態の重要性を鑑みて、彼らの直属の上司である警察庁刑事局長、白鷺仁が各方面との話し合いの場を設けたのだ。
「えっ、わたし、学校行っていいの?」
「ああ。犯人が外部とも限らない以上、生徒との接触は必須だ。年齢的にお前が適任だと判断された。もちろん、別で護衛をつけることにはなったが」
“スクール”の研究施設で生み出され、十六年間、施設の中に閉じ込められて育ってきた彼女には、叶わないとわかっていても抱かずにはいられない願望があった。その一つが、学校へ通うことだった。同じ年頃の者たちに上手く混ざることなどできないことはわかっている。それでも、同じ年頃の子供たちが当たり前のように過ごす生活を、自分も体験してみたかったのだ。期せずして、今回それが叶ったことは、科乃にとってこれ以上ないくらい嬉しい報せだった。
そんな彼女の心中を痛いほど察せてしまうから、映太はきっちりと釘を刺しておく。
「わかってると思うが、仕事だからな? 自由が与えられたわけじゃない。それは肝に銘じておけよ?」
「もちろん、わかってるよ。それで、わたしはどんな生徒でいればいい?」
彼女は遺伝子レベルで造られた“天才”。当然、普通の子供たちとは比べ物にならない頭脳の持ち主で、素のままではあまりにも目立ち過ぎてしまう。今回のような潜入捜査では特に、あえてレベルを落として周囲に上手く紛れる必要がある。
「既に瀧上高校の校長とは話をつけてある。平均より少し上くらいの生徒を演じてくれ。テストの点数で言うと、平均点より十数点高いくらいの学力の生徒と考えて良さそうだ。資料として、これまでの定期考査の問題と解答をもらってきたから、後で目を通しておいてくれ」
他にも、学校で使う教科書やノート、筆記具などの必要品を受け取り、彼女は興味津々といった様子で早速 物色し始めた。
「いいなぁ、しなのん。学校ってことは制服でしょ? いいなぁ。あ、でも、アタシはもうさすがにキツイか……」
「いやいや、レオだってまだまだいけるでしょー?」
すると、司が部屋の奥から大きな白い長方形の箱を持ってきた。
「制服は私が採寸して発注しておきました。合わなければ直しますので、言ってください」
箱の中身は学校の制服で、灰色と青のチェック柄のスカートと、濃い紺色のブレザー、鈍い水色に明るい青のラインが入ったネクタイと、黒い靴下、白いブラウスだった。
「え、ちょっと待って。ハッチーが採寸したって、わたしの制服を? どうやって?」
司の言っている意味がわからないというように聞き返す科乃に、司はさも当たり前のように返す。
「しぃちゃんは普段から薄着ですから、目測で大体わかりますよ。身長、体重、肩幅から腕周り、股下、スリーサイズまで」
「えぇ……怖っ」
恥ずかしいとは思わないが、プライベートな情報を盗み見ているような彼の行いに、科乃は少々蔑みの眼差しを送らずにはいられなかった。
「科乃、明日から早速任務に当たってもらう。いいな? くれぐれも……」
「わかってるって。自分の役割は忘れてないよ」
そうウインクすると、科乃は軽やかな足取りで居住区の自室へと戻っていった。
「だといいんだが……」
「大丈夫だって、しなのんなら」
「そうですよ、映ちゃん。私達も、万全の支援をしましょう」
「……そうだな」
――六月七日、午前七時頃、東京都武蔵野市。
武蔵野署の刑事、坂詰平太の運転で、科乃は瀧上高校の近くまで連れていってもらう。今日が初の登校日なので、少し早めに来るように言われていた。校長先生以外は一連の事情を知らないので、普通の編入生と同じ扱いを受けることになっている。
「あ、この辺で大丈夫です。あとは歩いていくので」
「わかりました。では、お気をつけて」
「ありがとう」
事務的なやり取りを交わし、車から降りて、朝の日差しを浴びながら舗装された歩道を歩いていく。彼女とすれ違う者はない。まだ登校時間には一時間ほど早く、部活の朝練ももう少し早い時間からだろうか。車道とを隔てるガードレールの内側の植え込み。すれ違い、追い抜いていく車。店舗よりも住宅の方が多い。ただ歩いているだけで、膨大な情報量が科乃の頭に入ってくる。普段の閉め切られた部屋の中とは大違いだ。
目的地が近づいてきて、どうしても気持ちが浮ついてしまう。開け放たれている正門を通り抜けて、来賓用の入り口に向かうと、そこに一人の男性が立っていた。長袖のワイシャツ姿の体格のいい中年男性。近づくと、かすかに煙草の臭いが鼻についた。気にはしているようで、ほのかにミントの香りもする。が、消しきれてはいないようだ。恐らく、彼が担任の先生だろう。科乃が来る時間はあらかじめ決まっていたし、右も左もわからない編入生を迎えるのは、やはり担任の先生なのだろうと思ったのだった。
「おはよう。君が新崎さん?」
「おはようございます。はい、わたしが新崎科乃です」
「担任の、川島進です。まず、下駄箱から案内しようか」
さすがにすべてとはいかないが、必要最低限の校内の施設を案内され、最後は職員室に辿り着いた。
「ホームルームの時にクラスの皆に紹介するから、一言、挨拶を頼めるかな」
挨拶、というのは自己紹介のようなものだと推測しつつ、どこまで話していいものか、何を話そうか、悩んで、すぐに決めた。わずか、瞬きをしてから次の瞬きまでの間の事だった。
「わかりました」
「じゃあ、行こうか」
職員室の壁に掛けられた時計を見ると、あっという間に時は過ぎていたらしく、ホームルームの時間まであと少しというところだった。徐々に騒がしさが増してきていたとは思っていたが、そんなに時間が経っていたことに、彼女は少々驚いていた。普段は時間を気にすることなく生活していたせいで、時間通りに物事が進むということに慣れていないというのもあるのだろう。
職員室のある二階から一つ上がり、三階の廊下を進んだ一番奥。そこが、科乃が編入した二年A組の場所。校舎の西側に位置し、突き当りは大きなガラス窓になっていて、夕方になると西日が射し込んで眩しくなりそうだ。
先に川島先生だけが教室に入り、クラスの生徒達へ諸連絡を伝えた後、教室の外で待つ科乃に合図を出した。その合図で科乃が教室へ入ると、途端に教室内にどよめきが沸く。大袈裟に騒ぎ立てたりはしないものの、高揚するクラスの雰囲気を一身に受けて、柄にもなく少し緊張してしまう。自分と同じ年頃の高校生とこうして対面する機会など、滅多にあることではない。科乃にとっては、生涯感じることの無いと思っていた瞬間なのだ。
「え、えっと……新崎、科乃です。編入したてでわからないことも多いですが、皆さん、よろしくお願いします!」
当たり障りのない挨拶で頭を下げると、彼女を歓迎する拍手喝采が降って沸いた。まずは第一印象で、おかしな点はなかったらしい。受け入れてもらえたことが素直に嬉しくて、自然と笑顔がこぼれた。
「新崎の席は窓側の一番後ろだ。何かわからないことがあれば、積極的に周りを頼っていくように。では、解散」
川島先生に指示された通りの席について、初めての椅子の感触、机の手触りを味わう。座り心地がいいとは言えないが、これはこれで味がある。学生にはこれが相応の物なのだろうと勝手に納得した。
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