薄暗い明かりが灯る室内。
「夜葉、落ち着きましたか?」
ゲートを抉じ開けて中へと戻ろうとする茉白を説得した夜羅。あの数を相手に生きている筈が無い。突き付けられたのは非情な現実だった。
夜羅の説得の甲斐あってか救いの街を離れる事に成功した二人は、弥夜の使用していた事務所へと帰還していた。
「……悪かったな」
「お気になさらず」
ソファに向かい合って腰掛ける双方。下を向く茉白と、そんな彼女を正視する夜羅。宥めるような優しい口調で「夜葉、一ついいですか?」と前置かれた。
「何度も言いますが、彼女は自分の意思で残ったのです」
「うちも見てた。解ってる」
「私達は柊に救われました。あのままでは確実に追い付かれていたでしょうから」
「護ってやるとか言ったくせに、うちが護られてどうすんだよ」
苛立ちの吐露。胸中は未だ荒んだまま。
「柊は、貴女に肉親や身内が居ない事を知っていた。群れる事を嫌う貴女が、まさか他者に身の上話をするとは。彼女とはどのような関係で?」
どのような関係、という質問に茉白は返す言葉を探す。真っ先に浮かんだのは、口煩く聞かされ続けた相方という言葉だった。「よりにもよってこれかよ」と自嘲の篭った笑みが浮かぶ。
「……相方だ」
「相方? ますます意外ですね」
「執拗い奴だった。どれだけ拒絶しても、人の心の中に土足で踏み込んで来る。でも、うちが受け取った事の無い愛情をくれて、食べた事の無いお弁当を作ってくれたんだ」
目元に手を当てる茉白。一体何故そんな動作をしたのか、彼女自身にも解らなかった。ただ一つだけ確かなのは、自身の手のひらに小さくて温い何かが当たった事。それは次第に面積を増し、手のひらから零れて地面へと滴った。
「すみません、訊くタイミングを誤りました」
「気にするな。理由はうちにも解らない」
「解らない? 涙は悲しい、悔しい、嬉しいなど、心が大きく揺れ動いた時に流れるものです」
「そんなこと誰だって知ってるだろ」
「はい。ですから、貴女は柊の事を大切に想っていた。違いますか?」
口を開けば、口が悪いだの足癖が悪いだの煙草をやめろだの注意ばかり。どれだけ突き放しても真っ向からぶつかって来る。
──でも。
うちの事を初めて認めてくれた。
うちの過去を聞いた時に泣いてくれた。
愛情の篭った弁当を作ってくれた。
本当に依存していたのはうちの方だったのかもなと、彼女自身にも形容出来ない感情が湧いた。
「今は気持ちの整理がつかない。ただ……会いたいと思ってしまう自分が居る」
「そうですか」
時間を置いて落ち着いた茉白は、事務机の上に座っていた熊のぬいぐるみを胸に抱く。僅かに残るは弥夜の匂い、相方の生きていた証。再びソファに腰掛けた茉白は胸ポケットから煙草を取り出した。
「夜葉、そのぬいぐるみは?」
「二日前、能力者に襲われていた餓鬼を助けた時にもらった」
目を細めて顔を近づける夜羅。熊のつぶらな瞳と感情を宿さない瞳が交差する。
「ジロジロ見るな。お前にぬいぐるみなんて似合わないだろ」
「でしたら、貴女は似合うのですか? 似合う訳ないでしょう。私の方が、可愛いものには関しては詳しい筈ですが」
「はあ? お前だけには言われたくない」
「まあ、この話はいずれ決着を付けるとして」
右手のひらを上に向けて差し出した夜羅。応えるように、拳ほどの大きさを持つ霊魂が具現化する。
「何だよ、やんのか? 確かに、うちを殺りたいのなら今が最適だろうな」
「単細胞は黙っていて下さい」
霊魂がぬいぐるみへと近付けられる。目と鼻の先に接近した時、霊魂はノイズを帯びたような異音を発した。
「やはり、微弱な電磁波を発しています」
「……電磁波?」
「この反応、恐らく盗聴器の類でしょう。つまりこの会話も筒抜けという訳です。そうですよね? 今も会話を聞いている何処かの誰かさん?」
「くそが、あの餓鬼」
「いえ、そのお子様も知らずに購入したのでしょう」
「ホテルでも同じものを見た。無差別にばら蒔いて何を考えてやがる」
「何かを探しているのでしょうか? ともかく、破壊しますのでこちらへ」
差し出された細い手をしばらく見ていた茉白は、諦めたのか名残惜しそうにぬいぐるみを手渡す。稀崎は熊の頭を躊躇い無く据ぎ取ると、綿の中に手を突っ込んで盗聴器を引っ張り出した。
「お前、ほんっとサイコパスだよな」
「何故です?」
「別に千切るのは頭じゃなくてもいいだろ」
据ぎ取られた頭に哀しげな視線が向く。はみ出した綿が無惨にも垂れ下がっていた。
「この方が効率的なので」
「はいはい、そうかよ」
背凭れに深く体重を預けて煙草に火をつける茉白。久し振りに感じられる煙の味が肺を満たした。
「一本、頂いても?」
「歳は?」
「十八ですが」
「餓鬼はやめとけ」
「制服を着ていながら、一体全体どの口が言うのでしょう? どういう神経の伝達をしたら、そのような言葉が出るのでしょう? 貴女の方が間違い無く餓鬼でしょう」
鬱陶しそうに舌打ちをした茉白は、無言で煙草を差し出す。
「ありがとうございます」
満足気に咥えた夜羅は、何かを待つように煙草を上下に揺らした。
「火くらい自分でつけろよ」
吐き捨てつつも夜羅の煙草に火を灯した茉白は、カウンターのように飛んで来た咳に驚いて身を仰け反らせる。弥夜と同じように涙目で咳き込んだ夜羅は、再び吸おうと口に運ぶ。だが、茉白がそれを取り上げた。
「吸えないなら最初からくれとか言うな」
「優來がよく吸っていたので今なら解るかなと思いましたが……やはり煙草だけは理解出来そうにありません」
「煙草なんて別に理解する必要も無いだろ。弥夜もお前みたいに、理解しようと吸って涙目になってたよ」
恥ずかしげに視線を泳がせる夜羅は、天井付近で居座る煙をぼうっと見据える。
「それで? お前はこれからどうするんだ?」
「その質問、そっくりそのままお返しします。破壊した盗聴器には小型のGPSもついていました。つまりこの場所は割れているという事」
「昨日、この近くでピエロの仮想をした男が餓鬼に風船を配ってたんだ。そいつの店で同じぬいぐるみが売られていた」
「何者です?」
「知るか。うちも初めて見た」
煙草を吸い終えた茉白は、続けて夜羅から取り上げた煙草を咥える。「間接キスでは?」と僅かに思考した夜羅は、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。
「まあ心配するな、この事務所に入るにはドアノブを規定回数捻る必要がある。お前もさっき見ただろ」
「いや……」と目を細める茉白。
思い出されたのは、ドアノブを捻る回数を弥夜から聞いた際、自身がぬいぐるみを抱いていた事だった。
「……入り方も知られてるな」
あくまで興味無さげにそう吐き捨てられる。呆れからかため息をついた夜羅は、手のひらで強くテーブルを叩いた。
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