影宮神社は神主不在のまま、武蔵市の役員が取り仕切り、例年通りの大きな祭を敢行していた。
屋台にも鳥居にも神殿にも神輿にも、警備員にさえ守護符を貼る厳重警戒態勢だったが、そのおかげもあって、人々は平和な夏の夕暮れを楽しんでいた。
「姫ちゃーん!」
りんご飴を振って、ピンク色の浴衣を着た少女が駆けてくる。
名前を呼ばれた少女は、くるりと振り返った。紺色の浴衣の袖が、白い蝶の柄とともに、ひらりとはためく。枝垂れ小花のかんざしが、しゃらりと清らかな音を鳴らす。
「彩! 久しぶり。ごめんね、なかなか遊べなくって……」
「超会いたかったよぉ! でも私もさ、姫ちゃんと同じ高校行くために、塾ばっかり入れちゃって、全然動けなかったんだよねぇ。ほんと、誘ってくれて嬉しかった! 今日のために生きてきたよ!」
「キャーッ」と抱き合って再会を喜ぶ少女たちを、二つの長い影が見つめていた。かたや慣れたことのように、かたや微笑ましそうに。
その視線に気付いた彩は、姫から体を離すと、怪訝そうに目を細めた。
「えっ。姫ちゃん、まさかとは思ったけど……陽くんと別れたの? 何これ、どういうメンツ?」
慣れを誇るのは、いわずもがな竜である。姫の親友歴十二年の彩にとっては、もはや竜など、空気である。
彩は、微笑みをたずさえる方を凝視した。
天野雫。
今年転校してきたばかりなのにもかかわらず、儚げで美しく整った顔立ちに加え、江戸市の名門中学出身でIQ二〇〇という噂が相まって、一気に人望を集め、学級委員に抜擢された人物である。ちなみに学力の噂は本当で、一学期のテストは全て満点だったという。
同じクラスのため、学校内で姫と並んでいる姿は目になじんでいたものの、外で二人が一緒にいるのは、彩にとって違和感があった。
しかし、いやな違和感ではない。
雫が、「こんばんは」とふんわり笑う。襟首にかかっていた髪が、さらりと揺れた。
彩はニヤニヤと姫の顔を覗き込んだ。
「いやぁ、皆も言っていたけど、やっぱり陽くんより雫くんだね。私服で並ぶと、お似合い度が増し増しで、ときめいちゃうね! 私も、雫くんなら納得。応援するよ! ナイス判断!」
「彩、別れていないわ。陽は今日、運営の方で忙しいの」
「姫ちゃんの浴衣姿より運営取るとか、もう別れろとしか言えない」
辛辣な彩の言葉に、雫がやわらかな苦笑をこぼした。
「僕は通りがかっただけなので、これで失礼します」
「えぇ! 珍しいメンツで面白いし、このまま一緒に行こうよ!」
「たしかに、魅力的なのですが……人を待たせていますので。是非、また誘ってください」
雫は丁寧に会釈をすると、人ごみに飲まれていった。
姫は彩と手をつなぎ、屋台通りへ足を踏み入れた。からあげ、やきそば、お好み焼き、わたあめ、かき氷……。石畳の参道に、美味しいにおいが立ち込める。色とりどりの看板と、紅白のぼんぼり、紫色の光。少女たちは金魚のように、七色の会場をくるくる回った。
おそろいの電球ソーダを買って、二人は、屋台の裏側に設置されたコンクリートの椅子に腰掛けた。
人々の楽しげな声とお囃子の音が、少女たちの頭上を漂う。
「付き合ってもうすぐ三か月じゃん? 今日は会えなかったけど、夏休みはデートしたりしてんの?」
「ええ、頻繁に」
「そっかぁ。姫ちゃんの受験勉強の邪魔をしてるってことだね。まったく、空気読めないなぁ」
「大丈夫よ、一緒に勉強しているもの」
足指を伸ばして、彩は空を眺めた。屋台と守護符の光にかき消されても、橙と紺の交じる夕空のてっぺんは、深い夜が始まっていた。
「あーあ。姫ちゃんがさ……あんな平凡男と付き合うなんてさ」
「彩は、どうしてそんなに陽が気に入らないの?」
「理由なんてたくさんあるよ。平々凡々で、高嶺の花の姫ちゃんには顔面も内面も学力も釣り合ってないし。でも一番はさ。浅い感じがするんだよね。ずうっとひたすらデレデレしてる感じでさ、下心しかないんじゃないかって思っちゃう。周りの剣道部の奴らも、姫ちゃんと陽くんで遊んでる感じでいや。あとさ、頼りないじゃん? 告白してきた時もさ、一目惚れしました! って言ってきたけど、クラスとか部活とか委員会とかで一緒になったことがないにしても、三年間同じ学校だよ? 超美人で超有名人な姫ちゃんのこと、なんで今まで知らなかったわけ? どんだけぼんやりしてんの?」
「私は、一目惚れしましたって言ってもらえたの、とっても嬉しかったわよ」
「給食準備前の手洗い場で、隣で手を洗ってたら、突然公衆面前告白だもんね! 一目惚れして十秒で告白って伝説だよね。勢いで突っ切っちゃう行動力に感心だよ。後ろで見てる私も、本当にびっくりしたんだから。しかも姫ちゃん、オッケーするんだもん! 心臓、二回止まったよ」
「ごめんね、びっくりさせちゃって。あの時は、私もびっくりしたわ。でも、陽のまっすぐな気持ちが嬉しかったし、すごいなって思ったの。今だって、まだ三か月だけど、陽といると、今までとは違う景色が見えるの」
姫は、紺碧に浮かぶ雲を見つめて、微笑んだ。
「ま、私は姫ちゃんが幸せならいいんだけどさ」
背後に座る竜を、彩は、ちろりと見た。
「弟くんが不憫でならないなぁ」
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