戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2020年11月9日(月) 20:00
文字数:2,031

 竜は学校で、道で、何体もの隠形鬼に襲われた。日中もさることながら、夜までも押しかけてくる始末だった。竜は姫を守りながら、全てを駆逐した。

 奴らと戦って新たに得た情報は、メイゲツが下っ端たちに、「竜を殺せば、鬼神や四鬼と同等の力を手に入れることができる」と甘い蜜をぶらつかせてけしかけたらしい、ということだけだった。

 戦いを終えると、竜は決まって姫に謝った。

 姫を守りたいと言いながら、姫の心を守れていない。戦いに連れ出さなければ、残虐な光景を見せることもない。優しく、美しい姫の心を傷つけることもないのに。本当は心も守りたいのに、姫を失いたくない気持ちが、命の方を優先させる。

 竜がうつむいていると、姫は決まって、「どうして謝るの。守ってくれてありがとう」と苦しそうに微笑んだ。

 一緒にいるだけで幸せなのに、姫の「ありがとう」や心配の言葉を聞くと、心が風船のように膨らんで、破裂してしまいそうになる。

 こんなに大きな幸せを、どうにかして姫にもあげたい。


 だが――。


 竜は、卓の上に上体を伸ばして、右手の中指を見つめた。

「お疲れ様。ちょっと休憩しましょう」

 姫が、台所から持ってきたオレンジジュースを、竜の体と勉強道具でいっぱいになった卓の上の隙間に置いた。

 メイゲツから隠形鬼の力を授かった鬼たちは、力欲しさに、竜だけでなく多くの鬼人を喰い散らかしていた。被害者は増え続け、とうとう高校が休校になった。

 それから一週間。竜は、姫の部屋で予習を進めていた。二人の家族は、今のところ無事である。だが竜は、自分の家族を強く警戒し、顔を合わせようともしなかった。そして、姫に何かあったらすぐに対処できるよう、なるべく姫と二人で過ごすようにしていた。

 竜は、伸ばした右腕に頬を乗せた。知恵熱か、いつもより顔が熱い。

「単語が覚えられない。頭がパンクする」

「でも、頑張っていてすごいわ」

 学校が再開した時が楽しみだと、姫は笑った。きっと、先生も級友も、目を見張るだろう。

「早く、戦いが終わればいいのにね」

 スマホの暗い画面に目を落として、姫は少し、さみしそうに言った。友人、そして、陽のことを想っているのだろう。

 なんとなく返事ができなくて、斜め前の姫から目をそらした。オレンジジュースを満たしたグラスを、左手の爪で撫でる。

 姫は苦笑し、ピンと伸ばされた竜の右手中指の石を覗き込んだ。

「竜の戦いも、早く終わればいいと思っているのよ」

「俺の戦い?」

「鬼退治のこと。だって、こんなに残虐な戦いを繰り返してほしくないもの。隠形鬼のことさえなければ、本当は戦ってほしくない。早く咲いてしまってほしい」


 竜と戦いをともにしながら、姫は考えていた。

 かつて目の当たりにした、蒼龍との戦いも、神宮団や鬼神との戦いも、これほど残虐ではなかった。だが、竜や雫、光はこのような戦いに慣れきってしまっている。こんなに残虐な戦いを数えきれないほど繰り返す――それに耐え続けられるくらいの強い願いや、そんな風に生きなければならなかった不遇など、自分にはない。


 竜が、雫が、光が、自分とは別の世界の存在のように思えた。


 だが、竜には、こんな残虐な世界にいてほしくない。

 今、この時のように、こちらの世界に、同じ世界にいてほしい。

 竜には、幸せになってほしい。


 ずっと一緒には、いられないけれど――。


 姫は苦しくなって、卓に重ね置いた手の甲に右頬を乗せ、瞼を閉じた。



 互いの額が、手の届く距離にある。


 姫の長いまつ毛の生え際が、はっきり見える。

 髪が頬に流れて、白い耳の縁が覗く。


 とても綺麗で――触れてみたくて、左手が伸びる。



 ――その時。



 姫のスマホが、着信音とともに震えた。

 二人はびくっとして、ぴょんと頭を起こした。スマホは元気に鳴きながら、床を泳いでいる。

 陽からだ。姫は、ほっと嬉しそうな微笑みを浮かべた。

「もしもし。陽? どうしたの?」

『あ、姫! これから、そっちに、会いに行っていいか? 雫と光さんもいれば、斎王だって文句ないと思うんだけど。これから行くと、こっからだと……えっと……十六時半になるかな』

「嬉しい。竜に聞いてみるから、待ってて」

 姫は、送話口を指で押さえた。

「陽が十六時半くらいに来たいって。雫くんと光さんも一緒だって。いいでしょう?」

 十六時半ならばまだ明るいだろう。だが、月が顔を出す時間だ。

「だめだ。時間も遅い」

「お願い。会いたいの」

「だめだ」

「お願い! 会いたいの……」

 姫は両手で、ぎゅっとスマホを握りしめた。


 姫を守りたい。できる限り、命の危険を冒したくはない。

 だが、心も守りたい。

 陽のことを想う時、陽と電波でつながっている時の姫の表情を思い出す。

 陽と会うことが、姫の心を守ることになるのなら――。


「……分かった。ただし、条件がある」


 姫の家の隣の、公園で会うこと。陽の手の届く範囲に近づかないこと。

 竜、雫、光も立ち会うこと。十七時には家に入ること。


 全て、陽を疑い、戦闘を視野に入れているがゆえの条件だ。

 姫は少しむっとしたが、その条件を飲んだ。

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