ルーナが妹と共に、シェーグレン公爵領中央街にやって来て四年目。
お屋敷勤めを始めてから丸三年が経過した今では、ルーナは年若いながらも一人前のメイドとして働き、周囲からの信頼も厚かった。
「ルーナ。あなたは何歳になりましたか?」
「十五歳になりましたが……。メイド長、それがどうかしましたか?」
ある日、仕事の合間にケイトに呼びつけられたルーナは、メイド長室に出向いた途端年齢を問われて面食らった。しかし取り敢えず素直に答えると、ケイトは妙にしみじみとした口調で語り出す。
「思えば……、洗濯をさせればレースを引きちぎり、炊事の下ごしらえをさせれば芋を樽1つ丸ごと剥き、給仕をすればポットを取り落とし、窓を磨かせればガラスにヒビを入れ、書類の整理と試写をさせればインクを派手にこぼし……。それなりに、色々あった三年間でしたね」
「……本当に周囲の皆様のご指導には、深く感謝しております」
「誤解しないで欲しいのですが、確かにあなたは数多くの失敗をしましたが、私が記憶している限り、これまでに同じ失敗を繰り返した事は皆無です。それは褒められて然るべきことですし、誇りに思って良いでしょう」
「…………恐れ入ります」
「それに今のあなたであれば、裕福な庶民のオールワークスメイドとしては勿論のこと、直接奥様やお嬢様方のお世話をする、専属のレディースメイドとしても働けるのを保証します」
「………………ありがとうございます」
(無表情で言われると、あまり褒められている気分にならないけど……。相手はメイド長だし、これが普通よね。取り敢えず怒られていない事は分かったから、素直に受け取っておこう)
内心でそんな事を考えながら耳を傾けていたルーナだったが、ここでケイトが微妙に口調を改めて告げた。
「ところで、今日あなたを呼び出した理由ですが、内々にあなたの意向を確認しておきたいと思ったからです」
「あの……、何に関しての意向でしょうか?」
「ルーナ。あなた、王都の公爵邸で働くつもりはありませんか?」
「……………………はい?」
あまりにも藪から棒の話に、ルーナの目は限界まで見開かれたが、ケイトは淡々と詳細について語り出した。
「ただいま……」
「あ、お姉ちゃん。お帰りなさい。そろそろお夕食ができるから」
「ああ、……うん」
アリーは九歳になり、前年結婚して家を出たリリーの代わりに、かなり家の手伝いをするようになっていた。その日も片付けを手伝っていたのか、廊下で乾いた洗濯物を抱えて声をかけてきたが、ルーナはどこか心ここに在らずといった風情で応じる。それを見て、アリーは不思議そうに姉に尋ねた。
「どうかしたの? なんだか変な顔をしてるけど」
「食事が終わったら話すね。ちょっと自分でも混乱しているから」
「そう?」
怪訝な顔になりながらも、アリーはそこで問い質すことはなく、おとなしく引き下がった。そして家族全員が揃った夕食の席で、皆が殆ど食べ終わったのを見計らって、ルーナが口を開いた。
「ええと……、今日は私から、皆にちょっとした話があるのですが……」
「おや、ルーナ。どうしたんだい?」
「今日お屋敷のメイド長から、王都の公爵邸で、エセリアお嬢様の専属メイドとして働く気はないかと尋ねられました」
ルーナが単刀直入に話を切り出すと、それを聞いた彼女以外の全員が驚きの表情になる。
「なんだって!?」
「王都の公爵邸でだと!?」
「え? それってどういうこと?」
「わざわざルーナが行かなくても、王都のお屋敷ならメイドは沢山いるのではないの?」
(誰だって、普通はそう思うわよね……。それにメイド長の話が、なんか肝心な所で妙に要領を得ないし……)
アルレアの尤もな指摘に、ルーナは内心で同意しながらも話を続けた。
「メイド長の話では、エセリアお嬢様が幼少の頃からずっと付いていた専属メイドの方が、もう二十代半ばになっているらしく、奥方様や公爵邸のメイド長達が、その方に然るべき縁談を紹介してあげようとの話になっているそうです」
そこまで話を聞いたゼスランが、素朴な疑問を口にした。
「その年齢ならば確かに周りが気を揉みそうだが、そのメイドさんは何か理由があってこれまで縁遠かったのか?」
「メイド長の話では、個人的には全く問題なかったみたいですが、何やら『私が離れたらエセリア様のお世話を誰がするのか心配だ』とか言って、縁談を自主的に断っていたとか……」
「…………」
ルーナがそう口にすると、食堂内が静まり返った。そしてその場全員を代表するように、ネーガスが遠慮のないことを言い出す。
「エセリアお嬢様には三年前に例の件で一度お会いしたが、その時には特に問題があるように見えなかったが、実は違ったのか?」
「お祖父さん、あまり失礼なことを言わないで……。メイド長の話だと、単に独特な発想をされるお嬢様で、時々周りからすると予想外の行動をされるみたいなの。それで『とてもあの方の専属メイドは無理』と、怖じ気づいているらしいのよ」
「それだけか? それだけで専属メイドのなり手がないとは、考えにくいが……」
「それはやっぱり王都の公爵邸だし、色々あるんじゃない?」
「そうは言ってもな……」
怪訝な顔のネーガスをルーナは宥めたが、内心は祖父とそれほど変わらなかった。
(なんかメイド長が途中で色々言い直したり、口ごもったりしていたけど、あの長い話を要約すればこういう事よね?)
自分自身でも今一つ釈然としなかったルーナに、ここで何やら考え込んでいたゼスランが、推測を口にする。
「そのエセリア様の専属メイドの方は、二十代半ばと言ったね? それではもしかしたら、何年か前から交代に向けての対策が王都の公爵邸で考えられていたのではないかな?」
「はい。実はそうだったみたいで、エセリアお嬢様付きのメイドを志願する者がいなければ、多少の事では動じない同世代の少女を将来のお嬢様付きのメイドとして育成しようと考えたそうです」
「ああ……。それで、あの妙な求人条件か……」
どうやら過去の記憶について合点がいったらしいカイルが思わず口を挟むと、
ルーナが深く頷く。
「そうなの。王都でも同じ条件で募集をかけて、二十人近く私と同年代の少女が集められたけど、公爵邸のメイド長のお眼鏡に適う人がいなくて、全員不採用だったそうよ」
「こちらのメイド長も、なかなか厳格そうな方だったが……」
「向こうのお屋敷のメイド長も、相当みたいね」
そこまで話を聞いたゼスランとミアが、思わず顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「どちらのメイド長も公爵邸で一緒に長く勤めていて、気心の知れた間柄だそうです。それで私を採用したことを伝えたら、全面的に教育を一任されていたとか。それで最近、めでたくエセリア様の専属メイドの方の縁談が整ったので、私を王都に寄越してくれないかと要請されたそうです」
「……お姉ちゃん、王都に行っちゃうの?」
それまで黙って話を聞いていたアリーが、不安そうに見上げてきたのを見て、ルーナは僅かに胸が痛くなりながら話しかけた。
「まだ、正式にそう決まったわけではないの。あくまでも、私の希望を聞いてくれると言っていたし。それに、最終試験を言い渡されたから」
「最終試験?」
「本を3冊渡されて、ひと月の間にそれを読んでおくように言われたの。ひと月後に感想を聞いて、それで合否を判断するって。ただし、王都に行かずにずっとこちらで働きたいなら、試験を受ける必要はないとも言われたわ」
「変な話だな。意味が分からないぞ」
不思議そうに尋ねたアリーに続き、ラングも怪訝な顔で正直に思うところを述べると、ルーナは困った顔になりながら肩をすくめた。
「私もそう思ったけど……、そもそも採用試験が“あれ”だったじゃない? 凡人には分からなくても、立派な意味があるのだと思うわ」
「まあ……、それはそうかもな……」
ラングが呆れ顔で返すと、ゼスランが真顔で確認を入れてくる。
「それで? ルーナはどうするつもりなんだ?」
その問いかけに、ルーナは真摯に答えた。
「正直、迷っています。ここには皆もいるし、王都なんて華やかな所で、ちゃんと働けるか不安ですし。でも、あのメイド長がそこまで自分を認めてくれたのなら、自分がどこまでやれるのか、試してみたい気持ちもあります」
「そうか……。お前がどちらを選んだとしても、私達は応援するよ」
「ええ、あなたの人生ですものね」
「伯父さん、伯母さん、ありがとうございます」
「…………」
ルーナが伯父夫婦に感謝の言葉を伝えている間、ネーガスとアリーは何か物言いたげにしていたものの、それ以上何も言わなかった。
それから食事を終えた全員が食堂を出て移動したが、アリーはルーナが何か言う前にさっさと自分の部屋に引っ込んだ。それで今は一人部屋を使っているルーナも、自室に引き上げることにする。
「さて、取り敢えず読んでみるか。試験を受けても、駄目だと判断される場合もあるけどね。だけど感想って……、何を言えば良いのかな」
そんな独り言を呟きながら、ルーナは屋敷から持ち帰った本のうち一冊を開き、ランプの明かりで読み始めた。しかし少し読み進めたところで、ちょっとした疑問と違和感を覚える。
「あれ? この話って……」
首を傾げたルーナだったが、取り敢えず通しで読んでみようと、そのままゆっくりとページを捲っていった。
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