初勤務の日。ルーナは心配する伯父夫婦を朝から宥めすかし、一人で屋敷に出向いた。そして説明を受けた通り、使用人達が出入りする裏門から入れて貰い、更に話を聞いていた警備の騎士に、ケイトの所まで案内して貰う。
「……お、おはようございます」
ドアの前で騎士にお礼を言って別れたルーナは、ドアをノックしてから恐る恐る室内に足を踏み入れた。するとケイトの他に一人、若い女性が待ち構えていた。
「来ましたね。それではコネリー、彼女に説明と案内を。それが済んだら、一度こちらに戻してください」
「畏まりました。それじゃあルーナ、あなたの話は聞いているわ。私はコネリー・ルマン、よろしくね」
「コネリーさん、ルーナです。こちらこそ、宜しくお願いします」
簡単に挨拶をしてから二人で廊下を歩き出すと、コネリーが笑いを堪える風情で声をかけてきた。
「大丈夫? 随分、緊張しているみたいだけど」
「はい。なんとか大丈夫だと思います」
「メイド長、なかなか厳しいでしょう? 採用試験の一部始終を、ドアの隙間から覗いていた同僚から話を聞いたけど、傑作だったわね」
そこでルーナは、前々から疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「あの……、ああいう求人って、貴族のお屋敷では普通なんですか?」
しかしコネリーは、大きくて手を振りながら否定する。
「まさか! 誤解しないでよ? あんな募集を出すのは、メイド長くらいだわ」
「そうなんですか?」
「ケイトさんは昨年まで王都の公爵邸勤務だったけど、昨年前任のメイド長が辞めるのと同時にこちらに移って来たの。これまで仕事には厳しいけど、きちんと評価もしてくれるすこぶる優秀な人だと思っていたから、この前の採用試験に関する一部始終については、皆でメイド長らしくないなと噂していたくらいよ」
「そうなんですか……」
自分でも納得していないような顔で語る先輩を見て、ルーナも不思議に思ったが、ここでコネリーが足を止めた。
「ここが女性用の更衣室よ。中のテーブルにあなた用の制服一式が揃えてあるわ。通いの使用人はここで着替えるの。貴重品がある場合は、メイド長に預けてね」
「貴重品とかは大丈夫です」
「じゃあ廊下で待っているわ。まださっきの部屋まで、一人で戻れないだろうし」
「宜しくお願いします。急いで着替えます」
「慌てなくても大丈夫よ?」
コネリーは笑って言い聞かせてきたが、ルーナは素早い動きで服を着替え始めた。
(そうは言われても、長々と待たせるわけには……。それにしても、やっぱりあの求人とかは、普通じゃないのね。どういうことかしら?)
契約条件について説明を受けた時、測っておいた寸法に合わせて揃えられていたそれらは、大きすぎず小さくもなくルーナは安堵した。それから再び雑談をしながら、二人は廊下を戻って行った。
「メイド長、戻りました」
「お帰りなさい。ああ、取り敢えずサイズは大丈夫なようですね」
「はい、大丈夫です」
ルーナが真顔で頷くと、ケイトは顔付きを改めて彼女に言い渡した。
「それではこれから半年間は、メイド見習いとして働いて貰います。その間にキッチンメイド、ランドリーメイド、パーラーメイドなど各種の仕事を覚えて貰いつつ、あなたの適正を判断してどこに配置するかを決めます。こちらで一年間勤め上げたら、貴族のお屋敷では無理でも裕福な庶民の家でのオールワークスメイドとして働けるレベルの技量を身に付けさせてあげますし、紹介状も書いてあげましょう」
「ありがとうございます。頑張ります」
(なるほど。1年経って貴族の屋敷では使い物にならなくても、庶民の中では充分働けるようにしてあげるから安心しろってことよね。イルマさん並みに働けるなら、文句を言う筋合いではないわ。辛辣だけど、今後の身の振り方はきちんと考えてくれているってことか。うん、良心的だわ)
ルーナが深く納得していると、ケイトは時間を無駄にするタイプではなかったらしく、すぐにコネリーに指示を出した。
「コネリー、この子をランドリー室に連れて行って頂戴。アネッサに話はしてあるから」
「分かりました。じゃあルーナ、行きましょうか」
「はい」
(よし。家事一般なら普通にしていたし、ちゃっちゃとこなしてあげようじゃない)
これまでに自活していた故にそれなりに自信があったルーナは、やる気満々でコネリーについて歩いて行った。
「お疲れ様。ここで交互に休憩を取るから。時間になったら、また戻るわよ」
「はい……、アネッサさん。ありがとうございます」
自信満々でランドリーメイドの仕事を始めたルーナだったが、その自信は昼過ぎには早くも崩れ去った。先輩に連れられて休憩室に出向いたルーナは椅子に座って暗い顔で項垂れ、そんな彼女を先輩であるアネッサが苦笑しながら宥める。
「何もそんなに落ち込まなくても。ルーナくらいの年からメイドとして働くのは珍しいし、ああいう衣類を洗うのは初めてだったんでしょう? 誰だって、最初は分からないわよ。これから少しずつ覚えていけば良いわ。私だって入ったばかりの頃は、同じようなことをやったわよ?」
「……はい、頑張ります」
「ほら、冷茶を作ってあるから飲んで。それから気分直しに、何か読む?」
「はい? 読むと言うのは?」
壁際のテーブルに作り置きしてある瓶とコップに手を伸ばしながらアネッサが尋ねたが、ルーナが戸惑った声で問い返した。それを聞いたアネッサは一瞬当惑した顔になったものの、すぐに納得した様子で部屋の隅に歩いて行く。
「ああ、確かにこのお屋敷では普通になったけど、この辺りではまだまだ一般的ではないかもね」
そう呟きながら移動したアネッサは、大きな本棚の前で足を止めて振り返った。
「ルーナも覚えておいて。この本棚にある本は、この屋敷の使用人なら誰でも好きな時に読んで良いの。読み終わったら元に戻せば、家に持ち帰って暫く読んでも良いから」
しかしそれを聞いたルーナは、若干たじろぎながら応じる。
「本ですか……。私、詩とか聖典とかだと眠くなって、最後まで読んだ試しが……。教本の文章例題とかは、ちゃんと読みましたが」
「違うの。この本は全部小説だから安心して」
「はい? あの『しょうせつ』って、なんですか?」
全く聞き覚えのない言葉を聞いて、ルーナは本気で戸惑った。しかしアネッサはそんな戸惑いなど目もくれず、嬉々として本棚から一冊の本を抜き取ると、足早にルーナの所に戻る。
「自由な発想で、型に囚われない話を作り上げた物よ。ぐだぐだ説明をするより、実際に読んで貰った方が早いから読んでみて! まずはこれね! 私達、乙女の聖典とも言える《クリスタル・ラビリンス~暁の王子~》! これであなたの人生が花開くこと間違いなしだから!」
「……はぁ、お借りします」
わけが分からないまま押し付けられたものの、ルーナは素直にその本を受け取った。
(なんだろう……。メイド長さんがちょっと変だと思ったけど、他のメイドさんもちょっと変かも。でも後々の付き合いもあるし、取り敢えず読んでみようかな?)
人付き合いにおける最低限の礼儀をわきまえていたルーナは、休憩時間の間アネッサが熱く語る《クリスタル・ラビリンス~暁の王子~》に関するうんちくにおとなしく耳を傾け、仕事が終わると借りた本を携えて帰宅したのだった。
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