戦鬼伝

この願いを叶えるためなら、命も、世界も、かけてみせる――。
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2020年11月12日(木) 20:00
文字数:4,371

 黒く、巨大な塊が現れ、蒼龍の体を、まるごと飲み込んだ。

 そしてその黒い塊は、ぎゅっと小さく縮み、


 ――パン。


 軽い音を立て、塵となった。

 ほんの、瞬きのうちの出来事だった。


 竜は、雫から離れ、胸に手を当てた。

 蒼龍の気配が、ない。


 蒼龍が、消滅した。


 陽は茫然と、塵を見つめている。

 雫と光は、騒ぐ心臓にまかせて、浅く、荒い呼吸をしながら、瞳を揺らした。


 ――見てしまった。


 左手の指から、黒い塊を出したところを。


「なんだ、今の……?」

 陽が二人に視線に気づき、眉をひそめる。


 自分ではない。何が起こったのか分からない。


 力なく、自然に、戸惑いの表情をつくる。


 だが、二人の瞳はもう、哀しみに染まっていた。

 そして次第に、光の目に怒りがこみ上がってきているのが、見ていて分かった。


 ――二人には、もう、信じてもらえないようだ。


 深くため息をついて、陽は、膝を抱えた。



「俺は、何もやってない。メイゲツが、全部勝手にやったんだ」



 光も、雫も、哀しみで壊れそうになるのを耐えるように、歯を食いしばった。

「……じゃあ、認めるんだな。坊ちゃん……いや、てめぇが……」

「カゲロウ……本当に、陽くんが…………?」

 竜は、陽に近づき、陽の首に青い太刀の切っ先を向けた。

 いつものような苦い顔で、陽は体をのけぞらせる。

「ちょ……本当に、俺は何もやってないんだ! ちょっと、お前と姫に妬いたことがあって、それをつぶやいたら……多分それで、あいつが勝手に……!」

 その言葉で、真相が分かった。


 陽――カゲロウが、姫の傍にいる竜を疎ましく思った。消えればいい、とでもこぼしたのだろう。そして、メイゲツがその願いを聞き、竜の命を狙って動いた。

 動いたのは、メイゲツかもしれない。カゲロウは、何の指示も出していないのかもしれない。


「だが、元凶はやはり、お前だ」

 竜が刃に力を込め、喉を突く。

 だが、刃は、触れたところから、粉々に崩れていった。

 竜は諦めず、もう一本大太刀を顕現させ、思い切り首を斬りつけた。

 しかしやはり、陽の体に触れたところから、刃は粉々になる。

 竜は舌打ちをして、間合いを取った。

 陽は目だけを動かして、竜を見上げる。

「俺は、姫といたいだけなんだ。メイゲツに話をするし、他の隠形鬼の力は、全部回収する。だから、姫には、黙っていてくれないか」


 光が、ゆらり、と立ち上がった。


「……てめぇ、なんだよ……そういうこと、できたのかよ。じゃあ、なんではじめっからやらねぇんだ! なんで何も知らねぇふりして、見てるだけだったんだ!」

「だって、力を使ったら、正体がばれるかもしれないって……!」

「自分の正体を守るために、てめぇは、どれだけの命を犠牲にしたんだ! 彩ちゃんだって……! 畜生! てめぇが人を思いやれる奴だなんて、なんで俺は……信じちまったんだ…………!」

 光は、はっとした。

 さっきの、得体の知れない強大な破壊の力は、他の鬼の力の複製によるもの。

 そしてその中には、メイゲツの『状態変化』の力もある。

「まさか……猫になったのも、陰陽術じゃなくて……」

「あれは……! だって、破壊の力使うの、いやだったし。それに、まずいかなって思って……。人一人失踪したら大ごとになるだろ? でも、生きなきゃって思って、咄嗟に……」

 おかしいと思ったのだ。媒体なしの封印術も、動物の姿に変化させる術も、どの資料にも載っていなかった。

 陽のために、皆で一生懸命に考え抜いて、封印を解くことができたと思っていた。

 だが、あれはただ、タイミングを合わせて、元に戻っただけのこと、というわけだ。

 そうだとすれば、神宮団との戦いでも、鬼神との戦いでも、その強大な力をあえて使わなかった、ということになる。

 自分の正体を隠し通すために、無能な猫を演じて、見ているだけだった。

 光の危機も、雫の危機も、竜の危機も、そして、姫の危機さえも、手を差し伸べることはなかった。

 本当に陽が――カゲロウが仲間であったのならば、力を貸してくれたはずだ。

 そうすれば、光は命がけで火鬼を封印することなどなかった。

 雫も、命を削るような願いをすることなどなかった。

 理解ある仲間のつらを被って、友達のふりをしていただけだった。

 その上、自分の力が元凶と知っていて、見て見ぬふり。

 たちが悪いにもほどがある。

「お前みたいな奴を放っておいたら、世界は滅びちまう……!」

「俺は別に、世界を滅ぼそうだなんて思ってない!」

 それでも、嫉妬一つでこのありさまだ。被害者はとうに一〇〇を超えている。

 世界を守るなら、今しかない。

「斎王。蒼龍様は消えちまったが……あの約束、頼んだぞ」

 竜の視線を返事と取って、光は、自らの胸を掴んだ。

「火鬼。てめぇの怒りも、心臓に感じてるぜ。てめぇにこの体を貸してやる。てめぇはあいつと同じ四鬼だ。できるだろ……喰い殺せ!」


 次の瞬間、光の体が豪炎に包まれた。


 肉体は燃え尽きない。前髪を全て後ろに掻き上げて、赤い瞳を憎悪に染める。肥大化した一角が、炎を灯す。

「カゲロウ。お母様を傷つけた罪、決して許さぬ。私が、お前を消し炭にする」

「待ってください!」

 雫の声が、割って入った。

「光くん、正気を取り戻してください! 陽くんは、世界を滅ぼすつもりはないと言っています。他の隠形鬼の力も回収すると……。殺す必要はありません。彼とは、和解できます!」

 だが、見据える先は変わらない。

「嫉妬一つでこうなったんだ。また繰り返される。ここでこいつを殲滅することが、世界を守ることにつながるんだよ」

 光の、言葉だった。

 サテツがこぶしを突き伸ばし、ぱっと手のひらを開いた瞬間。陽の体が、炎の渦に包まれた。

 竜はすかさず、後ろに下がった。五メートルは離れたのに、鼻の先が燃えそうなほどに熱い。

 炎の渦から、陽の影が浮かび上がる。まっすぐ、歩いてくる。その体には傷一つない。

 陽の前に、サテツは対峙していなかった。

 ――上だ。

 サテツが陽の頭上から、爆炎の風とともに、炎のこぶしで迫りゆく。陽はそれに目もくれない。ただ、背中から無数の黒い手を伸ばし、燃えるこぶしを掴むと、光の体を軽々と自らの目の前へと投げ飛ばす。サテツは、片膝をついて着地し、余裕の笑みで指を鳴らした。

 音と同時に、陽の脚が炎のつるに捕らわれた。だが陽は、熱さに呻くことも、おびえることもしない。哀しそうな瞳で、サテツを――光を見つめる。

「たしかに、俺は姫を傷つけた。光さんとか、雫とかも。皆を騙してた。でも、俺は姫と……皆とも、いたかったんだ。世界なんて、滅ぼさない。サテツだったら分かるだろ? 俺がそんなことに興味ないって……!」

「ああ、そうだな。お前は破壊を厭い、お母様に忠義を尽くさぬ、できそこないの鬼だ。だが、お前の意志は関係ない。その力が、危険なのだ。全ては、お母様のため……世界の、平和のために……たとえ、どんな相手でも、たとえ、相手がてめぇでも……俺は、このこぶしを奮う! それが、俺がここにいる理由だ! 俺が、生きてきた意味だ!」


 サテツと光――二人は混ざり合っていた。


 色の違う双眼が、哀しみと決意をはらんで輝く。

 こぶしに炎を燃やし、足から風を噴射して、陽に向かって突っ込んでいく。

 光が放ったこぶしから、豪炎の竜巻が巻き起こる。中に陽を閉じ込めた――はずだった。

 陽は、光の背後に立っていた。光は身をひるがえし、炎をまとったこぶしで陽に殴りかかる。

 陽の前に金色の盾がそびえたつ。その体には、傷も焦げもついていない。

「もう、やめてくれよ。俺は、生きたいんだ……それだけなんだ!」

 光は長い息を吐くと、赤い眼を剥き、右手を陽に伸ばした。

「きりがない。この場を全て燃やし尽くす。……てめぇの魂が、尽きるまで!」

 豪炎の球体が、光の手のひらで、みるみる大きくなっていく。


 陽は、落胆の息をついた。


 隠形鬼カゲロウは、あらゆる生き物の体を奪い、その力を自らのものとすることができる。

 自らが乗っ取った体の力も、力を分け与えた者たちの力も、その者たちが乗っ取った体の能力も。

 全てをその身に宿し、強大で静寂な消滅の力を扱うことができる。



 静かに、陽の右手が伸びた。

 黒い球体が、手のひらから現れる。ぶわりと膨らみ、光の体が飲み込まれる。

 ぎゅっと、小さく、小さく縮む。軽い音が儚く弾ける。


 そして、球体は――塵と、なった。


 光がいた場所は、何もなくなった。

 跡形もない。

 動くことさえできないほどのすさまじい熱風が、一瞬で消えた。


 雫の体の中が、さっと冷たくなった。

 竜の背中に、冷たい汗が一筋流れる。


 陽は、力なく天を仰いだ。

「もう、これで……皆、普通ではいられないよな。なんで、こんなことになっちゃったんだろ……」

 哀しい微笑を眉に浮かべ、陽は、右手を伸ばした。

 色を失う、雫に向けて。

「ごめん。最後まで信じてくれて、ありがとな。でも、俺はやっぱり、生きたいんだ。姫と一緒にいたいんだ。だから、こうなった以上は、雫も、斎王も、皆……消さなくちゃ」

 陽の右手に、再び黒い球体が膨らんだ。


 雫は、下唇を噛み、右手の赤い石を輝かせた。太く長い渦巻の角が生え、瞳が赤く輝く。

 心臓がぎゅっと小さくなったのを感じた。

 あと一度、何か力を使ったら、魂が尽きてしまう予感がした。

 そのわずかな力には、あの強大な黒い塊を飲み込む力も、カゲロウを消滅させる力もないだろう。

 だが、良い。もとからそんなつもりはない。

 どうせここで命が尽きることを避けられないなら、最期にできることをするまでだ。

 

 それは――自分が生きてきたこの美しい世界を、そして、自分の小さな世界を、守ること。

 

 右手中指に、赤い花を美しく咲かせ、雫は、笑った。


「陽くん。君は僕の――友達だ」


 はじめて、自分の過去を受けとめてくれた人。

 誰かの思いを、一生懸命考えられる人。

 残酷に手を汚すことが似合わない、優しい人。

 願わくは、もう君が、誰かを傷つけることがないように。

 それが、大切な大切な、自分の小さな世界の一つだったから。



 二人の手から、同時に力が放たれた。



 雫のいた場所から目を背け、竜は陽を凝視した。

 陽の両手首には、黒い腕輪が巻かれていた。腕輪を見つめ、陽は、茫然とつぶやいた。

「力が……」

 竜は、察した。雫は、最後の力を振り絞って、カゲロウの力を封印したのだ。


 今なら、勝てる。


 竜は再び、両手に青い大太刀を握りしめた。もう、白い煙はない。

 月の光が降り注ぐ。真っ青な輝きが、走る。陽は、はっとしてかわした。

 竜の手は、止まらない。陽も、必死に刃をよけ続ける。

 一瞬の隙をついて、青い刃が、陽の肩を斬りつけた。痛みに呻きながら、陽の体が土に転がる。


 即座に顔を起こして――しかし、陽の体は、氷となった。


 漆黒の深い闇の中。強い殺意と憎しみに満ちた目が、青白い月を宿して浮かぶ。


 ――終わり。

 そんな言葉が、脳裏によぎる。


 いやだ。

 いやだ、いやだ、いやだ、

 

 生きたい……!



 終わりの斬光が、振りかざされた。

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