戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

十二

公開日時: 2020年10月11日(日) 20:00
文字数:727

「あのさ、ごめんな。言ってないことあって」

 四方八方から聞こえる数多の蝉の声に隠れて、陽がぽつりとつぶやいた。姫はそのつぶやきをきちんと拾い上げ、優しく微笑んだ。

「言ってはいけないきまりだもの。言うこと、すごく悩んだと思う。教えてくれて、ありがとう」

 陽は、隣を歩く姫の足に頭をもたげるか、姫の肩に飛び乗って頬ずりをするかをしたくなった。

 だが、まだその勇気はない。姫がひょいと抱き上げる時だって、耳先にかかる姫の呼吸や、全身を包む温もりに、ドキドキしすぎてクラクラするのだから。


 それなのに、あの竜とかいう奴は、姫を簡単に抱きしめやがって……。


 だんだん、さっきのもやもやが心に沸いてきた。


「あのさ、俺……やっぱり、俺を襲ったのはあの竜って奴だと思う。はっきりした証拠はないけど……。でも、やっぱあいつだよ。俺を睨む目に込められた殺気とか……なんかそういうのって、あるじゃん。好きとか、憎いとか、そういう感情って、言葉では全部同じだけど、一人一人、その感情を持ってる人によって、相手によって、それぞれ違ってくるものだと思うんだ。だから……」


 見上げると、姫は、悲しい微笑を浮かべていた。


 ――竜じゃなくてよかった。

 ――竜を信じる。


 そう言った時の姫の声や表情が脳裏に浮かび、陽は口を閉じた。


「実はね。私も、信じるって言ったけど、分からないの。竜は、何か隠してる。ずっと一緒にいたから、声とか、表情とか、視線とか、そういうの一つ一つで分かっちゃうの。だけど、協力するって約束してくれたわ。竜は、約束は絶対に守ってくれる。だから、もし竜が犯人だったとしても、もう襲ってこないはずよ。今は少し、様子を見てみましょう」

「ウン」とつぶやきながら、陽の心には黒い靄がかかっていた。

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