毒姫達の死行情動

其れが──私達の死行情動
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早過ぎる再会

公開日時: 2021年4月29日(木) 17:17
更新日時: 2021年5月5日(水) 23:39
文字数:3,939

「もう歩けないよ、茉白」


 薄汚れた地面に座り込んで駄々をこねる弥夜は、大袈裟に脚を押さえて縋るような瞳で茉白を見上げる。車通りに面した大きな道であるため人通りもそれなりにあり、道行く人々はそんな彼女を見ては含み笑いをしていた。


「はあ? まだ十五分しか歩いてないだろ。どんだけ体力無いんだよ」


「仕方ないじゃん、女の子なんだから」


「うちが男みたいな言うな」


「そのぬいぐるみみたいに抱っこしてよ」


「馬鹿かお前は」


 ため息をついた茉白は煙草に火をつけると、近くのガードレールに座って紫煙を燻らせる。制服で煙草という非日常に、彼女もまた周りの人々の視線を集めた。


「じゃあ少し休憩な」


「さっすが私の相方、超優しい」


 手のひらを返して途端に明るくなる弥夜を見、特大の舌打ちがされる。


「こら、女の子なんだから舌打ちしないの。せっかくの可愛い顔が台無しだよ? 私の方が可愛いけれど」


「……うっざ、またそれかよ。チビのくせに調子に乗るな」


「チビじゃないもん。茉白は身長いくつあるの?」


隣に腰掛けながら、拗ねるような表情が浮かんだ。


「……百六十二」


「うげ、まじ? 私より六センチも高いじゃん、むかつく……超むかつく歳下の餓鬼のくせに」


 僅かではあるが茉白の方が身長は高く、どうにもならない事実に弥夜の頬が空気を取り込んで膨張した。


「歳下よりもチビなんてな。悔しかったら伸びてみろ」


 挑発じみた表情で顔面に煙が吐き掛られる。以前と同じく涙目で咳き込んだ弥夜は、煙草を取り上げると代わりにに飴を押し込んだ。


「ふざけんな、返せ」


「煙草は駄目だよ?」


 近くの灰皿で火が消され、諦めた茉白は放り込まれた飴を渋々と舌の上で転がす。弥夜は何かを期待しているのか、そんな彼女を頻りに確認していた。


「……何だよ」


「舌見せて?」


 「私にならって?」と言わんばかりに舌が突き出されるも、茉白は無視して飴を舐め続ける。


「昨日見せただろ」


「ね? もう一回だけ、お願い」


 両手を合わせて片目を瞑るあざとい仕草。「鬱陶しい」と吐き捨てた茉白は飴を手に持つと一度だけぺろりと舌を出した。


「超可愛い」


 歓喜に染まる表情。だが、偶然見ていた通り掛かった男が、短い声を上げて茉白の事をあからさまにけた。大きな通りでありながら隅っこまで寄った男は、警戒心を抱きながら二人とすれ違う。


「見ただろ? これが普通の人の反応だ」


「どうしてだろうね? 超可愛いのに」


 茉白は敢えて舌を見せ付けるように突き出し、挑発を含んだ表情で男を睨み付ける。その後ろでは弥夜も、援護射撃と言わんばかりに、男に対してあっかんべーをして見せた。目を逸らした男は早歩きでその場を去ると、すぐさま人混みの中へと溶け込んだ。


「此処まで来ればもう解るよ。全く、茉白が方向音痴だから一時はどうなるかと思ったけれど」


「どの口が言うんだよ。うちが車で走った軌跡を覚えてたから帰って来られたんだろうが」


「そんな事ないもん」


「逆方向行こうとしてただろ」


 かれこれ数時間ほど歩いた頃、漸く見慣れた景色が姿を見せる。少し先に見える雑居ビルの二階が事務所であり、無事に辿り着けた事に弥夜は内心安堵した。


「見て茉白、何かやってるよ」


 道路を挟んだ向かい側、小さくも派手に装飾された屋台に子供達が群がっていた。


「ほっとけ、餓鬼の遊びだ」


「口わっる」


「何か間違ってるか?」


「餓鬼じゃなくて子供って言わなきゃ。お子様ならなお良し」


「お前さっきうちのこと餓鬼って言っただろ」


 色とりどりの風船を手渡すピエロの仮装をした男が、子供達に囲まれて汗を流しながら対応に追われている。屋台にはネオンのライトや簡易的な折り紙での輪っかなど、子供達が喜びそうな装飾が施されていた。


「ちょっと見たいかも。此処からじゃよく見えないけれど何か売っているみたいだし、掘り出し物があるかもしれないよ?」


「ある訳ないだろ」


「こういうのは見てみないと解んないの。一緒に来てね? さすがに一人じゃ恥ずかしいから」


「うちを巻き込むな」


「相方でしょ?」


「それを言えば何でも赦されると思ってるだろ」


「否定はしないんだ?」


「……うっざ」


 無理矢理に茉白の手を引いた弥夜は、車が途切れた瞬間を狙って道路を豪快に横断する。屋台には、茉白の胸元に抱かれたぬいぐるみと同じものが売られており、色とりどりの熊がつぶらな瞳で二人を見つめていた。


「あの子も此処で買ったのかな?」


「こんなもん、よくあるぬいぐるみだろ」


「その割には気に入ってるじゃん」


「別に気に入ってなんかない」


「昨日も大事そうに抱えて寝てたくせに」


「起きたらお前の下敷きになってたがな。涎は垂れるわ、うちを蹴り飛ばすわ、いびきは五月蝿いわ、挙げ句の果てには布団を独り占めにするわ、寝相悪過ぎなんだよ」


 舌戦は茉白に軍配が上がり、歳下に論破された弥夜は僅かに頬を赤らめた。


「それはごめんね」


「別に気にしてない。涎まみれにされたこと以外はな」


 無慈悲な追撃。火を噴く口撃が続いた。


「君達も風船が欲しいのかい?」


 二人のやり取りを見ていたのか、ピエロの仮装をした男が優しく微笑む。差し出された風船は、なだらかな風に煽られて右往左往していた。


「すみません、賑やかしていたので少し見に来ただけなんです。その風船は子供達に差し上げて下さい」


 差し出された手を遠慮がちに押し返した弥夜は軽く会釈をする。


「餓鬼って言わないのな」


「こら茉白!!」


 そっぽを向く茉白。男は微笑ましげに二人のやり取りを見ていた。


「ほら、こんな世界だからさ。子供達が少しでも笑顔になってくれればいいなと思って、場所を変えて色々なところで配っているんだ。あと二、三日は此処でお店をしているから、良かったらまた見に来てね」


 装飾された屋台を囲む子供達の目は輝いており、それを見た弥夜も無意識に表情を緩める。


「とても素敵な試みだと思います。貴方も、どうかお身体には気を付けて下さいね」


「優しいね、ありがとう。ところで、そっぽを向いてしまった彼女が抱いているのはうちのぬいぐるみだね。これは一つ一つ魂を込めて手作りをしているんだ」


「そうだったのですね。偶然小さな子供に譲ってもらったのですが、茉白も凄く気に入っているみたいですよ」


「はあ? 勝手なこと言うな」


吐き捨てられた言葉とは裏腹に、熊を抱く腕に力が篭った。


「だったら没収しようか?」


「……触るな」


「気に入ってないんでしょ? 私がもらってあげるね」


「ああもう、解ったから触るな」


 伸ばされた手がはたき落とされる。「痛った」と毒づきつつも、弥夜と男は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


「もう満足か? 帰るぞ」


「うん、ありがとう」


 弥夜は何かを思い出し、懐から鍵を取り出して茉白に差し出す。ぶらりと垂れ下がった鍵が光を反射して煌めいた。


「そういえば、食料の買い出しをしていなかったから行ってくる。先に戻っといて」


「一人で大丈夫か? 襲われたら終わりだぞ」


「すぐそこだから」


 指差された先には巨大なスーパーがあり、納得した茉白は鍵を受け取った。


「身を護る為に妹に施してもらった魔法があってね、私以外の人が事務所に入るにはある手順を踏まないといけないの」


「難しいやつなら無理だぞ」


「簡単だよ。鍵を挿した状態でドアノブを左に七回、右に二回捻るだけ」


 「じゃあ宜しく」と踵を返した弥夜は、熊のぬいぐるみの可愛さに後ろ髪を引かれながらも買い物へと向かう。


 今度は正規の横断歩道を超え、ショートカットをする為に車の止まっていない駐車場を横切る。そのまま道なりに歩いて最後の直線へと差し掛かった頃、弥夜は目を見開いて歩みを止めた。


「嘘……最悪……」


 瞳に映るは、昨日会ったばかりの稀崎の姿。距離は僅か二三十メートル程であり、此処で変な行動を取れば間違いなく見付かる。そう思考した弥夜はごく自然に通り抜ける事を決意する。


「怖過ぎるでしょ」


 視線を合わせず緩徐に前へと歩む。進む毎に高鳴る鼓動が嫌な高鳴りを主張した。比較的暖かめの日差しの中でありながら、額に滲む嫌な汗。永遠のように感じられる時間の中、弥夜はとうとう稀崎の前を通過した。


「何故、やり過ごせると思ったのです?」


 感情の宿らない声。弥夜の胸を突き破る勢いで鼓動が跳ね上がる。


「人違いでは?」


「いいえ」


「……引き返しても怪しいからバレてたでしょ?」


「そうですね」


「稀崎さん? ポケットから何か落としたよ?」


 端的な嘘。稀崎の視線が落ちると同時、弥夜は全速力で駆け出す。だが、魔力を靴底に集めて自己強化した稀崎により、即座に追い付かれる事となった。換気ダクトの音だけが支配する狭い路地の中、行き止まりに追い詰められた弥夜は冷や汗を流す。


「柊、貴女が匿っていた夜葉は何処ですか?」


 髪の隙間から覗く、深い闇のような漆黒の左目が弥夜へと向けられる。息一つ乱しておらず、僅かな隙すら見受けられなかった。


「何処かに行っちゃってハグれたから、私も探しているところなの」


「そんな見え透いた嘘が通用するとでも? あれだけ大胆な行動を共に起こしておきながら、夜葉が一人で何処かへ行くとは考えにくい」


「茉白を追い回しているのなら、誰かと群れるような子じゃない事くらい解るでしょ?」


「……確かに、一理ありますね」


 「解りました」と抑揚無しに紡いだ稀崎はあっさりと踵を返した。


「ねえ、稀崎さん?」


 やけに簡単に諦めた事に内心驚きつつも、弥夜は去り行く背に呼び掛ける。踏み出された脚が止まり、無言で振り返った際に大人びたサイドテールがふわりと揺れた。


「少しお話しない?」


「生憎、貴女と違い暇ではありませんので」


「貴女が還し屋に所属する際に囚われた肉親が……誰かに殺されて死ぬかもしれないとしても?」


 無言でかち合う視線。腹のうちを探り合うように、互いの瞳が鈍い光を宿した。

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