毒姫達の死行情動

其れが──私達の死行情動
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エピローグ

必ず届くと信じて

公開日時: 2021年6月25日(金) 12:29
更新日時: 2021年6月25日(金) 12:31
文字数:5,863

 窓から差し込む陽の光が部屋内を照らす。


 ぶつぶつと何かを呟きながら、目をこすり意識を覚醒させた弥夜。昼寝をしてしまっていた事に気付いた彼女は、勢い良く上半身を起こすと慌てて周囲を見回した。


「やっと起きましたか。もうお昼を回っていますよ」


 弥夜が纏うのは灰色のフード付きパーカー。茉白が此処でよく着ていたものであり、中央に描かれた蛇が存在感を主張する。


「少し寝過ぎちゃった。夜羅こそ、ほとんど寝てないんじゃない?」


「そうですね。貴女に涎を垂らされ、抱き枕にされ、布団を独り占めされ、挙句の果てにはベッドから蹴り落とされましたから」


「えへへ、ごめんなさい」


 気まずそうに視線が右往左往する。ベッドの温もりに未練を抱きながら起き上がった弥夜は、テーブルを挟んだ夜羅の向かいに可愛らしく座り込んだ。


「冗談ですよ、気にしていません」


「……以後気を付けます」


 夜羅の膝の上には、茉白が何度か抱いていたひよこのぬいぐるみが座っている。つぶらな瞳が弥夜を映して愛くるしく煌めいていた。


 あれから二週間と少し。


 心に負った深い傷を癒す為に、二人は共に生活をしていた。


「コーヒーを淹れますが、要りますか?」


「要ります。甘いやつでお願いします」


「砂糖は切らしました」


「え、まじ!?」


 口元に手を当てて大袈裟に驚く動作。その際、明後日の方向を向いた寝癖がふわりと宙で遊ぶ。急に身体を動かした事により傷口が痛みを主張し、それを切っ掛けに二週間前の記憶が思い起こされた。


 無意識に潤む瞳。食い縛られた歯が、それ以上先を堪えている事を代弁する。


 優しさから気付かない振りをした夜羅は、ひよこのぬいぐるみを弥夜に託し、コーヒーを淹れる為にキッチンへと向かう。悟られないよう僅かに鼻をすする夜羅もまた、背を向けて瞳を潤ませていた。


「一息ついたら外へ出ましょうか。傷に触らない程度に、少し歩いて身体を動かしましょう」


「うん……そうだね」


 肯定と共に強く抱き締められたぬいぐるみが、腕の中で歪に形を変えた。


「タナトスの目的が世間に知られ、能力者達が至る所で私達に協力をしてくれた。救いの街へ乗り込んで来たり、特別警戒区域アリスでは援護をしてくれたり、彼等無しでは私達に勝算は無かったでしょう」


「あれ以来、能力者による身勝手な暴動や殺人が嘘のように激減したもんね。人で在る事の大切さ、儚さ、こんな世界でも命は一つであり尊いという事……解ってくれたような気がして嬉しかった。真偽は定かではないけれどね」


 「そうですね」とテーブルに運ばれて来た二つのマグカップ。淹れたてのコーヒーから香ばしい香りと湯気が立ち上る。


 お礼を言い口をつけた弥夜は、ブラックコーヒーの苦さに舌先を突き出す。対する夜羅は何食わぬ顔で深い苦味を堪能していた。強がった弥夜はバレているとも知らずに、あくまで苦いのは大好きだよと言わんばかりにすする。


「貴女が言っていたでしょう、“明けない夜は無い”と。きっと……この国に夜明けが近付いているのですよ」


「茉白の居ない世界なんて綺麗けがれているけれどね」


「争いは激減。この国は平和で綺麗になりつつありますが、私達からすれば穢れている……本当に皮肉なものです」


 コーヒーを飲み終えて一息ついた頃、弥夜が何かを思い出したように両手を合わせる。


「夜羅、紙とペン貸してくれない?」


「それは構いませんが何に使うのです?」


「ちょっと、ね」


 不思議がりながらも夜羅が持ってきたのは、舌を出した紫色の蛇が隅っこに描かれた便箋。デザインを突っ込まれる事を恐れたのか、「これは私ではなく兄のセンスです」と先手が打たれた。


「ありがとう、可愛い便箋だね。この悪そうな顔の蛇、茉白みたい」


「言われてみれば。憎たらしさもそっくりですね」


 しばらく悩んだ後に一度だけ大きく頷いた弥夜は、さらさらとペンを走らせる。羅列されていく文字、紙を隔てたペン先とテーブルがぶつかり合う小気味の良い音。五分程で何かを書き綴り終えたのか、静かにペンが置かれた。


「よし、完璧」


 自画自賛。三つ折りになった紙が懐にしまい込まれた。


 それから少しして外へと出掛けた二人は、行く宛も無く街を歩く。人通りは以前に比べても多く、平和へと向き始めた国を代弁するようだった。


「人、増えたね」


「良い傾向では? 戦わないで済む世の中になるのなら、それに越した事はありません」


「……そうだね。出来れば能力者だという事も隠したいのだけれど、それはさすがに無理だよねえ」


「至る所で目撃されましたし、知っている人が多過ぎますからね」


 肌を撫でる冷たい風。冬の入口は間近であり、何度かくしゃみをした弥夜は鼻水を垂らす。夜羅により差し出されたポケットティッシュを受け取ると、そのまま大きな音を立てて鼻をかんだ。


「夜葉に女の子らしくないとかよく怒っていた割には、女の子らしくない鼻のかみ方ですね」


「背に腹は代えられないからね」


「……よく解りませんが」


 辺りは戦闘により崩壊した建物や、逆に無傷の建物が不規則に並ぶ。別世界をくっつけ合わせたような歪な光景ではあるものの、これからは良くなる一方だろうと、二人は想いを馳せた。


「タナトスの残党が現れたら、また戦う事になるのかな。二人とも顔も割れているしね」


「タナトスももう潮時でしょう。仮に出くわしたとして、彼等にはもう私達を襲撃する目的が無い。東雲や蓮城、そして桐華。幹部連中はみな死に、計画の核であった久遠 アリスももうこの世には存在しない」


「……そうだね」


 二人が戦いにより負った傷は完治しておらず、声には出さないものの、互いが互いを気遣いながら歩幅を合わせる。大通りを越え細道へと差し掛かった頃、突如として夜羅が脚を止めた。


「……柊」


 消え入りそうな声での呼び掛け。


 弥夜が振り返った際に一際強い風が吹き、髪を押さえた彼女は小さく首を傾げる。微かに俯く夜羅を心配するような視線が向いた。


「夜羅? どうしたの?」


 葉の数を減らした木々が風にそよいで揺れる。寒空の元で奏でられる自然の音。顔を上げた夜羅は、真っ直ぐに視線を合わせた。


「貴女に伝える事があります」


 覚悟を決めた、落ち着き払った声だった。


「伝える事?」


「特別警戒区域アリスにおいて……夜葉から貴女へ伝えてくれと預かった言葉です」


 短い声を漏らす弥夜。固まった表情が期待と不安を代弁する。伸ばされかけた手が、何かを躊躇うように力を失った。


「……茉白は何て言ったの?」


「たった一言、不器用な夜葉らしい言葉でした。そのままの言葉で伝えます」


 紡がれるまでの間がまるで永遠のよう。全ての音を失った世界に取り残された弥夜は、聞き逃さまいと全神経を集中させた。


「お前がうちの生きる理由だった。生きる理由を見付けてくれてありがとう……大好き、弥夜」


 刹那。


 しまい込んだ筈の、圧し殺した筈の、何度も言い聞かせた筈の想いが音を立てて弾ける。


 全ての感情が毒のように全身を駆け巡り、それはやがて喉奥を突き抜けて瞳へと至る。曖昧になる理性。決して消える事の無い灼熱の炎に蝕まれたように、本能が痛みを発した。


 跳ね上がる鼓動、想い出が揺り返す胸奥。


 力が抜けてその場に座り込んだ弥夜は、人目をはばからず慟哭した。


「柊……!!」


 震える声ですぐさま寄り添う夜羅。


 自身も屈み込み目線の高さを合わせると強く抱擁する。言葉などという野暮な手段は用いず、ただ静かに、それでいて涙を零しながら、己の全てを以てして抱き締めた。


 皮肉にも空は快晴で。


 通り行く者達は各々に二人を見ては通り過ぎる。立ち止まる者は誰一人として存在しない。


 二人の少女、世界へと夜明けを齎した筈のたった二人の少女。本来ならばもう一人居た筈のこの場所に、今はたった二人だけ。


「夜羅……私……私……取り返しのつかない事を……!!」


 過呼吸のように乱れる吐息。付きっ切りで介抱した夜羅のお陰か、慟哭していた弥夜は次第に落ち着きを取り戻す。胸中の全てを曝け出した弥夜は疲弊しており、夜羅の胸元に頭を預けていた。


「ねえ夜羅、私達……一体何の為に戦ったんだろうね」


「以前話した通りです。本当は解っているのでしょう?」


 夜羅の腕の中で大きく頷いた弥夜。


「私達を護りたいという茉白の願いを叶える為、私達に生きて欲しいと願う茉白の想いを踏み躙らない為」


「……相違ありません」


 囁くような優しい肯定だった。


「私がこの伝言を貴女に伝えたという事は、夜葉が死ぬ選択をした際にそれを認めたという事。だから私は……貴女に謝らなければなりません」


「ううん、謝らないで。一番辛い役目をさせてごめん。死ぬと決めた茉白からの言葉。それを受け取り、認める事がどれほど辛いか。その気持ちが軽々しく解るとは言えないけれど、きっと夜羅も……張り裂けそうな想いの中、私の元へ来てくれたんだよね」


 夜羅の脳内に、特別警戒区域アリスで交わした茉白との会話がぎる。




『────と弥夜に伝えてくれ』


『嫌です、訊けません。それを了承してしまえば私は……貴女が死ぬのを認める事になる!!』


『うちの最初で最期の我儘だ』


『最期だなんて言わないで下さい。私達は死ぬ為に戦って来た。でも……こんなのあんまりでしょう!! 共に生きると約束しただろ!! 生きる事から逃げるなよ……夜葉!!』


『……いいから聞けよ稀崎!! お前は以前、うちを失いたくないと言ってくれたな。それはうちも同じなんだよ!! お前等を死なせたくないんだよ……!!』




 ──ちゃんと伝えましたよ、夜葉。今回は貸しにしておきます。必ず返してもらいますからね。




「そうですね。張り裂けそうな想いの中、貴女の元へと帰りました」


 零れ落ちる涙を拭う事すらせず、夜羅は感情に身を任せて胸中を晒した。


「夜羅……大丈夫。大丈夫だから」


 今度は弥夜が強く抱き締める。離さまいと回される腕。すぐ近くに感じる肌の温もりが夜羅の心を落ち着けた。


「もしもあの時、無理矢理にでも夜葉を止めていたら……私達の未来は変わっていたのでしょうか」


 仰がれる虚空。荒む感情とは真逆の優しい陽射しが降り注ぐ。視線を落とした弥夜は小さく首を横に振った。


「ううん……変わらなかった。解毒方法も無い、助ける方法も解らない。延命は時として残酷になる。私達の我儘でそれをしてしまえば……きっと茉白を苦しめた」


「確かに貴女の言う通りです。夜葉は、“うちがうちである内に……綺麗なままで逝かせてくれ”と言いました。これで良かったとは言えませんが、この国や世界にとっては最善の選択となった事でしょう」


 二人にとっては穢れた世界であっても、人々にとっては綺麗な世界。それは皮肉な現実。だがそれでも、世界は誰しもに等しく廻る。


「後は、柊の事を護ってやってくれと頼まれました」


「私も言われたよ。夜羅は絶対に裏切らないから、何があっても失うなと」


「全く……夜葉ときたら不器用なんですから」


 瞑目し、口元を緩める夜羅。


「私の最高の相方だもん。優しいし強いしかっこいいし可愛い」


「本人が聞いたらどう言うでしょうね」


「……うっざ。だろうね」


「でしょうね。ネイルをしてもらう約束は破られてしまいました」


「同じく手料理を作ってくれるって約束、破られちゃった。次の世界での約束に持ち越しだってさ。夜羅の分も持ち越しだね」


 「だからね?」と続けた弥夜は静かに立ち上がり手を差し伸べる。色白の細い手を取る夜羅。倣って立ち上がった彼女は、歩き始めた弥夜の隣に並んで歩幅を合わせた。


「茉白と約束したんだ。生まれ変わった世界でまた会おうって。今度は戦いの無い世界で、普通の女の子としてね」


「とても素敵な約束ですね」


「えへへ。今度はうちの方が先輩だなって言ってた。夜羅とは、未来でも同期がいいなあ」


「私達はともかく、夜葉が先輩だと色々と苦労しそうですが。面倒な事この上ない」


「大丈夫だよ、口や足癖は悪いけれど……内面はきっと優しいから」


 流れる優しい時間、顔を見合せ微笑み合う。


「ゆずにも、戦いの結末を伝えに行かなければなりませんね」


「タナトスが勝てば能力者は死に絶え、あの世で親友に会える。瑠璃はそう言っていたね」


「大丈夫ですよ。私達が勝った場合も恨まないでいてくれると、貴女と廃学校を訪れた際に約束してくれましたから」


「……そうだったね。助けに来てくれたのは驚いたけれど、改めてお礼も言いたいよ。瑠璃が居なければ私も死んでいたから」


 手を後ろで組む弥夜。虚空に向いた視線が自由気ままに流れる雲を追う。


「優來や貴女のお兄さんも報われたかな……」


「ええ、きっと」


「破滅の街を脱出する時に夜羅が言ってくれたもんね。きっとまた笑顔になれる日が来るって」


「はい。今は苦しくとも、前を向いて歩いて行きましょう」


 優しく囁いた夜羅は、何かを思い出したように足を止めた。


「そういえば、先程は何を書いていたのです?」


 痛いところを突かれ、僅かに紅潮する頬。


「……知りたい?」


「差し支えが無ければ、訊いても?」


「笑わないでね」


 懐から取り出された三つ折りにした紙。


「私ね? さっきお昼寝している間に夢を見たの。茉白や夜羅、そして瑠璃。皆と一緒に戦いの無い世界を生きていた。私達は……普通の女の子をしていた。現実逃避かもしれないけれど、ただの憧憬かもしれないけれど、何処か別の世界で会えていたらと願ってしまった」


「何もおかしくはありませんよ。争いを望まないのは人の本質ですから」


「……うん、ありがとう。だからね?」


 取り出した紙を手に、夜羅に身を寄せる弥夜。


「必ず届くと信じてお手紙書いたの……茉白宛に」


 紙を丁寧に広げて中身が晒される。感情を代弁して書き綴られた文字の羅列。覗き込んだ夜羅は内容を確認しようと試みた。


 瞬間、冬を告げる如く冷たい風が吹き抜ける。慌てて乱れる髪を押さえる二人。


「あっ……!!」


 そんな中、風が手紙をさらう。落ち葉と共に舞い上がる手紙。追いかけようと足を踏み出した弥夜は、何を思ったのか表情を緩めて立ち止まる。


「いいのですか? せっかく書いたお手紙でしょう」


「受け取ってくれたんだよ。この風が……きっと茉白の元へと運んでくれる」


「……素敵な解釈です」


「お返事……来るかな……? 私、いつまでも待つからさ……来るかな……?」


 僅かに震える声。胸中を察した夜羅は優しげに紡ぐ。


「夜葉の事ですから、恐らく気分次第でしょう」


「えへへ……そうだね」


「そういえば何て書いてあったのです? 中身を確認する前に風に飛ばされてしまいました」


 首を傾げる夜羅に対し、僅かに頬を赤らめた弥夜は小さく笑みを零す。


「あのね? 手紙の中身は──」

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