朝食もとらず、荷物だけ持って、彼らは電車に飛び乗った。雫の言うままに、鎌倉市西部の山奥へ向かう。光も、簡単な荷物を持ってついてきた。
誰もいない早朝五時の電車内。背後の窓から淡い朝日を浴びながら、光が苛々と脚を揺らす。膝の上に、固く、こぶしが握られている。
「鬼神が目覚めちまうなんて……! つーか、姫ちゃんが鬼神だったなんて……!」
雫が儚く、落胆の息を漏らす。
「斎王くんが蒼龍を手にしたら、目覚めるだろうとは想定していました。神宮団が来るだろうということも。ですが、シグレが一枚、上手でした……」
光と陽は、目を見開いて雫を見た。
「知ってたのか……?」
雫は小さくうなずき、黙っていたことを謝罪した。
雫は、書庫に咲いた透明の花を見て、姫が鬼神だと気付いた。三十年前の鬼神が、同様の力を使っていたからだ。病院に潜入した後、雫はこのことを竜に伝えた。竜は既にそのことを知っており、姫にも周りにも決して話さないよう、雫に口止めをした。姫は自分に鬼神が宿っていることを知らない。知ったら、深く悩み、罪悪感に苛まれるだろう、と。
竜が蒼龍を求めたのは、神宮団に対抗するためではない。かつて鬼神を討った力であれば、姫の中にいる鬼神を殲滅できるのではないかと考えたからだ。
陽と光は、竜を見つめた。うなだれて、顔は見えない。膝の上で強く握ったこぶしが、わなわなと震えている。
「姫を、助けるため、ってことか? でも、できるのか? 蒼龍刀って、鬼とか鬼人とかを喰うんだろ? そんなので姫を斬ったら……」
「可能性は、ゼロじゃない」
竜が、うなだれたまま、小さくつぶやいた。その声色は、「可能性」という明るい言葉を、暗く塗りつぶしてしまっていた。
蒼龍によれば、姫の右手中指の赤い石を壊せば、鬼神を消滅させることができるかもしれないという。姫の魂が心臓部にあるとすれば、鬼神の魂はあの赤い石にある、というわけだろう。たしかに、今まで鬼神は、夜にしか出てこなかった。そして出てくる間は、普段はない赤い石が、右手中指に出現していた。そうした情報をつなげて、蒼龍の話を信じ、希望にしていた。
しかし、蒼龍刀は鬼神といい勝負をしたものの、結局弾かれてしまった。それ以前に、蒼龍に操られるままで、指一つ思うように動かせなかった。狙うは、姫の右手中指の石。そこだけだ。それ以外は、傷つけたくない。繊細なコントロールが必要になる。うまくいくのか――。
可能性は、ゼロではない。だが、一〇〇でもないのだ。
光が、大きく息を吸い込んで、「オシ!」と声を上げた。震える脚をビシャンと叩く。
「おっし。やるぜ。鬼神を倒して、姫ちゃんを救い出す! そんで世界も救ってやる!」
「そうですね。世界を滅亡させるわけにはいきません」
決意を秘めて、雫は笑った。
そして、陽は――。
「俺は……世界とかそういうことは、よく分かんない。でも、姫がこのまま鬼神になるのは、いやだ。姫に、帰って来てほしい!」
これからなのだ。もっともっと近くなって、もっともっと幸せになるのだ。
陽は二人と顔を見合わせ、うなずいた。
竜の背肩を、ガラスで歪んだ光芒がじりじりと焼きつけた。
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