特別警戒区域アリス。
空気は淀み、灰が舞う。
車を奪い躊躇い無く区域内へと突っ込んだ二人は、適当な位置で降りると情報を収集する為に周囲を窺う。能力者とタナトスの争いが至る所で行われており、混沌とした景色が広がっていた。
「荒れ果てた街並だけれど、此処で生活をしている人もいるんだよね」
「はい。人口は多くはありませんが、確かに此処を根城とする者達も居ます」
蜘蛛の巣のような亀裂が迸った建物、陥没して高低差が生じた道路、横転した車、引き千切れて垂れてくる電線、過去の栄華を語る高層ビル群。
最早、街としての機能は失われており、追い討ちをかけるように冷たい風が吹き抜ける。
「気になっている事があるの」
「何でしょう?」と返した夜羅は警戒心を解く事をせずに耳を傾ける。
「久遠 アリスによる能力の使役。能力者にだけ作用する猛毒の黒い雪を、何故すぐにでも降らせなかったのか」
「……確かに。すぐに計画を実行していれば、誰に知られようが問題は無いように思えます。核兵器にも匹敵する能力など、誰にも止めようが無いのですから」
「うん。そしてそこから考えると、必然的に一つの仮定へと辿り着く」
捲れ上がったアスファルトの残骸の上を歩く弥夜は、風に煽られて靡く髪を押さえる。凄惨な街並みは、まるで別世界へ来たような錯覚を二人へと植え付けた。
「能力を使えない状態にあるという事、ですか」
「そう。だから、首を刎ねるのなら今しか無い。私達の足止めの為に死角を寄越したのかもしれないね」
「久遠 アリスはあくまで見つけた場合のみ。今は狙撃手の女を見付ける方を優先しましょう」
「もちろんだよ」
顔の割れた二人に視線が突き刺さる。襲い来るタナトスを止めたのは傍にいた能力者であり、早く行けと言わんばかりに顎で先を示した。
「あんた等強いんだろ? 必ずタナトスの目論見を止めてくれ」
「恩に着ます」
弥夜の背を押し先へと進んだ夜羅。微かな生活感が漂う街並みもあるものの、やはり人口は少ないのか、殺伐とした景色が大半を占める。
続く灰色。それはまるで、色を失くした世界。犯罪や殺人が横行し、特別警戒区域となった代償。進む二人は、突き刺さる無数の敵意に辟易していた。
「敵が多過ぎる……!!」
断鎌を手にした弥夜が大きく弧を描く。絶命する者を横目に、夜羅は蒼白の脇差で討ち漏らしを仕留めた。
「さすがは敵の城ですね。長引けば間違い無く死にますよ。味方が居るとはいえ、救いの街とは訳が違う」
弥夜の背に飛来した魔法を切り裂いた夜羅。お返しと言わんばかりに飛び出した霊魂が、詠唱をする術者を的確に叩く。溶けて最早人では無くなった物体が、灰色の地面に馴染むように崩れ落ちた。
「柊、川を渡って奥へ進みましょう!!」
「うん。ぶち抜くから援護して!!」
右脚を軸に大きく回転した弥夜は、断鎌で巻き起こした衝撃波で辺りを貫くように穿つ。周囲を囲っていたタナトスの陣形は崩れ、抜ける為の道が開けた。
「さすがですね」
弥夜の足元で屈んで断鎌を交わした夜羅は、即座に立ち上がると開けた一点に突っ込む。霊魂と共に振り回される鈍く煌めく脇差が、斑に残存した勢力を瞬く間に仕留めた。
「気を付けてね、狙撃手が何処から狙っているか解らないから」
「狙いを定められないよう、なるべく孤立はしない方がいいかもしれませんね」
「発砲してくれたら、弾道で場所が解るから手間が省けるんだけど」
飛び散る血飛沫はまるで道標。死臭や凄惨に体内を晒す死体ですら踏み躙り、二人は振り返らずに先へと駆ける。街を分断するように流れる大きな川が眼前へと迫った。
深夜の川は闇の如く漆黒で、月の隠れた曇天の空も相まって静まり返っていた。時折風に煽られて木霊する水のせせらぐ音でさえ、この状況下においては不気味に響く。
「橋はあれだけだね、急ごう」
巨大な橋が街を跨ぐように繋ぐ。靴底に魔力を集めて速度を上げた二人は、立ちはだかる者達を殺めながら橋へと辿り着く。
「待って、夜羅!!」
中間地点辺りで脚を止めた弥夜に倣う夜羅。併せて充満する、身を灼く程の魔力反応。肌を削り取るような魔力は、明らかに二人へと向いていた。
「やっとお出ましだねえ……蓮城」
弥夜の銀色の瞳は裏返るように表情を変え、明白な殺意を宿す。
「まさか貴方に会えるとは」
以外にも先に飛び出したのは夜羅であり、地を抉れるほど踏み締めた彼女は、最短で距離を埋めると脇差を振り翳して殺意を叩き付けた。
体重を利用して振り抜かれた得物は、大剣により容易く制止。鍔迫り合いの要領で歪な金属音が鳴る中、二人の視線が至近距離で不可視の火花を散らした。
「デイブレイクの連中と連む元還し屋、稀崎 夜羅。救いの街では小細工をしてくれたな。お前のお陰で此処も大混乱だ」
「蓮城……!!」
激昂。小細工無しで圧し切ろうと試みる夜羅ではあるものの、小柄故に純粋な力で劣る。逆に圧し切った蓮城が大剣を水平に薙ぐも、予測していたように屈んだ夜羅が脇差を振り上げる。
僅かに胴体を掠った切っ先に血が付着したと同時に、魔力を纏った右脚が夜羅の横腹を薙ぎ払うように捕らえた。
「夜羅……!!」
激烈な衝撃に抗えず吹き飛ぶ夜羅を、先回りで跳躍した弥夜が強く抱き締める形で受け止める。「すみません」と目を逸らした夜羅は、未だ消えない怒りを瞳中に宿していた。
「夜葉の姿が見えないが? ああ、そうだ死んだんだったな。桐華が言っていたよ、夜葉を撃ち抜いたと」
「無様だよなあ」と含み笑いをした蓮城は続ける。
「お前達が知り過ぎたが故に齎された結末だ。救いの街やタナトスへ牙を剥いてさえいなければ、もう少しは長生き出来たのにな」
「……勝手に殺すなよ蛆虫が、茉白はまだ生きてる」
怒りを孕んだ声が夜闇に溶ける。蓮城の表情が明白に 喫驚を示した。
「生きているだと……?」
何故、生きている事に対して驚きを見せるのか。そんな思考が弥夜の脳内を犯すも、頭を振る事で雑念が掻き消された。
「蓮城……道を開けろよ。私達はその桐華という女に用がある」
「開けると思うか? 此処が俺達の最期の砦、お前達を通す訳には行かない」
「へえ? やっぱり久遠 アリスは此処に居るんだ」
「これから死ぬ者が知る必要は無い」
ふわりと手を持ち上げる蓮城に応えるように、辺りには色を失くした炎が湧き上がる。独立した個々の炎は橋を埋め尽くし、それに伴い灼熱が漂い始めた。
「お前達二人は此処で終わりだ。『虚焔降り頻る並行領域』」
「此方の台詞ですよ。還し屋の最期の仕事として……貴方は此処で殺します」
立ち上がった夜羅は脇差を交差に構える。隙間から覗く射抜くような眼光。親友の仇である蓮城を前に、彼女の心は激烈に昂っていた。
「夜羅、殺ろう」
夜羅の肩に優しく手を置いた弥夜は、昂る心を同調させるように寄り添わせる。たった一人の妹の仇。必ず討つと、臨界点を超えた感情が身体を震わせた。
顔を見合わせた二人は静かに頷き合うと、同時に魔力を高める。
「死した者は戻らない。優來への弔いに、噛み砕いたお前の眼球を添えてあげる『灼け爛れた蠱毒の千蟲夜行』」
「此処まで生き延びた事を後悔させてあげましょう。そして私達は……死ぬ為に生きる事を決めた『草木も溶ける丑三つ時』」
形容し難い声で鳴く千匹の毒蟲が具現化し、瞬く間に辺りを包囲する。各々に可動する触角や翼、そして複数の脚が闇の中で不気味に蠢いていた。
そんな不気味な景色を中和するように、無数の霊魂が美しく宙を舞う。彩られた闇夜は仄かに蒼白を宿し、不規則な挙動が虚空で描かれ続けた。付き従うように纒わり付く霊魂も存在し、愛おしそうに撫でた夜羅は顎を引き臨戦態勢をとった。
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