｢もしかして茉白って口からも毒を吐けたりするの？｣

｢毒蛇なんだから当たり前だろ｣

｢そんな皮肉を言わないの。じゃあカップ麺を半分残してくれた時、毒を混ぜて私の事を殺そうと思えば殺せたの？｣

｢そうだな｣

｢それでも毒を混ぜずに、素直に譲ってくれた茉白が可愛い。あーん、可愛い可愛い超可愛い｣

　身を寄せた弥夜が上手い具合にやり過ごされる。宙を切った両腕が悲しげに無を抱き締めた。

｢まあ私に毒は効かないけどね｣

　はいはい、と面倒臭そうに後頭部を掻いた茉白は小さく息を吐き出す。

｢さて、風呂も入ったし眠くなって来たな。誰かさんのせいで今日は疲れた｣

｢私も疲れたもん、誰かさんのせいで。後、風呂じゃなくて、お風呂って言った方が女の子らしいよ｣

｢どの口が言うんだよ｣

　煙草の火を消した茉白は、熊のぬいぐるみを抱いてベッドへと倒れ込む。ナイトガウンから覗く色白の肌が、仄かな照明に照らされて艶やかな表情を魅せた。

｢もう寝るの？｣

｢お前も風邪引く前に風呂入って寝ろ｣

　大きめの布団を独り占めした茉白は静かに目を瞑る。 静かな部屋内には秒針の音だけが取り残された。時間にして僅か数分の沈黙が流れ、弥夜は楽しげに口を開く。

｢ねえ茉白、えっちしよっか｣

｢……うっざ｣

　心底面倒臭そうに背を向けた茉白。

｢十四の頃にそういう店で働かされたって言ってたよね？　いくらで他の人としてたの？　払うから｣

｢はあ？　馬鹿かお前。経験も無い奴が調子に乗るな｣

｢うん、無いよ。こんな身体だから誰も相手にしてくれなかった｣

｢まだ十八だろ、そういうのは焦るものじゃない。第一、お前もうちも女だろ｣

｢女の子でもいいよ。茉白なら、いい｣

｢変態かお前は、さっさと寝ろ鬱陶しい｣

｢……本気だよ｣

　ため息をついた茉白は勢い良く起き上がり、驚いて目を丸くした弥夜を押し倒す。身体に跨って腕を拘束した彼女は、深紫の瞳で弥夜を見下ろした。

｢いいか？　お前とは違ってうちは何十人、何百人と相手をしてきたんだ。その中にはもちろん女も居たよ。この歳でお前よりも卑猥な事やエグい事も知ってるし、お前が知らないような事も大体はしてきた。それでもうちとやりたいなら相手してやるよ｣

｢うん……いいよ？　出来れば痛くしないでね｣

　流れるような黒髪が胸中を代弁するように乱れる。押し倒されたまま抵抗を見せない弥夜は、僅かに頬を紅潮させて目を逸らした。

｢身体が震えてるだろ、ビビるなら最初から言うな｣

｢ビビってなんかないもん｣

　拗ねて尖る口元。弥夜は自由になった身体を起こすと風呂場へと向かう。

｢お風呂入るね｣

｢寝てたら起こすなよ｣

｢はいはい、解りましたよ｣

　くしゃみを何度かした彼女は、身体が冷えている事に気付き即座にシャワーを浴びる。出てきた時にはもう夜も遅く外の喧騒も静まり返っていた。

｢起きてるじゃん、眠れないの？｣

｢……少し考え事をな｣

｢茉白でも考え事するんだ｣

｢お前はうちは何だと思ってるんだ｣

　茉白の隣に入り、布団を無理矢理に半分奪い返した弥夜は澄んだ銀色の瞳を向ける。

｢それで、考え事って？｣

｢お前には関係ない｣

｢ひっど。相方でしょ？｣

｢だからなった覚えなんてないだろ｣

｢じゃあ考え事だけでも聞かせてよ｣

　僅かな間。短い思考を巡らせた茉白は観念して胸中を晒す。

｢うちは今まで、還し屋の連中を数え切れないくらい殺してきた。その中には、お前みたいに家族を大切に想う奴も居たのかと思うと……何とも言えない気持ちになった。還し屋を殺す事で、その後ろで囚われている関係の無い奴まで殺していた事になるだろ｣

｢殺らなきゃ殺られていたんでしょ？　それなら仕方ないよ。こんな穢れた世界なんだから……先ずは自分が生きる事を優先して欲しい｣

｢……生きる目的が無くてもか？｣

｢目的なんて後で見付ければいい。それに今は、茉白は私の相方なのだから。勝手に死ぬ事は赦さないし、もしそうなってしまえば私泣いちゃうよ？｣

｢くっだらねえ｣

　｢ううん｣と儚げな表情で首を振った弥夜は続ける。

｢下らなくなんかない。私は茉白と生きていたい。それは私の……嘘偽りの無い素直な気持ちだよ｣

　バツの悪そうな顔で背を向ける茉白。小さくもか細い背に向く視線は優しい色を帯びていた。

｢何で無視するの？｣

　自身の腕と脚を目一杯絡める弥夜。｢鬱陶しい｣と吐き捨てた茉白は、布団を頭まで被って姿を隠す。これはチャンスだと言わんばかりに、弥夜の口元が大きく吊り上がった。

｢あれあれ茉白？　もしかして照れ隠ししてるの？｣

｢何でお前に照れ隠ししないといけないんだよ｣

｢じゃあその可愛い顔を見せて？　絶対赤くなってるでしょ｣

｢……うっざ。早く寝ろ、うちは疲れてるんだ｣

｢私の方が疲れてるもん｣

　他愛の無いやり取りは暫く続くも、弥夜が先に寝落ちした事で唐突な終わりを見せる。木にしがみ付くナマケモノのように、茉白に絡み付いたまま寝息が立てられていた。

｢ったく、ふざけんな……どんな寝相だよ｣

　毒づきながらも起こさないようにと気を遣う茉白は、静かに眠る弥夜の顔に視線をやる。流れるような美しい黒髪に、僅かに口を開けている事によって露になった特徴的な八重歯。整った顔立ちは照明も相まって、更なる妖艶さを醸していた。

｢抱き付いたまま寝やがって。涎（よだれ）垂らしたら殺すからな｣

　枕元に手を伸ばした茉白は、淡い光を発するパネルを操作して照明を落とす。

　暗くなった部屋の中で茉白の心の内に最初に芽生えたのは、弥夜が自身の事を大切にしてくれているという想いだった。ぶっきらぼうで無愛想な態度を取っても尚、諦めること無くぶつかってくる。

　──どうしてうちにそこまでするのか。

　率直な疑問が湧くも、茉白は無意識の内に口元を緩めていた。

｢お前がそこまで言うのなら……うちも応えてやるよ｣

　必要とされた事など生まれて初めて。親からも愛された事の無かった茉白が、初めて弥夜の相方として生きる事を決めた瞬間だった。