「鬱陶しい……おい、こっちだ!!」
信号待ちをしていた車の運転手を引き摺り下ろした茉白は、内側から助手席のドアを蹴り開けて弥夜に合図を出す。放り出された運転手の男は口を大きく開けて放心していた。
「すみません、少しお借りしますね」
両手を合わせて申し訳なさそうに会釈した弥夜は、そのまま車に乗り込むと乱雑にドアを閉める。
「おい、どれがアクセルだ」
慣れていないのか、足元でガチャガチャと感覚が確かめられていた。
「茉白、貴女運転出来るの!?」
「出来る訳ないだろ十七だぞ!!」
「だったら変わってよ!!」
「お前は出来るのかよ!!」
「出来るに決まってるだろ十八だぞ!!」
口調を真似た弥夜は無理矢理に運転席を取り上げると、下がり過ぎたシートに浅く腰掛けてアクセルへと右足を伸ばす。
「届かないのか? 足みじか」
「あ? 何だって?」
「お前絶対うちより口悪いだろ」
車内の設備を即座に把握しようと、弥夜は神経を極限にまで研ぎ澄ませた。
「うげ、マニュアル車じゃん」
「無理なら変われ、うちがやる」
「ついさっき出来ないって言ってたでしょ、支離滅裂なこと言わないで」
「はあ? こんな時に下ネタかよ、センスが無いにも程があるだろ」
「お尻じゃない!! し・り・め・つ・れ・つ!!」
「何だそれ、誰の能力だよ」
「解ったから今は話し掛けないで、半クラ失敗したらエンストするでしょ」
舌打ちをした茉白は懐に手を忍ばせる。
「茉白? 車内は禁煙だよ」
「お前の車じゃないだろ」
「後で返すもん」
「……嘘つけ!!」
喫煙が牽制されると共に、車は排気音を轟かせながら発進する。慣れない操作でギアを上げていく弥夜は、漸くスピードに乗ると交差点を曲がり爆走の限りを尽くした。
荒過ぎる運転に車内は天変地異の如く荒れ、視界ですら曖昧と化す。目を回す茉白は外に弾き出されないよう、必死で車内でしがみ付いた。
「おい、お前絶対免許持ってないだろ!!」
「仮免許で路上を走る条件は、隣に誰でもいいから同乗者を乗せること」
「そんな訳ないだろ!! 誰でもいいって道連れの話か!? 変われ、うちの方がマシだ!!」
「ちょっと触らないで!! エンストするでしょ!!」
伸ばされた手を叩き落とした弥夜は、無我夢中で公道を疾走する。左右のミラーをぶつけては飛ばし、歩道に並んだ店の看板を薙ぎ倒し、順調にテクニカルなドライブが繰り広げられた。
「茉白の刀で切れた手のひらが痛いよ」
ハンドルを無理矢理に握りながら、眉を顰めての泣き顔が浮かぶ。
「だったら代われ」
「それだけは絶対嫌」
揺れる車体に併せて内部にも遠心力が作用し、茉白は何度も投げ出されそうになった。
「あ、やばいかも……!!」
バックミラーを確認した弥夜は焦燥を含んだ声を発する。理由は至極単純であり、先程と同じ蒼白の霊魂が無数に迫っていた。
「全部避けろ、仮免許所持者」
「無茶を言わないで、無免許運転未遂」
ふわりと不規則に浮遊する霊魂は他には見向きもせず、二人の乗る車にだけ狙いを定める。
「茉白、少し揺れるよ」
「もともと揺れてるだろうが下手くそ」
車体を左右に揺らしブレーキを駆使して霊魂をやり過ごす弥夜は、避け損ねた一つが天井部分に衝突した事に気付く。鉄が溶けるような臭いが車内に充満したと思われた矢先、天井部分は虫食いのように大きな風穴を晒した。
「嘘でしょ!? 車まで溶かしちゃうの!?」
吹き込む風に靡くどころか暴れる髪。風圧により僅かに息苦しさを覚えた弥夜は、歯を食い縛りハンドルを握る手に力を込めた。
「オープンカーみたいだな」
「意図せぬオープンはオープンカーとは呼ばない!!」
エンジンの駆動音を撒き散らしながら後部に追い付いてきた車より、再び無数の霊魂が解き放たれた。
「執拗い女だな……今此処でぶち殺してやる」
「大丈夫、必ず逃げ切ってみせるから」
助手席のシートに土足でしゃがみ込んだ茉白は、そのまま飛び上がると天井の穴より車外へと飛び出す。
「ちょっと茉白!?」
そんな一部始終を横目で確認した弥夜は素っ頓狂な声をあげる。茉白は僅かな広さしか残らない天井部分に着地すると、迫り来る霊魂を刀で斬り裂いた。裂けては後方へと流れていく霊魂は景色に置き去りにされて静かに虚空へと溶け入った。
「おい揺らすな!!」
「仕方ないでしょ我慢して!!」
脚を縺れさせた茉白は間一髪しがみつく事で落下を回避する。激烈な向かい風に半目で前方を見据えた彼女は、大型トラックが真正面より迫っている事に気付いた。
「前からトラックが来てるぞ!!」
天井部分の穴に顔を突っ込んで車内の様子を確認した茉白は、冷や汗をかいた弥夜と視線が合う。
「やっば……色々ぶつけ過ぎてブレーキ壊れちゃった」
「はあ!? どうすんだよ!!」
コンマ数秒思考を巡らせた弥夜は、生存本能に従いハンドルを強く握る。
「何処でもいいから掴まって!!」
大きく左に切られたハンドルに併せて、サイドブレーキが強く引かれる。後輪が即座に回転を失い、前輪を中心として歪な弧が描かれた。
身体が千切れそうになる程の激烈な遠心力。
起死回生のドリフトが行われ、凄まじいスキール音が辺りに響いた。
交差点を曲がりきって停止した車に安堵した二人は、追い討ちのように響いた爆音により身体を脈打たせて驚愕する。音の出処は先程まで二人が走っていた道路であり、トラックと稀崎の乗る車が正面衝突した際に発せられたものだった。
「ざまあねえな、稀崎」
迸る火柱。ガソリンに引火した炎が瞬く間に灼熱の領域を拡大させてゆく。肌を焼く押し寄せる熱風。地面にはっきりと刻まれた轍が、極限状態で掴み取られた生の儚さを物語っていた。
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