「貴女は、いつ襲撃があるか解らないこの場所で生活をするのですか?」
「うちを殺そうとしていたお前と過ごすよりはマシだろ」
「少しでも妙な真似をしたら殺しますよ」
「安心しろ、一瞬で灰にしてやるよ」
視線の間で飛び交う虚像の火花。二人は顔を背け合うと、待っていたと言わんばかりに沈黙が訪れる。
「あの……」
冷戦のような均衡を先に破ったのは夜羅だった。前髪に覆い隠された右目。露になっている、深い闇のような漆黒の左目が僅かに揺らぐ。
「もし良ければ、私の住んでいるアパートへ来ませんか? 此処よりは安全だと思います」
思ってもみない提案に、茉白は素っ頓狂な声をあげた。
「はあ? どうしてうちがお前の家に行かないといけないんだよ」
「柊に生かされた命を無駄にはしたくはないでしょう。いいえ、決して無駄にしてはいけません。貴女も……私も」
俯いた茉白は黙り込んだ後に肯定する。薄汚れた地面に視線が這う最中、救いの街での如月の言葉が脳裏に過ぎる。
『だから、自爆だと知らせる事がせめてもの慈悲さ。“身体を気遣ってくれたお礼にね”』
その前日に、弥夜がピエロの仮想をする男に掛けた言葉は──
『とても素敵な試みだと思います。“貴方も、どうかお身体には気を付けて下さいね”』
「なるほどな」と独白した茉白はソファに右脚を上げて舌打ちをする。
「──以上の理由から、貴女は私のアパートへ来る事を推奨します。夜葉? 聞いていますか?」
誰も聞いていない熱弁を終えた夜羅。
眉間に皺を寄せる茉白を不思議に思ったのか、夜羅は至近距離で顔を覗き込んだ。意識を回帰させた茉白は慌てて取り繕う。
「稀崎、うちとお前の正体は間違い無く東雲達に漏れている」
「……理由を、訊いても?」
「このぬいぐるみを売っていたピエロ野郎の正体は、間違い無く東雲と共に居た如月だ。つまり……」
言い淀む茉白に対し、夜羅は儚げな笑みを浮かべた。
「還し屋を裏切った事になる私の兄は殺される」
歯を食い縛り視線を逸らす茉白。等しく時を刻む秒針の音だけが、狭い事務所の中を微かに賑やかす。
「すみません、要らぬ気を遣わせましたね。私は大丈夫です、救いの街へ乗り込んだ時から覚悟の上でしたから。もともと会わせてすらもらえなかったですし、生きているというのも怪しい。そうなれば最早……死んでいるのと同義ですから」
「家族が殺されるっていうのに大丈夫な訳ないだろ。弥夜に言われて、素直に生きるんじゃなかったのかよ」
「確かにその事実を先に知っていたのなら……あそこで退く選択はしなかったかもしれません。ですが退かなかったとして、いずれ身分は割れ、兄どころか私も殺されていた事でしょう」
「ですが」と強く握り締められた拳が、怒りを代弁して小刻みに震えていた。
「私は還し屋を赦さない。腸が煮え繰り返っています」
「だったらこれからどうする? 還し屋さんよ」
「毒蛇、勘違いしないでいただけますか? 元還し屋です」
自身の身分を強調し、窓へと向く視線。沈みかけた夕日が皮肉にも優しい色をする。電線に止まったカラス達が声を揃えて鳴き、一日の終わりが近い事を告げていた。
「稀崎、うちは救いの街を叩き潰す」
「到底現実的ではありませんね。返り討ちに遭い殺されるのが関の山です」
灰皿へ視線が落ちる。親友の優來が吸っていた煙草の吸殻を見付けた夜羅は、感情の宿らない瞳を更に淀ませた。
「まあ。大切な者を奪われた者の行動は、必ずしも現実的であるとは限りませんが」
迷いを無くしたのか、紡がれた言の葉に力強さが宿る。
「なんだよ、乗り気なのな」
「夜葉、私と手を組んでいただけませんか? 蓮城を殺し、優來と柊の仇を討ちましょう。もちろん、あくまで一時的にです。断ったとしても咎める事はしません」
「足引っ張ったらお前から殺すぞ」
「それは肯定、でよいのですね? 生かされた命は無駄には出来ない。あくまで“現実的”に行きましょう」
「どの口が言うんだよ。手のひら返しもここまでくると潔良いな」
皮肉を諸共せず、夜羅は情報を共有する為に思考を巡らせた。
「現時点における救いの街の区画数はAからHの八つ。真ん中の大きな建物の北側がA、そこから時計回りにHまで。間違い無いですか?」
「最高責任者とやらから直接聞いたからな」
「でしたら間違い無いかと。私達が合流したのがD区画でした。貴女の言う位置情報から判断すると、私は戦闘を行う前にB、C、Dの三つの区画を見ましたが、そのどれもに転送装置が設置されているのを目撃しました」
「円錐状の装置だろ? うち等も見た。円の中に入ればAからHのボタンが横並びで出ていたから、区画間の転送装置である事は間違い無い。外の者からはどのボタンを押したのかは見えない仕様だった」
「後は」と続ける茉白。
「解析班という全ての根源となる部署がC区画にあるらしい。街の至る所に仕掛けられた監視カメラなどもそこで管理しているそうだ」
顎に手を添えた夜羅は「そこが中枢機関ですか」と思考に耽った。
「まさかとは思いますが、いきなり乗り込むなんて事は考えてはいませんよね?」
「それこそ殺されて関の山だろ。まずは如月への接触が先だ。奴は二、三日は同じ場所にいると言ってた。お前の兄がまだ生きている可能性もあるだろ、情報を吐かせる」
「異論はありません」
肯定した夜羅は懐に手を忍ばせると、三枚のカードを取り出してトランプのように広げて見せる
「これは救いの街で使用されているIDカードです。とりあえず三枚は奪っておきました」
「東雲が持っていた物と同じだな。そんなもん無くても、真正面ぶち抜いて乗り込めば終いだろ」
「毒蛇、貴女は本当に何も解っていませんね。乗り込む時ではなく、脱出する際に役立つのです。適当に殺した者から奪いましたが、誰のIDであろうとこれがあれば脱出を悟られませんから。上手くいけば、救いの街内部を永遠と探し回ってくれるかもしれませんよ」
「……確かにお前の言う通りだな」
ソファから立ち上がった茉白は、陽が完全に沈みきっていない事を確認すると煙草に火を付けて入口へと向かう。
「何処へ?」
「決まってるだろ」
「……野暮でした」
茉白が雑に立ち上がった際に少し位置のずれたソファ。その隙間に何かを見付けた夜羅は静かに拾い上げる。
「これは……」
親友である優來の使っていたシガレットケースだった。金属製の丈夫な造りにライターまで収納出来る仕様になっており、表面には枝垂れ桜の美麗な刻印が施されていた。
「確か座った時に、お尻で踏んで割ってしまった事があったから……丈夫な金属製の物にしたんですよね」
微笑ましい想い出。過去が懐かしまれるも、すぐに意識は回帰する。夜羅はシガレットケースを服のポケットに入れると、先に行ってしまった茉白を追う為に事務所を後にした。
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