憂鬱という言葉を身体にヒシヒシ、ビシビシと感じる事は今まであっただろうか?否、ない。
5月じゃなく、夏休み明けの9月であるからして五月病といううつに似た病ではないことは確かであり、なぜ自分がこんなに気持ちを落ち込ませているのか、その原因がハッキリとしているのもまた、確かだ。
「樹、どうしたの?顔色が良くないよ………もしかしてまだ、体調悪い?」
「ん……あ、あぁ平気だ………うん、平気…………」
平気な訳が無い。
そして平気そうな面して、演技をしているお前を殴りたい気持ちで満たされている。
昨日の訪問で、為す術もなく、抵抗することも無く、挑発に挑発を重ねられてしまった俺はもう訳が分からず、こいつの思惑通りな、外に出る、学校に行くという選択をしてしまった。
夏休み終わりから一週間、学校がある日を言えば5日間投稿せず、9月二週目の月曜日に高二の二学期初めての登校。
夏から秋へと通過点と秋の半分の役割を持っている9月、夏休み明けという事実から逃れたい気持ちが高まり、周りの者達からは何処か退屈そうな、ここに来たくなかったと告げているような様を見せている。
それは俺も同じだが、理由が違う、濃さが違う。
兎にも角にも俺からもう引き篭るという情けない選択は消えた、消されたのだ。
外に出て、登校した以上、北條美麗の挑発に乗った、負けた事を認めたという事実が残る。
その事実があるにも関わらず、また引き篭ってしまえばそれはもう敗北よりも上に君臨する完全敗北という称号を突き付けられる事となる。
それは嫌だ、男としてのプライド?田中樹としてのプライド?
否、憎き北條美麗にこれ以上好き勝手させたくない、させるかという対抗心の現れだ。
つまり、結果として俺は北條美麗が言っていた勝利、復讐達成条件であるーー。
【卒業までに、私がお前を好きになるようにしてみろ………そうすればお前の復讐も自然と叶う。】
を、成功させる必要がある。
つまりのつまりは、やる事はこれからも変わらず、北條美麗が自分を好きになるように仕向けれいい。
然しながらその難易度は言わずもがなクソゲー、鬼畜ゲーという表現でさえ生温く感じる程酷い。
俺は確実に、確定的事実として北條美麗を墜とせたと思っていたのに、それがまさかの演技だった。
1年半もかけて見せていた俺の演技は、北條美麗の演技に俺が騙されるという形で一時中断された。
そう、言い表したくない程に、これは屈辱だ。
だからこそ、だからこそ俺はーー。
《ムニュウンッッ》
「っうぅぅ!!??」
決意を邪魔するように、阻害するように腕へと伝わって来た柔らかすぎる、それが生み出す感触はこれ特有だと言わざるを得ない表現に困惑する感触。
お〇ぱい。
お〇ぱい、お〇ぱい。
お〇ぱい、お〇ぱい、お〇ぱい。
と、男であればその言葉を聞くだけで、その感触を味わうだけで途端に野生化、暴走化してしまう危険極まりない存在だが、俺は一年前からこの感触を北條美麗から与えられ続けている。
最初は、惚れた俺に対して媚びる為の行為だと思っていたが、悲しい事に、いやでもどのみち当たっているのだから興奮して嬉しい事に変わりは無いのだが、まあ………これも含めた、ありとあらゆるこの北条美麗の女の子らしい仕草と行為は、演技で片付く。
つまりこの状況で俺が取るべきなのは、微塵の気も無いことを明らかとする為に、無理やりに、強引に俺の腕へと組まれた北條美麗の腕を引き離す事…………が、、、、その…………。
離したくない。
情けない話だが、離したいという気が微塵も湧かない。
北條美麗に対しての殺意と憎しみは今まで一度もゆるんだ事は無い。
なのに、それなのにだ。
離れたくないっ!!!!!!
これはアレだ。
どれだけ理性を保とうとしても、本能がそれを邪魔するというアレだ。
だが引き剥がさないと俺の負けだ!!
だが離したくない!!
だが引き剥がさないと俺の負けだ!!
だが離れたくない!!
だがーー。
「全く、君は本当に馬鹿らしい馬鹿だね」
興奮と困惑に包まれていた俺の意識を覚ますように、俺にしか聞こえない声で、北條美麗は囁くように言ってきた。
「これ以上敗北を味わいたくない、味わってなるものかと中途半端な気持ちのまま出て来てみれば、私の分かりやすくわざとらしいわざとな誘惑に負けている………これじゃあ君が私を惚れさせる日なんて訪れる気がしないねぇ?」
「っ、、誰が誘惑に負けてるって?自意識過剰も大概にしろよ、お前に惚れた事なんて一度もない、これはタダの本能的欲求だ」
「ふふ、確かに君が今しているのは紛れもなく本能だけれど、自分の意思が混ざっている時点でそれに同調している、私を望んでいる、それを惚れていると呼ばずに何と呼べばいいんだい?」
「…………………」
まるで論文制作に慣れ過ぎた科学者。
まるで言い逃れ、論破に慣れ過ぎた政治家のようなその嫌味な言葉の連発に俺は、何も言い返す言葉が浮かばず、言い返した所で直ぐに返されてしまうだろうという諦めの気持ちから思わず、口を閉じる。
「さて、何も言い返せない君を気遣う訳ではないが、話題を変えるとしよう………これは何かな、田中樹君」
「あぁ………それはーー」
不服な態度を取りながらも、北條美麗が指摘してきた物、それは北條美麗の鞄に常に入れられていた物で、オシャレに敏感な日本という発展国には、革命的進歩をもたらした細長い缶に入った色素の液体………その名はー。
「Emotion、だろ」
日本語に訳すれば感情の意味を持つ、主に髪をあっという間に染める事が出来るスプレー缶。
本来であれば髪を染めるにはそれ専用の液体が入った容器を買い、泡立てた液体を髪につけて半時間以上待ち、その後に水で洗い流し乾かすという複数の行為が必要だがーー。
このEmotionは、スプレー状の液体を全体的にかける、両手で全体的に混ぜ込む。
この二つの行為だけで、完璧に髪を染めることが出来る。
そして一度染った髪は酸性の液体がかからない限り決して薄くならず、染めた髪を戻す専用として特別な酸性の液体が付属されている。
安いのであれば税込1500円、高ければ10万、100万、1000万と行く正にありとあらゆる方面へと展開された頭の良い物が考えたのであろうビジネス製品だ。
「正解だ、流石に馬鹿の君でも世界人気製品のこれに関しては知っていたか、馬鹿の君でも」
「っ………殴るぞ?」
「おっと、出来もしないだろうけれどその一応迫力ある姿に観念するとして謝罪しよう、悪かったーーしかし、謝るべきは、反省するべきなのは君の方かもしれないぞ?」
「は?何言って……」
「このEmotionのキャッチコピーは知っているかい?」
「……キャッチコピー………」
Emotionは貴方の気持ち、心を表す概念。
伝えたい感情を、色で伝えよう!!
「………………で、そのキャッチコピーがなんだよ?」
「…………まだ気付かないのかい?やれやれ、少しは自分で考えることをしてみてはどうだろう?進歩が感じられないなぁ………」
「なんだとっ……!?」
「私は一年半前、ありとあらゆる色のEmotionを持っている事を君に伝えていた、見せていた…………が、私は一度もこの赤い髪から違う色へと変えたことは無い」
「…………………あっ…………」
「赤とは、一説では怒りを意味する色…………田中樹、私は一年半ずっと怒っているんだよ、私を惚れさせられない無能な君にね?」
「…………………っ…………!!!!」
「まっ、精々足掻いて間抜けに頑張りたまえ、さて、高校一のカップルのイチャつき登校はこのくらいにして、私は子猫ちゃんと戯れてくるとしよう、では田中樹……また休み時間に?」
来たかったから好きに来いと言っているように。
自分は何を言われても、何をされてもお前なんかに惚れる筈がないという意思が剥き出しにされたその言葉を聞いてーー。
俺は、小さな歯軋りを響かせた。
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