鬼として生を受けたが、人を苦しめることや破壊することに、興味はなかった。
他の鬼たちは、人を苦しめたり、破壊したりすることを「面白い」と言っていた。
自分は、欠陥品なのだろうか。何も、面白いと思わなかった。
やがて、自分は何をしたら面白いと思うのかを探すようになった。
貧しい農民になって瀕死の生活を経験したり、老中になって殿上人を陰で操ったり、画家になって人々から称賛を受けたり、江戸一番の花魁になって男たちを|誑《たぶら》かしたり。
犬になって可愛がられたり、モグラになって土の中でじっと過ごしたり、鳥になって弱肉強食を勝ち抜いたり、蝿になってうまいものを求めたり。
他の鬼に力を与えたのも、同じ理由だった。
奴らが何か、自分には思いつかないような、面白いことをしてくれるのではないかと思った。
死にかけの小さな鬼が、助けてほしいと足元に縋り付いてきたのは、二〇〇年ほど前のことだった。
子ども向けの童話に、助けた鶴が恩返しをしてくれる、という話があった。
それを思い出して、面白い恩返しを期待し、力を与えて助けてやった。だが、そいつは自分につきまとってくるだけで、何も面白いことをしなかった。
こんなに退屈なら、死んでしまってもいいかもしれない。そう思ってふらっと、崖の上から飛び降りたこともあった。
だが、鬼の体は、そんなことでは死ねなかった。他の四鬼や陰陽師に頼んでみようかとも思ったが、いろいろ考えているうちに、面白いことも知らないで死ぬのはもったいないかもな、と思うようになって、なんとなく生き続けることにした。
退屈な日々が、永遠のように続いた。
死ねないならいっそ、こんなに面白くもなんともない世界、壊してしまってもいいかもしれない。そう思ったタイミングで、シグレに声をかけられた。神宮団という組織に入り、鬼神が復活することに協力しないかと。
面白ければいいか、と思い、はじめは協力をした。だが、やっぱり退屈になって、メイゲツを残すから抜けさせてくれ、と頼んでやめた。
有名なスターになって世界中を飛び回ったり、美女になって街を歩いたり、浮浪者になって凍え死ぬような夜を何度も超えたり、会社員として普通に働いてみたり。
繰り返し繰り返し、いろいろな人生を試してみたが、やっぱり何一つ面白いと感じることはなかった。
ある時、フクロウになって木の影で寝ていると、人間の死体が見えた。中学生くらいだろうか。近くに、シグレがいた。
「シグレ。この体、もらっていいか?」
翼をはためかせ、死体の上に降り立つフクロウを見て、シグレはため息をついた。
「カゲロウですか。またフラフラとして」
「まあ、いいじゃん。で、なんで殺したの? もらっていい?」
「彼は影宮家の人間。陰陽師の一族です。あなたも神宮団の一員だったのですから、覚えているでしょう。私は陰陽師さえいなくなれば構いません。あなたが陰陽師になるなどと馬鹿なことを言わなければ、好きになさい」
カゲロウは、「分かった」と快諾し、その肉体と、一つになった。
影宮 陽という少年は、陰陽道も剣道も才能がなく、かといって勉強も運動もできるわけではなく、見た目も平々凡々で、あまり目立たない子のようだった。仲の良いグループの中ではいじられ役。それはそれで楽しいようだ。なるべく自分の世界の外には目を向けない。目立たないように、地味に過ごすことを貫いていた。
自分に自信がない子ども。
なんとなく、似ている気がした。
自分も、他の四鬼や鬼のような破壊を求める心がなく、自信がなかったから。
影宮 陽は、今まで被ってきた奴らに比べて、なりきる必要が少なかった。
そうして、なんとなく学校生活を過ごしてみた。
退屈だが、気楽と言えば気楽か。
このままなんとなく成長していってみるのも、悪くないかもしれない。
そうぼんやりと考えながら、手を洗っていた時だった。ふと、隣の手に目が留まった。
――きれいな手だ。
どきり、とした。
こんなに大きく心臓が跳ねたのは、五〇〇年生きてきて、はじめてだった。
目を上げると、横顔のとてもきれいな少女が、隣にいた。
頭のてっぺんが、かぁっと熱くなった。心臓が早くなっていく。
どうにかして、手に入れなければ、と思った。
気付いたら、小さな滝に手を伸ばし、濡れた手を、握りしめていた。
姫がうなずいてくれた時は、心臓が破裂するんじゃないかと思うくらいに嬉しかった。
一緒にいて、話をして。時々、肩がぶつかりそうになるのにさえ、ドキドキした。
変なことを言ったりして、嫌われるのが怖かった。
なかなか続かない話が、もどかしかった。
真正面で向かい合うと、恥ずかしくて心臓がかゆくなった。
全部、影宮 陽としてではなく、カゲロウ自身の気持ちだった。
手をつないで、キスをして、「どんな姿でも好き」――そう言ってくれて。
自分が――カゲロウ自身が受け入れられていること、愛されていることを感じて、温かさがぶわっと心に広がるような、満たされた気持ちになった。
自分の心がこんなに激しく動くなんて、信じられなかった。
面白い、なんてものじゃない。
幸せだった。生きていてよかったと、心の底から思った。
この幸せをずっと、ずっと感じていたい。
だから、姫の傍にいたい。そう思った。いや、そう思っている。
だが、竜が、邪魔だった。
竜は、自分より長く、近く、姫の傍にいる存在だった。
そして、姫のことを好きでいるのは明確だった。
姫が奪われる。この幸せが奪われてしまう。
そう思うと、心の中に、暗雲が立ち込めた。
いなくなってしまえばいいのに。そうすれば、ずっと幸せでいられるのに――。
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