「夜羅……!! 茉白が……!!」
アパートへ着くや否や、窓際で意識を手放す茉白が目に入る。弥夜は即座に上体を起こさせて抱くと、辛うじて息がある事を確認して安堵した。
「誰かが侵入した形跡も無い。やはり撃たれた際に毒が体内に入りましたか。耐性がある分、今までは影響が無かったのでしょう」
落ち着いた夜羅とは相反して、弥夜は浅い呼吸を繰り返し瞳に涙を浮かべていた。包帯が解かれた事により露になっている左肩には、先程二人が見たものと同じ真っ黒の液体が付着していた。
「どうして風邪だなんて嘘をついたの……茉白……」
「心配を掛けたくなかったのでしょう」
「いつも私ばかり迷惑を掛けて……こんなの……あんまりだよ……私の方が歳上だよ? しっかりしないといけないのに……」
高熱に蝕まれた身体は熱く、抱える腕に灼熱感が伝わる。落ちた涙が茉白の顔を伝って絨毯へと吸い込まれた。
「大切だから迷惑を掛けたくない、貴女の言い分と同じです」
歯を食い縛り、茉白の手を強く握る弥夜。「触るな」などと聞こえてくる筈も無く、色白で繊細な手は力無く垂れ下がっていた。
「馬鹿茉白……苦しいのなら何で教えてくれなかったの……」
特徴的な八重歯を覗かせて口を開けた弥夜は、茉白の左肩の傷跡に口元を寄せる。だが、腕を掴まれた事により動きが制された。
「柊、何をするつもりです?」
「毒を吸い出す」
「不可能です」
「やってみなきゃ解らないでしょ。私に毒は効かない、上手く行けば助けられる」
「どう見たって……もう全身に回っています」
「いいから離してよ!!」
吐き捨てた弥夜は左頬に迸った痛みに目を見開く。自身の頬が打たれたのだと理解するまでに数秒間を要した。
乾いた音の余韻。自身の右手を胸の前で抱く夜羅は、目を逸らして儚げな表情を浮かべる。
「馬鹿は貴女です、柊」
「どうして? どうして止めるの……」
「毒蛇と呼ばれた夜葉ですら影響を受けているのです。タナトスの能力者が扱う得体の知れない毒ですよ? 効かないとはいえ、貴女までやられて倒れたらどうするのですか?」
「ねえ」と続けた夜羅は僅かに瞳を潤ませる。
「私を一人にするのですか?」
我に返ったと言わんばかりに短い声を漏らす弥夜。「ごめんなさい」と紡がれた言の葉は、部屋内の静寂に拐われて消え入った。
「私こそ、殴ってすみません」
「ううん、ありがとう……目が覚めた」
落ち着きを取り戻した弥夜は涙を拭うと深く深呼吸をする。鎮まりゆく感情をその身に感じ、そっと胸が撫で下ろされた。
「夜羅、私は茉白を助けたい」
「心配なさらずとも同じ気持ちです」
茉白に向く視線。弥夜に抱えられたままの彼女は、必死に生きようとしているのか苦しそうな呼吸を繰り返していた。
「まずは現実的に考えましょう。答えは一つしかありませんが」
「私も夜羅も毒を浄化する力なんて持っていない」
「能力者の中には治療可能な者も居るかもしれませんが、探している時間などもちろん有りやしない。つまり可能性 に縋るとすれば──」
先を託すように言葉が不自然に止まる。大きく頷いた弥夜は、到底隠し切れない殺意を見え隠れさせた。
「毒を扱う術者への接触、解毒薬の存在」
「その通りです」
「確かに答えは一つしか無いね。私達が茉白に付き添っていたところで状況は何一つ好転しない。それどころか毒は深く侵食し、彼女は更なる危険に晒される」
「生還を信じて待つのも選択肢の一つかもしれませんが、柊……貴女はそんな愚かな選択を取る筈が無い」
「茉白を助ける為なら誰だって殺す」
「行こう」と語気を強めた弥夜は、毒に抗う茉白の頭を優しく撫でる。
「特別警戒区域アリスへ」
含み笑いをした夜羅は「合格です」と紡いだ。
「一人で行くだなんて馬鹿な事を口走っていれば、もう一発殴っていましたから」
「ただでさえ三人しか居ないのに、茉白が欠けた戦いとなると戦況は圧倒的に不利だよ」
「救いの街へ乗り込んだ時点で解っていた事でしょう。より強く、より卑怯な方が勝つ。戦闘とはそんなもの」
茉白へと視線を向けた夜羅。「必ず助けます」と囁いた彼女は静かに瞑目する。
猶予は無い。
最悪の結末は帰るまでに茉白が死ぬ事。解っているからこそ、彼女達は深夜でありながら部屋を発った。
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