戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

十一

公開日時: 2020年11月6日(金) 20:00
文字数:4,411

 玄関の戸を開くと、フードを被った、赤い眼の狼男が立っていた。耳の部分からは牛の角が生えている。長い舌から唾を滴らせ、荒く呼吸をしている。毛まみれの手には、長く、太い爪が伸びていた。この爪で、コンクリートを破壊したというわけか。

 竜は右手中指の石を赤く輝かせ、二本の角と牙を生やした。右手に太刀が顕現する。白い煙が青い刃をまとう。

「やっぱり、いやがったな? てめぇの力、俺がもらう!」

「蒼龍! 来い!」

 白い煙が、みるみるうちに巨大な蒼い龍となり、三十二本の牙を剥いて、咆哮した。ひげをうねらせ、フードの男に喰いかかる。

 だが、蒼龍が嚙み砕こうとした瞬間、フードの男はするりと本物の狼に姿を変えた。狂った笑い声を上げながら、姫の家の前、公園の前を駆け抜けていく。蒼龍が体をうねらせ、追いかける。竜も、姫の手を引いて、後を追った。蒼龍は何度も狼を捕らえようと、爪を、牙を伸ばすが、コンクリートをむやみに削るだけだ。奴は、攻撃の瞬間、影に溶け込んで回避している。

「なかなか厄介な客だな」

 そう言って、竜は振り返った。笑ってはいないのに、ひどく楽しそうに見えた。姫の心に、冷たい痛みが走った。

 姫は、言葉を返すことができなかった。竜に引っ張られて走るのは、つらい。息をして、足を動かすのも精一杯だ。

 竜は足を止めて、蒼龍を刃に戻した。

 淡い紫色に染まるコンクリートの道に、電信柱と民家の影が縞模様をつくっている。

毛むくじゃらの狼男が、ゆらりと立ち上がる。

 竜は、太刀を構えて、姫をぐっと引き寄せた。

「貴様はそのまま殺さない。色々と吐いてもらうことがある。まずは、その鬱陶しい足からもらう」

 毛むくじゃらが、唾液で濡れた口の回りをべろりと舐めた。

「お姫様を守りながら? かっこいいねぇ……。しかも、好都合。……さあ、殺すぜぇ!」

 狼男が、銀色の爪を輝かせる。太い足で、コンクリートを蹴る。俊敏に、竜にまっすぐ、突き進む。

 竜は、ぎゅっと体を硬くする姫を、左腕で抱えた。目を凝らし、姿勢を低くし、間合いをはかる。


 今だ。


 青い閃光が、宙を横に斬る。


 だが――狼男は、無数の風の刃によって斬り裂かれ、真っ黒な影になって、散り散りになった。


 向こうをみると、してやったりの顔をした光と、苦笑を浮かべる雫、そして、陽が立っていた。

 姫は、慌てて竜の腕から脱け出した。膝が、がくんと崩れる。疲労、恐怖、安堵―いろいろな感情が入り交ざって、心臓がバクバクと激しく脈打つ。胸に手を当て、肩で息を整える。

「危機一髪だったじゃねぇか。あ、もしかして! まだポンポン痛いんでしゅかぁ?」

 光の一言に、竜は牙を剥きだした。

「影ごとき、俺一人でやれた。ふざけたことをぬかすなら、次はお前ごと殺す」

「ンだと?」

 ガンを飛ばし合う二人をよそに、雫はのんびり、「なるほど」と下唇を撫でた。

「影の力を使う鬼ですか。前に、戦ったことがあります。ということは、あれは四鬼ではない、ということですね」

 影に忍ぶ力を持った鬼が、狼に変化する鬼人の体を乗っ取った、というところだろう。

「ああ。しばらく殺さない。足だけ斬り落とす」

「ではまず、影から本体をあぶりだしましょう。この辺一帯を更地にするのが、一番手っ取り早いですね」

「待て! そんなことしたら、雫が危険だ! ってか民家だからまずいって。中の人も死ぬ……!」

 陽が冷や汗をかきながら制止する。雫は目を丸くして、一瞬、きょとんとした。だが、すぐにふわっと笑って、「では、こうしましょう」と光に耳打ちした。光は、楽しそうに、ニッと牙を剥きだした。

「斎王! ぶっ飛ばすぜ!」

 即座に、竜が姫を左腕で抱き上げる。姫が「キャッ」と悲鳴を上げ、陽が「あっ」と声を漏らす。

 光は、右手の中指を赤く輝かせ、思い切り竜巻を放った。竜と姫の体がぶわっと宙に巻き上がる。

 二人が空中で安定したところで、雫と光が、ありったけの封印札を撒いた。光の風に運ばれて、白い紙がコンクリートを覆い尽くす。たちまち、一柱の電信柱の影から、狼男が飛び出した。封印札が影に蓋をしたために身動きができなくなり、隙間から脱出したのだ。

「邪魔しやがって! お前ら全員喰ってやる! だが、まずは、てめぇだ!」

 狼男が地を蹴って、跳んだ。竜と姫に向かって、爪を伸ばす。

「し……式神、捕縛! 急急如律令!」

 たどたどしい陽の声が響く。たちまち、式紙の紐が、狼男の体に絡まった。狼男の体制が崩れ、竜の方に足が向く。

 竜は青い閃光を放ち、狼男の足を斬り落とした。

 絶叫が夜闇に響く。

 姫は咄嗟に顔を背け、竜の胸に額をうずめた。竜は青い太刀を投げ捨て、右腕で、姫の体を抱え込む。

 雫が、鞄から三十、いや、四十以上もある紙人形を取り出し、印を切った。

「式神、|編縄創床《へんじょうそうしょう》。急急如律令」

 瞬く間に、式神の縄が、雫の手から華麗に飛び立つ。糸を織って布を作るように、互い違いに重なった式神たちは、民家の屋根の上に、床板のようになって浮かんだ。

 変身が解け、フードを被った男が、うつぶせに床に落ちた。ピクリともしない。膝から下がなくなり、式神の白い床に赤い液体を滴らせていた。

 竜と姫は、白い床に降り立った。胸の中で呼吸を震わせる姫に、「目をつむってろ」とささやくと、竜は、姫の右肩を抱きしめたまま、男の頭に近寄った。

 光の風に乗って、三人も、式神の床を踏んだ。

「姫!」

 陽の目に一番に映ったのは、姫だった。竜の胸で目を隠し、小さく震えている。この場から離してあげたくて、陽はすぐさま駆け寄り、姫の右腕をぐいと引き寄せた。だが、竜は、姫を離さない。

 竜の憎悪に満ちた目と、陽の怒りに満ちた目が交差する。

「姫が怖がってんの、分かんないのか! 姫の手を離せ!」

「お前が隠形鬼で、俺から引き剥がした瞬間、姫を喰い、俺を殺そうとする可能性がある」

「違う! 俺は、そんなことしない!」

 竜が、鼻で嗤う。

「……竜、やめて。私を、離して……!」

 姫が、声を絞り出して、言った。左手の白い指が、ぐっと、竜の胸に食い込む。

 だが、竜は決して離さない。顕現させた青い短刀を、陽の前に放り投げる。

「隠形鬼でないと言うなら、この男を拷問しろ。情報をきっちり、全部吐かせろ。四鬼である隠形鬼が、今どんな奴に乗り移っているかまでな」

「やめて! 陽はそんなことできない!」

「てめぇ! 黙って聞いてりゃ、がたがたがたがた言いやがって!」

 光は、怒りに任せて叫んだ。


 たしかに、どんな者にも乗り移ってしまう隠形鬼に命を狙われていれば、何もかも疑心暗鬼になるだろう。だが、陽は、戦いに慣れていない。ちょっと陰陽術ができるだけの、ただの人間の高校生だ。拷問なんて、できるはずがない。そんな凄惨なことをさせるなんて、正義の心が許さなかった。


 竜は言い返しもせず、光を見ることもない。ただ冷たく、試すように陽を見下ろしている。

 陽はしばらく奥歯を噛んでいたが、やがて、短刀を拾って、呻き声を上げる男に体を向けた。

 だが、体が動かなかった。冷たい汗をだらだらと流して、短刀を持って立ち尽くすばかりである。

 月明りの乏しい夜空の下でも、陽の顔が真っ青になっていることは、明白だった。


 静かに――いつのまにか。


 震える陽の手から、雫が、青い短刀を奪っていた。

「僕の方が、手慣れていますから」

 やわらかい髪をなびかせ、膝をつく。

 男の髪を掴み、雫は、刃の先端で瞼をめくった。

「お待たせしました。では、お伺いします。体を動かさず、はっきりお答えください。体を動かしたり、お答えがなかったり、分かりにくかったりした場合には、一つずつ、体の部品をいただきます」

 雫は、いつもと同じように、にっこり笑っていた。

 男の、唾を飲む音が聞こえる。

「あなたに隠形鬼の力を与えたのは、誰ですか」

「……ち、ちゃいろい、かみの、おんなだ…………」

 青い短刀が、眼球を貫いた。痛みに喘いで体をばたつかせる音が、耳の奥をえぐる。嘘はついていない、という言葉が叫びに紛れて、何度も何度も聞こえてきた。

 竜は、姫の耳をふさぐように、硬くなってがくがく震える体を包み込んだ。

 陽も耐えられず、耳をふさいで、うずくまった。自分の心臓が、えぐられているかのようだった。光が駆け寄ってきて肩を支え、立ち上がらせようとしてくれるが、足が震えて腰が上がらない。

「体は動かさないように、と言ったはずです」

 人差し指が、斬り落とされる。絶叫が、鳴りやまない。

「先ほどの答えは、質問に正対していませんでした。僕は、誰、と伺いました。名前を教えていただけますか」

 穏やかな口調。男の右手首に当てがう刃の切っ先も、ひどく落ち着いている。男は、よだれを流しながら、大きく息をして、なんとか答えた。

「め……めいげ、つ……と、きいた…………が、お、おんな……が、なのって、たんじゃ……ない……それしか、し、しら、ない……」


 ――メイゲツ。


 聞き覚えのある名に、五人は、目を見開いた。

 雫は再び笑顔をたずさえ、続ける。

「彼女が名乗っていたのではない、というのはどういうことですか」

「ご、……ごじゅっぴき、くらいの、おに……をあつめ、て……やつは、ちから……あたえた……そのと、き……いた、おにが……やつ、を、そう……よんだ…………」

 サイレンが聞こえてきた。

 姫の母が呼んだ警察が、ようやく到着したのだろう。

 一度連行された身である上、鬼人の姿をしているため、この男の身柄は引き渡さなければならない。

 だが、もう一つ、聞くべきことがある。

「時間がありません、最後です。すぐに答えてください。メイゲツの目的は何ですか」

「さ……さいおう、りゅうの……まっさ、つ……」

「理由は」

「しら……な、ない…………」

 青い刃が、容赦なく手首を斬り落とした。男は、本当に知らないのだと絶叫する。

 その声に気付いたのだろう、警官が、メガホンでこちらに呼びかける。

 これ以上絞り出せそうもないので、彼らは男を連れ、光の操る風に乗って、下に降りた。


 男の身柄を渡すと、五人は、正当防衛にしてはやりすぎだと、きつく指導を受けた。

 男の話したわずかな情報は、まだ伝えなかった。


 情報を整理すると、こういうことになるだろう。


 ――かつて神宮団の一員だったメイゲツが竜の命を狙い、五十匹ほどの鬼に隠形鬼の力を与えた。


 雫は、神宮団員としてメイゲツを認識していたが、鬼ということを知らなかった。

 あの夏の戦いの時は、屋敷にさえいなかった。鬼神への捧げ物として、シグレに喰われて消えたのだとばかり思っていた。


 竜を狙ってくるということは、メイゲツが四鬼の隠形鬼で、母である鬼神を殺した恨みを晴らそうとしている、ということなのだろうか。または、この世界を破壊する力を欲しているのだろうか。

 だが、たとえそうだとして、なぜ五十もの下っ端をつくる必要があるのか。


 分からない。


 真相は、闇の中である。

 見えるようで、何も見えない。


 ただ、彼らは、はっきりと聞いた。

 隠形鬼との戦いの、幕が開ける音を。

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