下駄箱で姫は、「この後、どうする?」と聞いた。せっかく早く帰れるのだから、自分の家で一緒に受験勉強をしないかと陽は提案した。正直陽は、そんなに受験勉強に一生懸命ではない。一方、姫はとてもよく努力をしている。武蔵市で一番偏差値の高い進学校を目指しているからだ。一学年約四〇〇人、十クラス構成の、この武蔵市立第六中学校の定期試験で、毎回学年一位か二位を取っているほど実力があるのだから、そんなに努力をしなくても……とも思うが、自分を過信せず、謙虚に努力するひたむきさが、陽はとても好きなのだった。
「でも、いいの? せっかく早く帰れたんだし、おじい様のお見舞い、行きたいんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。行ったところで叱られて追い返されるって。それこそ、受験勉強しろ! ってさ」
二人はたわいない話で盛り上がりながら、コンビニでアイスと飲み物を買い、陽の家へ向かった。
陽の家は影宮神社である。規模は小さいものの、陽の祖父が陰陽師の最後の一人として人間国宝に指定されているため、日本中に名が知られている。とはいえ、武蔵市で一番栄えている新武蔵駅から二駅離れた住宅地域の中に建っているので、場所が分かりにくく、滅多に人は訪れない。その上、父も母も亡くし、祖父も入院中、神職や巫女も雇っていないがために、現在は陽一人で住んでいる。
丘の上、周囲は神社林のみ。風にそよぐ木の葉の音と、小鳥のさえずりしか聞こえない。
まさに、受験勉強にも、キスにもうってつけの環境である。
ところが、陽はまたもやぼうっとしていた。
熱心に勉強する真剣な表情や、髪を耳にかけたり、人差し指で下唇をキュッと押し上げたりして一生懸命考えるしぐさ、時々集中のために漏らす深い息の音――。
姫の一挙一動全てに見惚れ、聞き惚れていたのである。
姫の集中は途切れることなく、柱時計が十七時を告げた。空の色はいつのまにか薄まって、橙の雲が漂っていた。
「あ、そろそろ送ろっか。俺も、ついでに夕飯買いたいし」
姫は、「ありがとう」と微笑んだ。
「今度、作りに来ていい? お夕飯」
「ほんと? いいの? 食べたい、すっごく!」
「練習しておくわね」
陽が、「やった!」とガッツポーズをすると、姫はふふふと笑った。
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