戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2020年11月4日(水) 20:00
文字数:2,076

 姫の家の隣にある小さな公園に、二人はぽつんとしゃがんでいた。雨が蒸れた、梅雨のにおいが充満している。紫色の守護符の灯りが、公園の中をほのかに照らしているが、深緑のクローバーは暗闇に溶けてしまって、よく見えない。竜が、スマホのライトで姫の手元を白く照らした。

「そういえば、竜、告白されたんだって? 先輩に」

「さあ」

「さあって。聞いたわよ。は? って返したんだって?」

「あぁ、あれか」

 二人は、指で一つ一つクローバーの葉を確かめながら、目も合わせず、さらさらと話をする。湿った土のにおいがする。

「竜のこと、好きって言ってくれたんだから、大切にしなきゃ。ありがとうとか、ごめんなさいとか、誠意を持って返した方がいいわ」

「なんて返したって結局同じだろう。そんなどうでもいい奴に、いちいち言葉を考える必要はない」

 姫の指が、クローバーの葉をつまんで、止まった。

「竜は、好きな人とか、いないの」

 竜は、手を止めなかった。川の流れのようだった言葉は、せき止められたように出なくなった。蛙や虫の高い音が沈黙を埋める。

「竜は――」

 降り始めた雨のように、姫の声がぽつりと漏れた。

「私のこと、どう思ってるの……」


 竜の手が、止まった。


 耳の中が、空っぽになる。


 姫が、すっと立ち上がって、少し離れたところにしゃがんだ。

 自分のスマホのライトでクローバーを照らし、指を動かす。


 竜は、何も言わない。

 ああ、いっそ、言わなくていい。どうしてこんなことを聞いてしまったのだろう。

 自分の伝えるべきことは、変わらないのに。


 姫は、ずっと考えてきた。

 あの戦いで鬼神が言った、竜が自分のことを大切に思っている、という言葉を。

 そして、竜が今まで何度も繰り返してくれた、「姫が幸せならそれでいい」という言葉を。

 竜はどうして、そんな風に思ってくれているのだろう。どうして、そんなことを言ったのだろう。

 眠れない夜を繰り返した。

 いつまでも朝が来ない気がして、窓を見つめては、苦しくなって瞼を閉じた。

 一つの憶測が心で騒ぐ。竜の行動がつながっていく。

 だが、確かめようとどうしようと、伝えることは変わらない。

 それなのに、口に出そうとすると、死んでしまいそうなくらい、胸が痛くて、苦しい。

 体が勝手に、命をつなごうと、浅い呼吸をする。


 その時。右手の指が、隠れた葉っぱを一枚見つけた。

 白いライトで照らすと、たしかにそれは、四つ葉のクローバーだった。

 根元からやさしく摘み、胸に抱いた。

 心からの願いを、託すように。


「竜」


 振り返ると、姫が、四つ葉を差し出していた。

「竜が、幸せになりますように」

 優しい微笑みに、なぜか息が苦しくなって、竜は目をそらした。

「俺は……姫が幸せになれば、それでいい」

「だめ。持っていてほしいの。お願い」

 姫が、竜の前に膝をつく。そして、竜の左手をそっと開くと、四つ葉を置いた。

「竜、聞いて」

 姫の指が、やさしく、竜の左手の指を畳んで、クローバーを握らせた。そのまま、ぎゅっと、姫の細い指が、竜の大きな手を握りしめる。白い指は、少しだけ冷たくて、少しだけ震えていた。

「竜、この前も言ってくれたわよね。私が幸せであることが、自分の幸せって。嬉しかった。竜が私と同じ高校に行くって言った時も、びっくりしたけど、嬉しかった。また一緒にいられるんだって。でも、私……そうやって、竜に依存していたんだなって、気付いたの。竜が、誰かに告白されたって聞いた時も、すごく、いやな気持ちがして……。だめよね。竜が私を……幼馴染として大切にしてくれているからって、そうやって、竜を縛っている」

「いいよ」

「よくない。だって、私は……竜と、ずっと一緒にはいられない」

 泣きそうな瞳が交差する。竜が、ひとりぼっちになったような目をしている。

 かすかに、「なんで」と、唇が震えた気がした。

「私は、竜がどんなに大切に思ってくれていても、陽が好きなの。この先、どんな将来があるか分からないけれど、きっと私は、大学に行ったり、誰かと結婚したりするわ。でも、私は、竜の想いにこたえられない。こたえられないのに……。そうやって、振り回して……竜の人生に、私はこれ以上、責任を持てないの……!」

 姫の手が、竜の左手から離れていく。強く食い込んだ細い指の跡は、すぐに赤みを帯びて、熱くなった。

 姫は、小さく「ごめんね」と肩を震わせた。

「距離を、置いてほしいの」

 竜はしばらく、自分の左手を名残惜しそうに見つめ、熱いところを撫でていた。


 だが、やがて、「分かった」と静かにつぶやいた。


 耳慣れた足音が、遠くなっていく。


 姫は、ありったけの力で、胸を掴んだ。

 痛くてたまらない。

 心がえぐられて、ぽっかり穴が開いてしまって、だけど、もう決してふさぐことができないような、果てしない痛み――。


 だけど、きっとこれでいい。

 自分も、竜も、幸せになれる。


 悲しみも、苦しみも、永遠には続かない。

 いつかきっと、この痛みを乗り越えて、幸せになれる日が、きっと来る。

 今までだってそうだった。生きているって、そういうことだ。


 いつのまにか、虫の声は聞こえなくなっていた。

 ぽつり、ぽつり、と姫の頬に雨が落ちた。

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