深夜でありながら街は眠っておらず、蛍光色のネオンや車のライトが闇を照らす。
満月の照る深夜。カーディガンのポケットに手を入れなが歩く茉白。煙草に火をつけようと立ち止まった時、一人の少女が背後から近付いてきた。歳が近いであろう容姿の少女は、夜闇の中でも色褪せない琥珀色の瞳を煌めかせる。
「もしかして……夜葉さん?」
目を凝らす茉白が捉えたのは見覚えのある顔だった。
「お前……七瀬か?」
「うん、よく覚えててくれたね。嬉しい」
七瀬と呼ばれた少女は微笑み、胸の前で両手を合わせる。茉白が学校へ通っていた頃、虐められているところを助けたクラスメイトだった。
「あれ以来か」
「うん、久し振り。あの時は助けてくれて本当にありがとう」
忘れてしまいたい過去を思い返したのか瞳が潤む。
「気にすんな」
「でも、私が弱いせいで夜葉さんに虐めの矛先が向いちゃったから。ずっとそれだけが心残りだった……」
「うちが気にするような性格に見えるか?」
「見えない……かも」
「面倒だから行かなくなっただけだ。どの道あのまま通っていても、またぶん殴って次は退学だった」
煙草が咥えられ、足取りは軽快に進む。七瀬は隣に並び、後ろで腕を組むと歩幅を合わせた。
「あのね、見たよ……」
抑揚の無い弱々しい吐露に、救いの街での映像だと察した茉白は鼻で笑う。吐き出された煙が夜闇に誘われて消え入った。
「だったらうちに近付くな。周りはうち等の事をよく思わない奴等だらけだ。いつ襲撃されるか解らない」
「相変わらず優しいね。夜葉さん、少し丸くなった? 学校に居た時はもっと怖い顔してた気がする」
「そんな事ないだろ」
夜道をしばらく歩き、学校での話が続く。大きな十字路を超え目的地であるコンビニが見えた頃、立ち止まった七瀬が茉白の服の裾を遠慮がちに掴んだ。
「あの……助けて下さい……夜葉さん……」
静かに俯く七瀬は懇願する。何かに怯えているのか、胸の前で組まれた手は小刻みに震えていた。
「……どうした?」
「脅されています」
「脅し? 誰にどういう理由でだ」
「同じクラスの人達に、貴女を連れてくるようにと」
「はあ? うちを? 何でだよ」
──周りはうち等の事をよく思わない奴等だらけだ。
つい先ほど吐いた台詞を思い返した茉白は「なるほどな」と口角を上げる。
「タナトスの目的に賛同する奴等か」
遠慮がちに頷く七瀬。
「貴女達が、特別警戒区域アリスへ行く事を良しとしないみたい」
「うち等が久遠 アリスの首を刎ねれば奴等の計画は幕引きだからな」
「うん……例えタナトスに支配されるとしても、能力者が激減すれば今よりは平和に生きられる国になるからって……」
「だからうち等に死ねってか」
皮肉に歪む口元が胸中を代弁する。眠らない街の喧騒が、思考を掻き消すようにやけに大きく響いた。
「ううん、そういう訳じゃ……ただ私は夜葉さんを連れて来いって言われて……そうしないとお前を殺すって……」
「場所は何処だ、連れてけよ」
「でも」と何かを渋る七瀬は強く瞑目する。連れて行けば、どんな目に遭わされるのかなんて目に見えている。だからこそ彼女は、過去に助けて貰った事を思い出し悲痛な表情を浮かべた。
「お前は黙ってうちを連れて行けばいい。そうすればお前は殺されないんだろ? 但し、向こうに着いた後はうちの自由だ」
「何をするつもり?」
「うちはまだ死ねないとだけ言っておく」
「夜葉さんらしい」
茉白の後ろから前へと出た七瀬は先導する。徒歩により緩徐に流れゆく景色。昼とは違う顔をする街並みを歩くこと約二十分、二人は海沿いの倉庫へと辿り着いた。
「此処か」
「……うん」
恐る恐る歩む七瀬と、一切の恐れすら見せない茉白。辺りには穴の空いたコンテナや千切れた鎖などが散乱する。両極端の面持ちの二人は錆び朽ちた入口を潜ると、簡易照明のみが点く倉庫内へと足を踏み入れた。
充満する埃臭さ。
外よりも散らかった内部が、此処が長らく使われていない事を物語る。ガラクタや船の部品が至る所に置かれており、潮風で錆びてしまったのか、最早表面ですら確認出来ない程に劣化していた。
「連れて来たよ、夜葉さんの事」
周囲を見渡す茉白。辺りに一切の気配は無い。七瀬の言うクラスメイトの姿など何処にも無かった。
「なーんてね」
前を歩く七瀬が振り返る。琥珀色の瞳は先程までの不安げなものとは相反して、深く冷たい憎しみに満ち溢れていた。
「あんた相変わらず優しいよね。久し振りに会った元クラスメイトの話を、何の疑いも無く信じるなんて馬鹿みたい」
「……うちを騙したって訳か。悪いけど、うちは買い物の途中なんだ。騙していたと解った以上、お前に付き合っている暇は無い」
「待ちなよ、夜葉」
苛立ちを含んだ声。肩に手を掛けた七瀬は、茉白が振り返ると同時に頬を殴り付けた。
「何のつもりだ」
迸る痛みと共に地に屈した茉白。口内に充満する血が吐き捨てられる。互いの鋭い視線が交差して不可視の火花が散った。
「ねえ、死んでよ」
懐から取り出されたナイフが淡い照明を反射する。尖った恨みを代弁するように、刃先は茉白の喉元へと向いていた。
「あんたさあ、本気で私の事を助けたつもりでいたの? あの後あんたが学校に来なくなってどうなったと思う? 私がまた虐められるようになった。前よりも酷い事をされるようになってね」
茉白の胸倉が掴まれる。そのまま立ち上がらせた七瀬は至近距離で視線を合わせた。
「あんたの中途半端な正義感のせいで私の人生は終わったの。あのまま耐えていれば大した事無かったのに」
「うちはただ、陰湿な事をする奴等を見ていられなかっただけだ」
「もしかして自覚無いの? 私の人生を台無しにしたんだよ?」
「……そうかよ。悪かったな」
視線を落とす茉白に突き出されたナイフは、柔肌に突き刺さる寸前で灰へと変わる。雲散霧消した灰が、ナイフが存在していたであろう事実ですら否定した。
「言っただろ、うちはまだ死ねないんだ」
「能力者になったからって好き勝手して、必死に生きてる人間を見下して楽しい?」
再び殴り付けられた茉白。手を出すこと無く尻餅をついた彼女は、言葉を噛み締めるように俯く。
「別に見下してなんて無いだろ」
「あんたの家、毒親なんだってね。風俗で働かされてたんでしょ? 店から出てくるあんたを見たって、学校中で話になってたよ」
「だったら何だ、お前には関係無いだろ」
「よく生きていられるよね。救いが無さすぎて、私なら絶望で自殺を選んじゃうかも。産まれてこない方が幸せだったんじゃない?」
浮かぶ嘲りの笑み。
「お願いだから死んでくれない? もう生きなくてもいいでしょ? 親からも見捨てられ友達も居なかったあんたに、大切な人なんて居ないんだから」
茉白の髪の毛を鷲掴みにした七瀬は、再び拳を振り上げる。
「あんた達は、命の再分配で死んだ者達の命を喰らった人殺しなんだからさ。私の親や唯一の友達も死んで、あんた達だけがのうのうと生きているのが赦せない」
産まれてこない方が幸せだった、大切な人なんて居ない、無慈悲な言葉が茉白の胸中を駆け巡る。犯された感情が音を立てて膨れ上がった。
「殴れよ。それでお前の気が済むのなら好きなだけ殴れ」
「その強がりもむかつくのよ!!」
躊躇い無く振り下ろされた拳が止まる。背後から腕を掴まれた七瀬は、現れた第三者に目を見開いた。
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