戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

十六

公開日時: 2020年10月25日(日) 20:00
文字数:1,659

「竜!」

 気が付くと、枯れ果てた湖の真ん中に立っていた。姫の声が、一番に耳に届いた。

 森の傍で、ぽろぽろと白露をこぼす姫が目に入った。

 帰ってきた。竜は小さく息をついた。

「いやぁ、びっくりしたぜ。いきなり水がドバァーッて、真ん中に吸い込まれていったと思ったら、お前が立ってんだもんな!」

「斎王くんの体に、吸い込まれていったように見えました。蒼龍の力を得ることができたのですね」

 二人が竜に近づいて、口々に言葉をかける。

 だが、耳が、変だ。触れるほど近くにいるのに、遠く聞こえる。

 言葉の途中途中で、耳の奥が、コポコポ、と鳴る。

 音は次第に大きくなり―蒼龍の声が、聞こえた。


――アイツ ダナ、オニガミ ハ。


 水面のように揺らめく瞳が、自分の意思とは別に、勝手に、姫を捉えた。

 竜の様子がおかしいことに、四人は気付いた。ここに、戦うべき対象はいないはずだ。それなのに、こめかみから角が伸び、右手には青い刀が握られている。刀も、いつもと違う。白い煙が、青い刃に巻き付いて、揺れている。

 竜の体はいつのまにか、疾風のごとく飛び出していた。姫に向かって、まっすぐに。

「斎王くん!」

 雫が叫んだ時にはもう、青い刃は、地に膝をつく姫に向かって振り下ろされていた。


 その瞬間、刃を、透明な花が包んだ。

 咄嗟に振り上げた姫の右腕から、力が発動されたのだ。


 あまりの衝撃に、姫に抱きしめられていた陽は、ころころと転がった。

 姫の震える右腕が、迫り来る刃に抵抗する。少しずつ、透明の花が押し返す。押し返しながら、足を地に着き、立ち上がる。


 だが、姫の体が完全に立ち上がった途端、透明の花が、儚く弾け割れた。反動で、互いの体が後方に吹き飛ぶ。


 仰向けに倒れた竜の手から、青い刀が離れた。竜は、蒼龍の力を制御しようとするが、思うように体が動かない。力んだ手のひらで地面を握るばかりだ。


 そして姫は――大木に背中を打ち付ける寸前で、どこからともなく現れた、ひび割れた黒仮面の子どもに抱きとめられていた。


 ぽつぽつと雨が降ってきた。森の暗闇に紛れて、姫を囲う五つの黒仮面が浮かび上がる。

「神宮団……!」

 光が、ギリッと牙を鳴らした。

 姫を囲う五人と、姫の体を支えていたメイゲツは、姫に向かって片膝をつき、恭しく低頭した。


「お迎えにあがりました。――鬼神様」


 シグレの声に、三人の視線は一斉に姫に集まった。

 ゆっくりと顔を上げた姫は、額から伸びたつるのような美しい角を黒く変色した髪に飾り、瞳を赤く、妖しく咲き乱らせていた。

 笑顔。だが、いつもの優しい微笑みではない。ゆがんだ狂気がにじみ出ている。

「今度は、ちょうど良い時頃に迎えに来られたな」

 彼女は褒美でも与えるように、自らの右手中指の石をシグレの唇に当て、口づけさせた。

「光栄でございます。我が存在は、我が主のために」

 

――我が存在は、我が主のために。


 五人の黒仮面の復唱が、低く、闇に沈む。

 困惑と絶望に墜ちた少年たちの顔など目もくれず、彼女は竜に向けて右手をすっと伸ばした。

 中指の石が花開き、一片の花びらが赤い大蛇と化す。大蛇はするりと伸びて、竜の首に巻き付くと、竜の体を軽々引きずり、鬼神のもとへ運んでいく。

 雫も光も、竜を解放しようと身を乗り出しはした。しかし、筋肉が固まって、うまく体が動かない。

 雫は、シグレの力によるものだと気付いていた。この雨に、麻痺の薬が仕込まれているのだ。だが、脱け出す方法を知らない。思案を巡らせるも、すでに竜は鬼神の足元で、白い指に髪を掴まれていた。

「よく見ているがいい。自分の愛する女を守れなかったさまを。この女が、絶望に墜ちていくさまを」

 竜の瞳が黒く、怒りに満ちる。鬼神は冷笑すると、竜を投げ捨て、立ち上がった。

「鬼神様。この蒼龍刀の男は、私が処分いたしましょうか」

 髪を一つに丸くまとめた黒仮面が勇み立つ。鬼神は、「よい」と制した。

「この男の魂には絶望を刻まねば気が済まぬ。この女が世界を滅ぼし、自らを責める姿を目の当たりにさせるまで、生かしておけ」



 その言葉を最後に、姫の姿は消えた。

 霞に溶けゆく、黒仮面とともに。

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