窓から入る日射しが、瞼の中を真っ白に染め上げていることに、光は気付いた。
ゆっくりと瞼を開く。
最初に目に入ったのは、陽の左耳だった。床の上で、すやすやと眠っている。周りを見てみると、熱さましシートの残骸が散らばっていた。ずっと傍で、看病をしてくれていたのだろうか。
ぬるくなって角が丸まった熱さましシートを額から外し、陽に掛布団を譲ると、光は、下の部屋に降りた。
ふらつく足で、軋む階段を踏みしめる。陽の祖父に合わせて音量を大きくしているために、居間からニュースの音が漏れ聞こえてくる。
隠形鬼という鬼に、次々と人間や鬼人が襲われている。
隠形鬼によって命を奪われた被害者は、現在九十七名にも及んでいる。
隠形鬼に乗り移られた人間および鬼人と、そうでない者との違いを確認する方法は解明されておらず、政府や警察は対策を急いでいる。
現在、武蔵市、江戸市、鎌倉市のみで被害が確認されているが、他の地域の方々も、お気を付け願いたい――。
「俺が寝てる間に、なんてことになってやがんだ!」
バンッと思い切り襖を開けると、雫と陽の祖父が、朝食を囲んでいた。目と口を丸くして、口に運ぼうとしていたごはんを、ぽとりと落とす。
「光、お前……」
「目が……」
「おう! 起きたぜ! 師匠、雫くん、おはよう! ご心配おかけしました! 俺、何日くらい寝てたよ?」
「二日、だが……お前」
雫は、もう一回、「目が……」と言った。ぽかんとしたまま、光の目を指差す。
光は、首を傾げて、スマホのカメラを起動し、インカメラに切り替えた。
画面に映る姿を見て、光の顔の全てのパーツが丸くなった。
右目だけが、鬼のように、真っ赤に輝いていた。
神宮団との戦いで、光は、火鬼と戦った。
そして、自らの体を媒体に、火鬼を封印した。
約一年間、体に異常はないと思って過ごしてきた。だが、ゆっくり、じんわりと、内側から魂を喰い破っていたのかもしれない。鬼人の力を使ったことをきっかけに、力の源である魂を通じて、光の体に現れたのではないか。そして、片目が赤くなったのは、火鬼が光を侵食している証拠なのではないだろうか。陽の祖父は、そう分析した。
「くっそ……! 隠形鬼が暴走してやがるこんな時に……! 畜生!」
光は、寝癖だらけの金髪を掻きむしり、声を荒らげた。
だが、すぐに、「まぁ、どうしようもねぇか」と、台所に向かい、茶碗に山盛りのごはんを盛って帰ってきた。そして、浅漬けを小皿に取りながら、「つーか、今日学校は?」と雫に聞く。
もはや普通である。
「学校は、今日からしばらく休校です。僕の高校も、光くんの高校も、どこもそうみたいです。ほとんどの企業やお店も、休業です。これだけ被害が広がっていますからね」
「はぁん。だから、おかずが浅漬けだけ……」
それは単純に、料理担当の光がいなかったからである。本で調べて、雫が作った。
食料は、警察が各地域を回り、配給している。警察も政府も、今はそれしかできない。
「いや、ちょっと待て。たしかに隠形鬼は大変な問題だ。だが、お前の方も重大な問題だぞ。どうする」
「こっちのことなら、ちゃーんと考えてあるし、そのための根回しもしてあるっすよ」
光はもぐもぐ、暢気にごはんを咀嚼しながら、言った。
「斎王に頼んであるっす。俺がやばい時は殺すようにって」
陽の祖父は、険しく顔をしかめ、眉をピクリと動かした。
「お前にしては、諦めが早いじゃないか」
「だって、助かる方法っつったら、一回俺の体から火鬼出すっしょ? そんで、もう一回なんかに封印するかんじ? いや、無理っしょ。一回出した時に暴れやがっかもしんねぇし。火鬼を倒せる、そんで世界をしっかり守れる、一番確実で安全な道をとった方がいいっすよ」
雫が、自分の赤い石を見つめた。
「いいのいいの。覚悟の上でやったことだし。それしかできなかった俺の責任だし。雫くんが命をかけるようなことじゃねぇよ」
光はへらへら笑って、ごはんに塩をかけた。大きな一口を詰め込む。
「まあでも、次にやばくなった時まで、もうちょい生きてっかな。死ぬ前に一個、やりてぇこともあるし?」
陽の祖父は、ため息を一つついた。
「住所なら、そこの棚だ」
静かにそうつぶやくと、のろのろと、居間を出て行った。
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