喧騒な駅のホーム。慣れない新幹線での一時間半。見知らぬ駅の乗り換え。
緊張続きの二時間を経て、彼らは、鈍行列車に揺られていた。窓から見えるのは晴れ晴れとした大空か、青々とした畑ばかりである。陽は籠から首を伸ばし、いつもとは違う景色をぼんやり眺めていた。
彼らは、信濃市の戸黒湖温泉に向かっていた。
病院に侵入した日。雫との話を終えた竜が、唐突に、「信濃市へ行くぞ」と言いだしたのである。
二日後、諸々の準備や手配を済ませ、彼らは出発した。
陽を戻す手立ては、今のところない。
では、なぜ、信濃市へ行くのか。
簡単に言えば、竜の力を、「本物」にするためである。
『鬼いずる昔話』に基づけば、竜の青い刀は、鬼神を滅ぼした蒼龍刀であると考えられた。
しかし、あの話には続きがあった。
鬼神が魂を解き放ち、消滅した跡から蒼い龍が飛び立って、もといた湖へ戻っていったのだと。
その言い伝えが本当であれば、竜の『無限刀』に蒼龍を取り込むことで、どんな鬼でも消滅させることができる強大な力――蒼龍刀を手に入れることができるはずだ。
今でさえ十分強いのに、どうして、その力が欲しいのだろう。姫は、二人の話に入っていなかった自分がとやかく言えないと思い、今日まで黙っていたが、英単語帳を閉じて竜に尋ねてみた。
「それは、僕が説明しましょう」
竜の体に隠れていた雫が、ひょっこり首を出した。竜がじとりと睨むと、雫はさらりと微笑み返す。
わずかの間の後、竜は腕を組み、目をつむった。
「姫さんは、神宮団がどのような組織か、ご存知でしょうか」
神宮団は、鬼神を信仰し、鬼神の復活を目論む組織である。仇討ちのため、鬼神の復活を妨げさせないため、数多の陰陽師を手にかけてきた。そして、鬼神に捧げる自らの身に強大な力を宿すため、鬼神を確実に復活させるため、無数の鬼や鬼人を手にかけてきた。
だが、奴らの目的は鬼神の復活にとどまらない。
復活した鬼神の力によって、世界を滅ぼす。それが、奴らの真の目的なのである。
「今は守護符があり、法律があり、人間と鬼人は共存の道を歩んでいます。しかし、一昔前はそうではありませんでした。人間が鬼人を奇異なるものとして蔑む、差別社会でした。神宮団は、人間に蔑まれ、差別され、人間を、社会を、この世界を憎んだ鬼人たちの集まりなのです」
雫の言葉は、情報を反芻するだけには聞こえなかった。妙な生々しさに、違和感が湧き起こる。
雫は、姫から目をそらした。ふ、と息を吐く。長い上下のまつげが絡まり合い、影を落とす。
「……僕は、三十年前、そのような社会で生きてきた者です。そして、かつて、神宮団の団員でもありました」
姫だけでなく、籠の中で話を聞いていた陽も、唖然とした。「えっ」という素っ頓狂な声で動揺を表すのが妥当なのだろうが、驚きのあまり息が詰まってしまった。
雫は目を閉じて大きく息を吸うと、話を続けた。
「僕はシグレに従っていました。何も考えず、手を貸してきました。ですが、やはり、世界を滅ぼしたくない、と思いました。苦しいことは五万とありますが、泥沼で見つけた幸福は、何にも比べようもないほど美しいものです。素晴らしいこと、美しいものであふれかえるこの世界を、守りたいと思ったのです。だから、僕はシグレを止めようとしました。しかし、当時鬼神を宿していた肉体が寿命を迎え、シグレは僕たち神宮団の団員を『凍結』させました。そして一年前、僕は目を覚ましたのです。体は、三十年前のままでした。僕は神宮団を抜け、世界の破滅を止める方法を探してきました。そうして、みなさんと――蒼龍刀の使い手である斎王くんと出会ったのです」
話を聞きながら、動揺した心が落ち着いてきた姫は、「じゃあ、つまり……」とつぶやいた。
「つまり、竜の刀を本物の蒼龍刀にして、鬼神が復活した時、鬼神を倒すってこと? そのために、蒼龍を探しに行くっていうこと?」
「ええ。それもそうです。ですが、もっと手っ取り早いのは、神宮団を統率するシグレを殺すことです。シグレは、鬼人ではありません。あれは、鬼の中でも特に高い知能と強い力を持った四鬼の一体、水鬼です」
陽は、あんぐりと口を開けて、姫を見た。
姫は冷静に、なるほど、と納得していた。
「鬼神を倒した蒼龍刀であれば、強大な力を持つ四鬼のシグレを倒すことも可能、ということね」
「はい。奴を倒せば、鬼神の復活も、世界の破滅も防げるでしょう」
竜が、長い息を吐いた。身を乗り出して話し込む姫と雫の間に、壁をつくるかのように。
「世界なんてどうでもいい。それがあれば奴らを叩ける。それだけだ。それに、俺はお前を信用したわけじゃない。変な行動をしたら容赦はしない。俺はいつでもお前を殺せる」
姫が厳しく一喝すると、竜はずるずる腰を滑らせ、狸寝入りをした。
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