毒姫達の死行情動

其れが──私達の死行情動
退会したユーザー ?
退会したユーザー

夜羅の残した力

公開日時: 2021年6月13日(日) 18:32
更新日時: 2021年6月13日(日) 19:04
文字数:4,649

 まるで研究施設だった。


 茫洋な空間内で規則正しく並ぶ、淡緑色の液体に満たされた装置。内部には何も入っておらず、絶えず湧く気泡が下方より昇る。薄暗く灯る電灯だけが、そんな無機質な景色に拍車を掛けた。


「あれは……?」


 その最奥、一際大きな装置が威圧感を放っている。辺りをくま無く見回しながら歩く弥夜は、装置の中で眠る少女を捉えた。


 固く目を瞑り、全身をプラグのような線に繋がれた全裸の少女。生きているのは確かで、呼吸を示す泡が口から放出されている。金色の明るい髪が、液体の中で意志持つように泳いでいた。


 ──此奴こいつが久遠 アリスに違いない。


 全てを察した弥夜は瞳に殺意を宿らせる。その矛先は、装置の中の少女を黙ったまま見上げる東雲だった。


「まさか、此処まで来るとはね。蓮城や桐華も所詮は役立たずか」


「救いの街で私達を逃した事を後悔させてあげる」


「大口を叩かない方がいい。私から見れば君も、ただの一人の能力者に過ぎない」


 切れ長の瞳が圧を放ち、歓迎すると言わんばかりに両手が広げられた。


「でも、来てくれて嬉しいよ。ちょうど私も会いたいと思っていた所でね」


 怪訝そうな表情を見せる弥夜。矢で貫かれた左肩より血液が滴る。地面に形成された斑模様が、仄かに灯る電灯の光を取り込んで真黒に煌めいた。


「夜葉や稀崎は残念だったね。何処から引っ張って来たのか解らない外で戦っている餓鬼も、少しは強いみたいだが直ぐに死ぬだろう」


「お前も久遠 アリスも殺して助けに戻る。もう誰も死なせやしない」


「本気で言っているのかい? 我々に楯突いた時から、こうなる未来は視えていただろう。誰一人として生き残らない。心配は無用だよ、どうせ久遠 アリスの力で……この国はもう時期終わりを迎える」


 装置内の少女に視線をやる東雲は心底愛おしそうな表情をする。瞳の内に宿る狂気が形容し難い色をしていた。


「お前達が牛耳る下らない世界の為に、能力者全ての命を奪うつもりか。命の再分配で荒廃した世界だから……何をしてもいいとでも思っているの?」


「下らない世界とは随分な物言いだね。新たな時代の幕開けと言ってもらおうか。久遠 アリスが目覚め次第、世界は新たな歴史を刻む」


「下衆野郎が」


「それは君達だろう? 罪も無い人を殺し、好き勝手に物資や車を奪い、挙句の果てには妹や仲間を殺された事で憤る。餓鬼の我儘わがままだろう」


「勘違いしないで。私は誰を殺そうが誰が死のうが、そんなものはどうだっていいの。茉白や夜羅、それに瑠璃と共に居られれば他には何も要らない」


「死した者に価値は無い、何も出来ないのだから。我々が創ろうとしているのは今よりも格段に平和で、安全で、何不自由なく暮らせる世界だ。解るだろう? いつの時代だって人を導く存在は必要だ。それを望むからこそ、能力を持たない者達が君たち反乱因子に牙を剥く」


「人を導く存在? それがお前達だとでも言うの? 例え黒い雪が降り、能力者が死滅して新たな歴史が訪れるとしても……其処にお前達は要らない」


「まだ解らないのかい? 支配する存在が必要なんだよ。しるべを無くした者は路頭に迷う。だからこそ我々がその役目を買って出るんだ。夜葉も言っていただろう? 世の中には二種類の人種しか存在しないと。一つは支配する側、もう一つは確か──」


「支配という権限を振り翳した豚共に……抗って喰い殺す側だよ!!」


 救いの街での茉白の言葉を一言一句借りた弥夜は、左肩を蝕む痛みを押し殺し断鎌を振り抜く。


「君如きじゃ私の事は殺れない。夜葉や稀崎が居れば、また話は違ったかもしれないがね」


 軌道を遮られ止まる断鎌。目を見開く弥夜は、東雲が手にする得物に視線を向ける。紛うこと無き四肢裂きの断鎌ワスレナグサであり、自身が手にするものと何一つ相違は無かった。


「全ての能力は私の前では無意味。対峙する者の能力を完全に模倣し、本来の数倍の力で返す事が出来る」


 衝突する得物越しに交わる視線。歯を食い縛る弥夜に相反して、東雲は涼し気な表情を浮かべていた。


 「こんな風にね」と吐き捨てた東雲は断鎌で大きな弧を描く。刃先が空間を裂くように泳ぎ、容易く押し切られた弥夜は胸部を切り裂かれ装置へと衝突。そのまま複数の装置を突き破り壁面に叩き付けられると、ずり落ちるように崩れ落ちた。


 断鎌の柄を支えに立ち上がった弥夜は口内の不快感を吐き捨てる。併せて吊り上がる口角は、未だ戦闘の意思が消えていない証だった。


「へえ、ただのコピー? 扱い慣れない力で私と殺り合うつもり?」


「残念ながら熟練度の思いのままさ。解るかい? これが最強であり、私が組織を束ねる王である所以だ」


「だったら能書き垂れてないで掛かっておいでよ」


「どんな逸脱な能力を持つ者でも私の前では無に帰す。解るだろう? 必殺の手段を持っていたとしても、それを遥かに凌ぐ模倣が私にはあるからだ」


 突如として、弥夜を護るように出現した毒蟲が哭く。これ以上手を出すなと言わんばかりに東雲に突進する毒蟲は、衝突寸前で断鎌により両断された。


 たった一撃、的確に急所を狙った一太刀。即死したであろう毒蟲が東雲の足元で生命活動を終えた。


「一つ訊く。夜葉 茉白は何処に居る」


「お前には関係無い。此処で全て終わらせて、私が最期まで寄り添う」


「寄り添う? 毒に侵食されての死か、目を醒まし久遠 アリスと化すかのどちらかしか未来は無い。もはや死んだも同然、生きているとさえ言えない」


「それ以上……私の相方を侮辱するな!!」


 激情に身を任せて距離を埋めた弥夜は、東雲へと肉薄する寸前、近くの装置を切り裂き視界を遮る。飛び散る硝子片と溢れ出す膨大な質量の液体が、一瞬ではあるが互いの姿を隔て隠した。


「何をしても無駄だ」


 周囲で次々と破砕する装置。圧倒的な速さでの移動に、至る所で不可解な風圧が巻き起こる。


 何処から来るのかと研ぎ澄まされる神経。


 東雲は上方より研ぎ澄まされた殺意を感じ取った。そこには尻尾を地に突き立て跳躍した弥夜の姿。身体の捻りによる威力を上乗せした断鎌が激烈な勢いで薙ぎ下ろされた。


 反発。


 僅かに身体の浮いた弥夜は、それすらも取り込んで更に身体への捻りを加える。


 次いで、威力を増した二撃目。


 堕ちた衝撃は全てを両断するかと思われたが否。下方から振り上げられた断鎌が、弥夜のそれを容易く弾き返した。


「言った筈だよ。私は能力を模倣し、本来の数倍の力で返す事が出来ると」


 四肢を曖昧に縺れさせながら装置へと叩き付けられた弥夜。背に突き刺さる硝子片が激痛を誘発する。破れる衣服、灼け爛れた背の痕が露になり、彼女は揺り返す激痛に大きな舌打ちをした。


「言わば君は、私の劣化版に過ぎない。これが、どんな能力者も私には敵わない絡繰からくりさ」


「他人の力で戦うしか能の無い臆病者が、能書き垂れるなんて滑稽だねえ」


「夜葉の居場所を吐けば助けてやってもいい」


 何故、そこまで茉白に固執するのかと思考が巡らされる。だが即座に結論に至った弥夜は、突き刺さったままの硝子片を無理矢理に引き抜くと雑に投げ捨てた。


「なるほど、漸く解ったよ。後ろの久遠 アリスが目醒めなかった場合の保険として茉白を手中に収める。それがお前の狙いか」


「ご明察。桐華は死に、もう適合者を探す事は出来ない。何百何千と撃ち抜いて来た中でフェーズ2に入ったのは、此処に居る女と夜葉 茉白の二人のみ。まさか、我々に楯突く者の中に適合者が居たとは驚いたよ」


「……誰が教えるか。例え戦えなくなったとしても茉白を売るくらいなら……この喉をさばいて死んでやる」


 鋭さを増す眼光。嘲笑を浮かべる東雲は獰猛な毒蟲を喚び出す。向かい来る毒蟲、初めて敵となった愛くるしい存在に、弥夜は心を痛めた。


「ごめんね、殺したくなんて無いのだけれど」


 毒蟲は十六本の鎌のような脚を使役して襲い掛かる。蜘蛛に酷似した下半身から放出された分厚い糸を断ち切り、脚と断鎌による剣戟が繰り広げられた。


 鋭さを代弁する金属音。薄暗い空間に、哭くように散る火花が至る所で散る。徐々に脚を切り落とした弥夜は、最期の一本を腕力のみで引き千切った。


「大したものだ。君の扱うものよりも数倍は強い筈なのに」


 体勢を崩した毒蟲が愛くるしい声で哭く。儚げな表情で毒蟲を撫でた弥夜。「もう苦しまなくていいよ」と囁いた彼女は一思いに命を奪った。


「ねえ、東雲。私とろうよ」


 靴底に魔力を集め、断鎌を大きく振り翳して地を蹴る。硝子片により傷付いた身体から滴る深緑の血液が、まるで弥夜の軌道を追うように続いた。


「君達に最初から勝ち目なんて無いんだよ」


 全身全霊を以てして振り下ろされた断鎌が静止する。強く食い縛られた歯。目元を覆う髪が表情を覆い隠す。


「自暴自棄になったか。敵わないと悟ったら呆気の無いものだな」


 弾かれた断鎌が背後の装置を貫き割る。飛び散る硝子片。木霊する甲高い音。そんな中で体勢を崩した弥夜は、丸腰でありながら口元を歪に吊り上げた。


「能力を模倣され、更には数倍の力を有する。最初から勝てない事くらい解ってんだよ蛆虫野郎」


 懐にしまい込んでいた夜羅の脇差を取り出す。蒼白の刃が照明を反射して不気味に煌めいた。


 目を見開く東雲。自身の鳩尾付近に突き立てられた脇差。切っ先が皮膚を突き破り、更に奥深くへと力が込められる。断鎌を投げ捨てた東雲は、弥夜の腕を押し返そうと力強く掴んだ。


「死した者に価値は無いと言ったな。何も出来ないと言ったな。これはお前の模倣が及んでいない夜羅の残した力だ。お前が冒涜した死者の遺した想いだ!!」


 半分程の刀身が身体へと沈んだ頃、身体に迸る激痛が弥夜を襲う。無情にも開いた傷跡。その一瞬を見逃さなかった東雲は、腕を押し返すと同時に腹部に蹴りを叩き込んだ。


「……死に損ないの餓鬼が」


 勝ちを確信した東雲は、絵の具さながら地面に血を塗りたくりながら吹き飛んだ弥夜に視線をやる。


「終わりだ、柊 弥夜」


 ふらつきながらも未だ立ち上がる弥夜。尻尾は引き千切れ、牙は元の八重歯へと回帰し、重瞳は失われ普通の瞳へと回帰していた。それでいて尚、口元には笑みが浮かぶ。


「終わりだね。私の勝ちだよ……東雲」


「何を言っ──ッ!!」


 唐突に膝を付く東雲。併せて跳ね上がる鼓動。


「無様に這い蹲れよ。お前の最期に相応しい」


 崩れ落ちる東雲は、解せないと言わんばかりに動かない身体に辟易する。蒼白の脇差を差し出した弥夜は、見せ付けるように眼前に掲げた。脇差に付着する深緑色。刃先を伝って地へと落ちる血液は、地面に小さな血溜まりを形成した。


「私は夜羅の脇差を懐に潜ませていた。お前が私の胸部を切り裂いた時、刃には私の血が付着した」


「……なるほど、毒か」


「毒? 猛毒だよ。私の猛毒が体内に入れば神経は麻痺し細胞が徐々に死滅する。つまり放っておいてもお前は死ぬ」


 身体の自由が効かない東雲の腹部が蹴り上げられる。柔らかい腹部に食い込んだ靴先が内蔵を抉るように振り抜かれた。


 血と胃液の混じった液体を撒き散らし、薄汚れた地面を転がる東雲。弥夜は吹き飛ばされた断鎌を拾い上げると、冷めた目で久遠 アリスの浮かぶ巨大な装置を見据える。


「そこで見てなよ、東雲。お前達の計画が終わる瞬間をね」


「やめろ……久遠 アリスを殺すな!!」


「黙ってろよ蛆虫」


 やけに重く感じる得物が振り上げられた時、巨大装置の硝子が突如として飛散した。腕で顔面を護った弥夜の身体に突き刺さる硝子片。痛みに顔を顰めながらも見開かれた目は、装置より飛び出した全裸の少女を捉えた。



 ──久遠アリス フェーズ3。




 考え得る最悪の展開だった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート