毒姫達の死行情動

其れが──私達の死行情動
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破滅の街 脱出

公開日時: 2021年6月24日(木) 18:15
更新日時: 2021年6月24日(木) 18:17
文字数:4,055

 地上へと至った弥夜。未だ降り頻る雨が視界を跨ぐように遮る。傷口に染み入る雨が痛みを思い出させ、前へと進む脚を僅かに鈍らせた。


 足枷を付けたように重い両脚。夜羅と別れた場所へ至った弥夜は、周囲を見渡し情報を掻き集める。激しい戦闘が行われたであろう至る箇所の溶解、地に滲むまだ新しい血液。無惨な光景が広がっていた。


「必ず生き残ると約束したもんね。地下へと来なかった事から考えると……」


 約束から判断し、弥夜が探し回るのは巨大ビルの入口近辺。同時に不安が湧き上がり、考えたくも無い結末が胸中を蹂躙した。


「そんな訳ないよね……」


 自身に言い聞かす。存在の主張を続ける不安を掻き消すように、重い脚が止まること無く動かされた。鼓動が聞こえてしまいそうな程の静寂。未だ止む事の無い雨だけが、そんな重苦しさを幾らか緩和する。


 戦闘が行われていた場所には夥しい数の死体が並び、そのどれもが、無惨に身体を溶解させてグロテスクな体内を晒していた。雨と混ざった血が徐々に領域を拡大させている。そんな中で東雲の死体を見付けた弥夜は、激戦を制したのが夜羅である事を悟った。


「夜羅……!!」


 見渡しの悪い建物の柱。弥夜は、柱に凭れて意識を失う夜羅を発見し駆け寄る。傷は酷いが、呼吸により胸が小さく上下しており、まだ息がある事が伺えた。


 安堵に撫で下ろされる胸。身を寄せた弥夜は、儚くも力強く生き抜いた夜羅の頭を優しく撫でる。大人びたサイドテールは水分を含んで身体に張り付いており、未だ鳴り続ける雷が、二人を笑うように一際強く轟いた。


 夜羅の右腕を肩に回し立ち上がる弥夜。必ず生きて帰ろうと、徒歩でありながら救いの街の出口が目指される。


「大丈夫だから、必ず助けるから……私を一人にしないでね……」


 建物に身を寄りかからせ、自身を支えながら歩みを進める。壁面にはどちらものか解らない血の跡がこびり付き、二人の傷の深さが代弁されていた。


 捲れ上がった道路、折れ倒れた標識、以前通ったであろう景色は見る影もない。そんな過去の栄華を超えて、弥夜はただ生きる為に歩く。静寂に響く雨音。心に染み入る律動的な旋律が、今までの出来事や想い出を無意識に引き摺り出す。


 出会いから最期まで。


 その全てが刻まれた一枚のフィルムが、脳内で何度も何度も繰り返される。雨音に混じり始めた嗚咽の声。併せて零れ落ちる涙が、静かに地に吸い込まれて有耶無耶に溶けた。


 ──茉白を殺した。


 冷静になって初めて、犯した罪の大きさに気付く。


 柊 弥夜。齢十八の少女は、少女らしい声で、顔で、仕草で、暫し歩みながら慟哭し続けた。ふいに、雨と涙で濡れた顔が綻ぶ。意識を取り戻した夜羅が何を言う訳でも無く、弥夜の頭を優しく撫でていた。


「泣かないで下さい」


「夜羅……?」


「その様子だと上手くいったようですね。いや……上手くいってしまったのですね」


 無言で頷く弥夜。虚ろな瞳が底知れない悲しみを宿す。手を取った夜羅は「辛い役目を押し付けてすみません」と儚い表情を見せた。


「ううん、背を押してくれてありがとう。私は茉白の相方だから」


 全ての経緯を説明した弥夜は建物の壁面に背を預ける。倣った夜羅は、そのままずり落ちるように座り込んだ。


「大丈夫?」


「すみません。東雲は殺しましたが、少し力を使い過ぎました。貴女の方が重症だというのに……私としたら情けないですね」


「ううん、そんなこと無い。情けなくなんかない。生きていてくれてありがとう、約束を守ってくれてありがとう」


「貴女こそ、夜葉の願いを叶えてくれましたね。生きていてくれて本当に良かった」


 生き残る気など更々無かったとは言わないでおこうと、夜羅は僅かに口元を緩めた。雨に濡れた衣服が嫌悪感を主張する。「少し休もうか」と吐息をついた弥夜は静かに目を瞑った。


「そうしたいのは山々なのですが、どうやら私達は……どこまでも神様に嫌われているようです」


 まばららに集まり始めるタナトスの残党。決してこの街からは逃さないと、犇々ひしひしと伝わる殺意が肌を撫でる。立ち上がろうと試みた夜羅が体勢を崩して地に屈した。


「此処まで来て死ねるかよ……」


 夜羅に手を差し伸べ起こした弥夜は、そのまま壁に凭れ掛けさせる。僅かに痙攣する脚を強く殴り付け律した彼女は、懐にしまい込んでいた蒼白の脇差を取り出した。


「私の武器……? 特別警戒区域アリスで蓮城を道連れにしたあの時……まさか、拾ってくれていたのですか?」


「ずっと一緒に戦ってたの。私を助けてくれたの。大丈夫だよ夜羅、此処は私が切り抜ける」


 未だ身体が動く事を不思議に思いながらも凛と立つ弥夜。毒蟲を呼び出す魔力は既に枯渇しており、生身での近接戦闘以外に選択肢は無い。


 「すみません」と項垂れる夜羅を励ました弥夜は、激痛の走る身体を無理矢理に振り回して酷使する。気力と想い、それだけが本能を刺激して身体を突き動かした。


「残念だけど東雲は死んだよ。救いの街も終わりだねえ」


 周囲の者達に対する低俗な挑発。脇差を構え、視線だけを動かして状況の移り変わりを判断する。この状況下で弥夜の精神は極限にまで研ぎ澄まされていた。


「その身体で生きて帰れるとでも? たかが餓鬼二人に手こずるとはな」


 リーダー格と思われる男が周囲に目配せする。その目は語る。端的に、「れ」と。


「柊は後だ。動けない稀崎から殺せ」


 得物や魔力を高めながら向かい来る者達。歯を食い縛った弥夜は怒りに身を震わせた。


「もしかして私が怖いの?」


 夜羅を庇い立つ。残る僅かな魔力を駆使し、たった一本の脇差で状況を掻き回す。振られた刀を掻い潜り、放たれた魔法を切り裂き、的確に心臓を貫いてゆく。


 手に伝わる、身体を穿つ柔らかい感触。そんな歪な快楽に酔いしれる暇は無い。即座に引き抜かれた刃が、次々に襲い来る殺意と対峙する。


「夜羅に指一本触れてみろ……殺すぞ!!」


 大切な者を失った悲しみが揺り返す。もう誰も失わないと、強い意志の篭った瞳が光を宿し、雨の中を駆けるように尾を引いた。


 何度も弾ける得物同士が衝突する金属音。至る所からの攻撃を一人でやり過ごす弥夜は、一瞬の隙をついて命を奪ってゆく。一体何処にそんな力が残っているのかと、周囲の者達は僅かにたじろいだ。


「ねえ、たった一人だよ? さっさと殺してみろよ蛆虫共!!」


 まさに蹂躙、死に際の獣の如く身を振り回す弥夜。水分を含み重さを増した髪が顔面へと張り付く。それを掻き分ける事もせず、ただ一心不乱に殺す事のみを考えていた。


 順調に数を減らす弥夜は、朦朧とし始める意識の中で目を見開く。自身へと刃を振り下ろす者と、後ろの夜羅へと向かう者。同時に襲い来る死に、恐れること無く迅速な判断を下す。


「腕の一本くらいくれてあげる」


 弥夜が選んだのは夜羅を護る事。自身への攻撃から目を逸らし、全力で夜羅の元へと向かう。押し出された脇差は男の脇腹を貫通し、骨すら突き砕いたであろう鈍い音が響き渡った。


 全身へと降り掛かる血飛沫。雨により幾らか流れ落ちるものの、こびり付く赤は執拗しつこく存在を主張した。


 次いで、後方へと腕を振り上げる弥夜。腕一本を犠牲に隙を突く事を選択するも、本来迸る筈の激痛は訪れない。代わりに、飛来した蒼白の霊魂が男の顔面を溶解させた。


「夜羅……?」


 自分よりも夜羅を護る事を選んだ弥夜。それは夜羅も同じであり、我が身をかえりみず弥夜を襲う者へと霊魂をぶつけた。


 自身を捨てたからこそ、互いに無事だった。


 顔面が溶けた事による異臭が蔓延り、浮遊していた霊魂は弱々しく消失。絶命した男の倒れる音だけが雨の中一際大きく響いた。


「全く貴女って人は。先ずは自分の身を心配して下さい。でも……護ってくれてありがとうございます」


 片目を細めて苦しげに微笑む夜羅は、最後の力を振り絞ったのか乱れた呼吸を整えていた。


「夜羅こそ。護ってくれてありがとう」


 振り返ること無く紡がれる言の葉。彼女の背の逞しさに「後はお願いします」と、夜羅は全てを委ね心を寄り添わせた。


 それから僅か数分。


 獣の如く鋭い眼光を見せる弥夜は、無我夢中で周囲の者を殺め続けた。血溜まり、死臭、驟雨しゅうう、そして未だ鳴り止まない雷。混沌とする景色の中で、彼女は確かに生きていた。


 崩れ落ちた弥夜を支える夜羅。本来なら立てない筈の身体を律した夜羅は、自分に嘘をつき無理矢理に全身を酷使する。


「柊、体重を私に預けて下さい」


「ごめん……ね……」


「何を言っているのですか。助けられたのは私の方です」


 呂律も怪しくなっており、訥々とつとつと紡がれる言葉には抑揚すら無い。「今度は私が支えます」と力強く紡いだ夜羅は、身を寄り添わせながらゆっくりと歩みを進めた。


 その甲斐もあってか、二人は無事ゲートへと辿り着く。以前、乗り込んで来た能力者により空けられた風穴は、未だその体躯を惜しげも無く晒す。砕け割れたゲートの残骸が、あの頃のまま無造作に散らばっていた。


「夜羅、少しだけ待って」


「どうしました?」


「祈りだけ捧げたい。せめてもの……茉白への手向たむけに」


 ゲートを潜る際、静かに街を振り返る弥夜。その瞳は「此処では色々あり過ぎた」と語る。展開する景色は無惨な光景であり、崩落したビルや建物が過去の栄華を儚げに伝えていた。


「私達は茉白の死の上に生かされた。貴女が望んでくれた以上、私達は何があっても生きなければならない。辛くても泣いても這い蹲っても……生きなければならない」


 自分の両脚で地を踏み締め、目を瞑り想いを馳せる。無意識に虚空に伸ばされた手が望む温もりに触れる事は無い。残酷にも雨の冷たさだけが、弱々しい血塗れた手に応えた。


 何を言う訳でも無く隣に並んだ夜羅。彼女は弥夜にならい目を瞑る。


「でもそれは呪縛じゃない。私達は夜葉に恥じないよう前を向いて進むしか無いのです。きっとまた……笑顔になれる日が来ますから」


 目を瞑る二人は互いに悟られないよう涙する。いつまでも止まらないのは、きっと雨のせいだ。そう自身を欺きながら。


 破滅の街 脱出。


 互いに寄り添い支え合いながら、全てを終えた二人はその場を後にした。

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