戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2020年10月9日(金) 20:00
文字数:1,042

 陽の足音が遠くなった頃、姫はその場にうずくまった。ばくんばくんと振動する。体中が心臓になってしまったかのように。心の中は、色とりどりの感情でぎゅうぎゅうで、めだかほどの小さな背徳感が泳いでいた。

 熱い顔を両手で覆う。この熱を、この体を、この心をどうにかもとに戻さないと、とても家には入れない。どうやって親と言葉を交わしていいのか、分からなかった。

 ため息をついたり、「あぁ」とか「うぅ」とか、小さく唸ってみたりするも、なかなか熱は引いてくれない。


「いつまでそうしているんだ」


 背後からの声に、姫は全力で驚き、「キャッ」と悲鳴を上げて、やわらかな茂みに尻もちをついた。

 振り返ると、斎王竜さいおうりゅうがしゃがんで、姫の顔を覗いていた。

 大きく飛び跳ねた胸を押さえて、姫は、「いつからいたの?」と聞いた。体に汗がにじんでいく。

「まあ、さっき」

「見てたの?」

 竜の仏頂面の眉間に、少ししわが寄った。

「日が落ちてきた。鬼が来る。帰るぞ」

 竜は姫の鞄を拾い、わずかについた砂を払った。そのまま持ち手を肩にかけ、姫の手を取り、一緒に立ち上がる。

 姫の背丈は、竜の肩より低い。必死に見上げると、長い髪がはらりと流れ、紅潮した耳たぶが淡い夕日に照らされた。

「お母さんに、言わないで……」

「……何を?」

 姫は確かめるように、竜の黒い目の奥をじっと覗き込んだ。

 ヒグラシの音が、やけにうるさく聞こえる。

「……帰るぞ」

 姫の右手をやさしく引いて、竜は、帰路に足を向けた。

「おばさんに、おすそわけのポテトサラダ美味しかったですって、言っておいてくれ」

 玄関前で鞄を受け取り、姫は小さく、「ありがとう」と言った。

「これから行くの? 鬼退治……」

「いや、コンビニ行くとこ。鬼退治は、飯食った後」

「そう。……ね、指、見せて」

 竜の右手の中指の爪には、澄んだ赤色の石がきらめいていた。鬼人の証である。しばらく見つめていると、平坦な石から、細い蕾が萌えた。鬼を倒し、その魂を吸い取って、この蕾が花開けば、竜の願いは叶うのだ。

「きれい。竜はどんなことを願うの?」

「姫なら、どうする?」

「……もう。いつもそうやってはぐらかす……」

 唇を尖らせ、むくれてみせる。

 少し話をしていただけなのに、不思議と心が落ち着いてきた。

 ふう、と小さく息を吐いて、玄関のドアノブに白い指をかける。

「じゃあ、鬼退治、気を付けてね。怪我しないで。鞄とか、ここまで送ってくれたりとか、ありがとう」

 竜は、「ん」と言った。

 姫はふわりと微笑むと、扉を開き、いつもの声で、「ただいま」と入って行った。

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