「良かったね茉白、可愛いぬいぐるみだね」

「お前にやるよ」

「あの子がせっかくくれたのだから大切にしてあげなきゃ」

　差し出されたぬいぐるみが優しく押し戻される。「事務所に飾れば？」という提案に大人しく納得した茉白は、自身の胸元にぬいぐるみを抱き締めた。

「それで、どうしてあの子の目を塞がせたの？」

「結果的に逃げられたが、男を殺すつもりだったからな。餓鬼の前で人を殺せばトラウマになるかもしれないだろ」

「なんだ、案外優しいじゃん。私には目を瞑れなんて言ってくれなかったくせに」

「お前はもう餓鬼じゃないだろ」

　「早く此処を離れるぞ」と踵を返した茉白は元の道へと進路を正す。

「茉白、改めてありがとう」

「だから呼び捨てにすんな」

「ごめん、気を付けるね。いやあ、それにしても茉白は強いね。あんな巨大な質量の塊を一刀両断なんて惚れちゃうかも。あーん惚れちゃう惚れちゃう惚れちゃう」

　｢早速呼び捨てにすんな｣という抗議は都合良く無視。声を弾ませながら後に続く弥夜は、先程の戦いを思い返して嬉しそうに表情を綻ばせていた。

「お前も見てただろ？　相手が弱かっただけだ」

「素直じゃないね。まあ、今日は出会った祝いに何か美味しいものでも食べようか」

「カップ麺以外にしろよ」

　煙草に火をつけ紫煙を燻らせる茉白の隣で、弥夜は飴を取り出し満足気に咥える。

「こら、煙草はやめなよ」

「だったらお前も飴をやめろ」

「やだ。死んじゃう」

「うちも同じだよ」

　二人が大通りへと辿り着く寸前、茉白は何かに気付き足を止める。先程の戦いからは死角になる物陰へと視線をやった彼女は、顎を引いて鋭い眼差しを見せた。

　その行為が示すは第三者の発見。

　歳が近いであろう、全身黒基調の服を纏った少女は二人を静かに見据える。ショートパンツから覗く色白の脚が、纏われた黒を更に深いものへと際立てていた。

「またお前かよ、稀崎（きざき）。相変わらず執拗い女だな」

　稀崎と呼ばれた少女は二人の元へと歩むと、視線を交互にやる。

「茉白、この子は？」

　瞳に一切の光や感情を宿さない少女を見て、弥夜は首を傾げた。

「還（かえ）し屋（や）の女だ。うちの事を追い回していやがる」

　還し屋、と聞いた弥夜は僅かに目を細める。

「漸く見付けましたよ、死灰姫（しがいき）の夜葉（よるは） 茉白（ましろ）」

　｢いや……｣と自ら否定した稀崎は大人びたサイドテールの髪を靡かせる。明るめの茶色い髪が、ふわりと虚空に尾を引いた。

「毒蛇、と言った方がいいですかね」

「さっさと成仏しろよサイコ女。いや、幽霊女と言った方がいいか？」

　端的な皮肉返し。

「悪態をつくのは相変わらずですね」

　前髪に覆い隠された右目。露になっている、深い闇のような漆黒の左目が弥夜へと向けられる。

「貴女とこうして対面するのは初めてですね。私は還し屋の稀崎と申します。ご存知かどうかは知りませんが、貴女が共にいる夜葉は死灰姫や毒蛇と呼ばれる能力者であり、これまでに数え切れない人を殺めてきました」

「能力者が人を殺すのは、悲しいけれど今や日常茶飯事。別に私は、だからと言って茉白を嫌いになったりはしないよ」

「人殺しが隣に居るというのに、やけに肝が据わった方ですね」

　目を細めた稀崎は怪訝そうな表情で続ける。

「還し屋の事はご存知でしょうか？　大災害、命の再分配により人々は大幅な減少を見せた。生き残った者は死した者の命を吸い取ったかの如く異能に目覚め、この世界は大きく荒れてしまいました。輪廻に異常をきたした世界の是正、本来生まれる筈の無かった能力者を輪廻の輪に還す事……それが我々、還し屋の由来です」

「何が輪廻の輪に還すだ、殺すの間違いだろうがサイコ女」

　吐き捨てた茉白は足元の角張った石を蹴り上げた。眼前で瞬き一つすること無く受け止めた稀崎は、やれやれと言わんばかりに石を投げ捨てる。「足癖が悪いよ？」と軽く叱った弥夜は、稀崎へと視線を戻した。

「還し屋の事はもちろん知ってるよ。還し屋は能力者を裁く為の能力者集団。つまり貴女も能力者であるという事」

「そうですが、それが何か？」

「命の再分配により異能力に目覚めた者は、死した者の命を喰らったと揶揄される。揶揄どころか、望まずして能力を授かっただけで人殺しと後ろ指を差される世界だよ」

　「だからね？」と自嘲の笑みを見せた弥夜は、ぬいぐるみを胸に抱き抱える茉白を正視する。

「今さら茉白が人殺しだとか毒蛇だとか言われても、私の彼女への見方は何一つ変わらない」

　「くっだらねえ」と目を逸らす茉白。弥夜はそれでも、可愛げな八重歯を覗かせて優しい笑みを向けた。

「能力者は全て人殺し、ですか。確かに貴女の言う通り、我々は誰かの命を糧に生きていると言われていますね。けれどそんなものは、生き残った者が唱えた稚拙な空想論に過ぎない」

「まあね。でも稀崎さん？　貴女が此処に来たという事は茉白を輪廻の輪に還す為……つまり、殺す為に来たと言うことでしょ？」

　殺す為、という部分が皮肉に強調された。

「仰る通りです。本来ならば匿（かくま）う者も同罪ですが、素直に道を開けて下されば貴女の事は見逃しますよ」

　｢うーん｣と可愛らしげに唸った弥夜は瞬間的に地を蹴り、茉白の腕を掴んで稀崎と反対方向に駆ける。

「おい、何処行くんだよ!!」

　身体を無理矢理にもっていかれる茉白は、ぬいぐるみを落とさないように腕に力を込めた。出来るだけ足場の悪くない箇所を選びながら、弥夜は一目散に駆ける。

「茉白？　戦わずして勝つには逃げるのが一番なの。稀崎さん、めちゃくちゃ強そうじゃん!!」

「ふざけんな!!　あんなサイコ女ぶち殺してやるよ」

「いいから。他の還し屋が来たらどうにもならなくなるよ」

　選択されたのは逃げの一手。景色が乱雑に移り変わる様（さま）を横目に、二人の靴音が短い感覚で繰り返される。なるべく逃走ルートを悟らないよう、曲がり角や十字路を複雑に進む二人ではあるが、弥夜が後方を振り返ると同時に目を見開いた。

「茉白!!　何かよく解らない火の玉が来てる!!」

　一言で表すなら、ふわふわと浮遊する霊魂。蒼白の霊魂は不規則な挙動で二人への距離を埋める。

「稀崎の魔法だ。触るなよ、身体が溶けるぞ。あいつの能力でスライムみたいになった奴を何人も見てきたからな」

「スライム!?　何それこっわ。でもそんなこと言ったって追い付かれるよ!!」

「……これ持ってろ!!」

　ぬいぐるみを無理矢理に押し付けた茉白は靴底を滑らせて立ち止まり、強い力で掴まれた腕を振り払う。そんな彼女を袋のネズミと言わんばかりに取り囲む霊魂が、軽やかな身のこなしで次々に斬り裂かれた。

　魔力による支えと安定性を無くした霊魂は、灰となり静かに雲散霧消する。残された魔力残滓だけが、虚空に蒼白の余韻を残した。

「さっすが私の相方、超強い」

　ハイタッチの要領で差し出された手は、華麗に無視される。

「相方になった覚えなんかない」

　窮地は脱したと安堵した弥夜は、茉白の肩を叩くと再び走り出し大通りへと出る。息の詰まる路地から脱出した二人は、開けた空に僅かな開放感を得た。

　だが生憎、空は曇天のまま。

　能力者が近くで暴れている事を知ったのか、歩く人々の数もまばらになっていた。

「振り切れたかな……？」

　辺りの景色から精一杯に情報を取り込む。別段変わった様子は無く、普段通りの景色が普段通りに繰り広げられていた。

　たった一つ、遠くから響く車の排気音を除いては。

　遠目に確認出来る黒のセダンタイプの車が、今まさに、二人の元へと猛スピードで距離を喰らっていた。