戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2020年10月29日(木) 20:00
文字数:2,242

 火鬼サテツは、強烈な炎を創り出し、自由自在に操ることができる。

 他の力を燃やし尽くし、無効化するほどの、巨大な火の玉を爆発させることもできる。



 光は幸い、サテツが放った両手の火の玉を風で吹き飛ばし、回避することができた。

 だが、いったん森に潜り、杉の木のてっぺんで作戦を考えていた。

 炎が相手では、紙媒体の封印札は使えない。

 それに、さっきは運よく風で火を薙ぎ払えたが、四鬼ほどの鬼が、竜巻程度の風で鎮火されるような力しか持っていないことなどあろうか、いやない。風の渦で防いだものの、金鬼にやられてずきずき痛むみぞおちをさすり、確信する。だとすると、至近距離での攻撃は、慎重さを要する。最悪の場合、一瞬で消し炭になるような炎を放たれるかもしれない。とはいえ、風の力は、至近距離ほど効力が高いため、遠距離から風を噴射したところで、太刀打ちできない。かえって火に油だ。火は風よりも勢いがあると、強さを増すものである。

 どうしたらいいものか。頭をわしゃわしゃ掻きむしる。

 ぱっと、一つの案が思いついた。他の道具を媒体にして、サテツの火の力を封印する。その上で、至近距離での攻撃に移る。これならば、可能性はある。

 何を媒体にしようかと考え始めた時、耳に、地鳴りのような低い音が響いてきた。

 杉の葉の間から、ひょっこりと覗き込む。

 すると―熱くまばゆい塊が、顔面に迫ってきていた。凄まじい破壊音を立てて、火炎が二十メートルもの杉の木を包み込む。一瞬で、消し炭になった。

 間一髪、光は足裏から噴射した風で空を飛び、難を逃れた。靴の先が溶けていたが、足の指は無事だ。一角の下であふれる汗の玉が、地上に落ちる。

 スーツの男は右手に火炎を吸い込むと、額の血を左指で押さえながら、空に浮く金の髪を見上げた。

 何かを、言っている。

 口元を見ようと目を凝らすと、男は、瞬きのうちに消えた。


 そして、光の上に、いた。


「私を、火を撃つだけの男と見くびってもらっては困る、と言ったのだ」


 光は、反射的に振り返った。同時にナイフを引き抜き、振る。サテツの革靴の爪先とこすれ、マッチのように火花が散って、たちまち、ナイフがまるごと、炎に包まれた。慌てて離したが、右手にも燃え移って、消えない。続けざまに、左こぶしが重く、光線のように降ってきた。反射で、右腕を盾にする。ますます、火が強くなる。沸き立つ焦燥感とは反比例に、腕の感覚は冷たく、鈍くなっていく。

 光は、左手のひらを腰の後ろで開き、思い切り、風を噴射した。幸い、腕の火が消え、自分の体もうまいことサテツから離れることができた。光は足の風を消して、杉の木の中に落下し、隠れた。だが即座に、隣の木が轟炎に包まれた。次々と、周りの杉が消し炭になっていく。

 この場でとどまっていることはできまい。

 光はぜえぜえ鳴る息を殺しながら、幹に指をかけた。冷たかった腕が、次第に痛みを増していく。皮膚が溶けて、熱くなる。斬り落としたいほど、悶絶したいほどの痛みが、身体中に広がっていく。また一つ、また一つ、周りの杉が墨となっていく。汗が鼻の先から、ぽたり、ぽたりと落ちていく。

 痛みや焦りに耐えながら、光はなんとか、地面に降り立った。冷や汗と暑さによる汗とでべとべとの体をひきずり、ナイフを捕まえる。黒く焦げているが、切っ先はまだ鋭い。使えなくもない。

 痛みでかすむ目で、あたりを見回す。

 石ころでいい。

 石ころを媒体にして、火の力を封印すれば――。


「いた」


 目の前に、さかさまの眼球があった。

 次の瞬間、光は絶叫し、倒れていた。奴の五本の爪が、深く体を引き裂いて、傷跡を燃やしている。あたりの土は、光の体から噴き出す汗と血とが染み付き、黒く変色していた。

 サテツは、光の後ろ襟をつまんだ。汗と土とでぐちゃぐちゃになっている。気持ちが悪いので髪に持ち替え、そのまま、光の体を引きずって歩き出した。

「陰陽術を使えるとはいえ、鬼人。敗北した金鬼の穴を埋めることはできまいが、献上しても無駄なことはあるまい」

 サテツの浮足は屋敷へと向かっていく。獲物を捕って飼い主に褒めてもらいたがる犬のように。

 うっすら目を開け、光は、自身の体に刻まれた五本の傷跡を見た。深いが、もはや痛みを超越し、何も感じない。ふっと、口端が吊り上がる。


 最大のピンチこそ、最大のチャンスである。


 光は、左手に握ったナイフを、自身の体に当てた。

 五本の傷に垂直になるように、一本、二本、三本、四本。

 体に刻んだのは、九字格子であった。

 光はナイフを膝に置き、印を切った。

「……急急如律令!」

 サテツの背後から、赤い輝きが湧き起こった。

 はっと後ろを向くと、風前の灯火だった金髪が、傷だらけの体で、ニヤリと牙を剥きだしていた。金髪を掴む指先から、砂がこぼれる。九字の傷から放たれる赤い世界に、砂状の魂が吸い込まれていく。抵抗できない。

「貴様……何をした!」

「俺の体を、媒体に……封印、させてもらうぜ……! はじめてやるけど、多分、できちゃうからな……!」

 媒体は大きいほど、大きな力を封印できる。肉体を媒体にすれば、四鬼であろうと、封印できよう。

 サテツは般若のごとき形相で赤い目を剥いたが、時すでに遅し。

 サテツの体から、砂が出尽くした。スーツ男のもぬけの殻は、バタリとその場に崩れ落ちた。

 指先で、そっと、盛り上がった傷口に触れる。首を起こして確かめると、しっかりふさがり、桃色の九字が刻まれていた。


 ――成功した。


 光の体も、力なく倒れた。右手の火傷と九字の傷跡が、喘ぐように脈を打っていた。

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