あれは戦国の世に来る前、忘れもしない三十歳の夏。土方として、道路工事の作業中にソレは突如として起こった。
(あぁ、これは死ぬな──俺)
山間部、斜面の舗装作業をしていた時に地震が発生。崩れた土砂が俺に襲いかかったのだ。昨日降った雨の影響か、急な斜面をまるで猛牛の群れのように駆け下る土石流。身に迫るソレを呆然と眺め、俺は瞬時に死を悟った。
(こんな所で……俺は死ぬのか……?)
土方作業で無駄に鍛えられた筋肉など自然の猛威の前には無力だ。俺の身体が泥に混じった雑木や岩石にもみくちゃにされ、あっという間に五感が失われた。
(……俺の人生って……なんだったんだ)
適当に選んだ底辺高校を卒業して、惰性で決めた土方の道に進み、ただ無気力な日々を過ごした結果がこれだ。今になって、己の歩んできた人生のつまらなさと虚しさがこみ上げてくる。
朦朧とする意識の狭間で、こんなことになるなら意味のある人生を送れるようもっと努力をするべきだったと、今更ながらに後悔する。
(もし、来世があるなら──)
死の間際、俺は無意識に願う。
(次の人生は何かを成し遂げられる過去の偉人……そう『武将のように気高く、何かを残せる人生』を歩みてぇな)
遅すぎる決意をあるか分からない来世に託し、俺は三十年に及ぶ虚無に満ちた人生に別れを告げた。
……………………………………………………………
「──藤五郎様。城内は広いので拙者の後ろを離れないでくだされ」
「…………あ、うん……了解です……」
寒風に冷やされ、廊下が氷のように冷たいどっかの屋敷。声変わり前の甲高い自分の声に違和感を感じつつも、俺はオッサンの呼びかけに曖昧に頷いた。
(……一体どうなってんだよ)
土石流に呑まれたはずの鋼の肉体が一変、俺の身体は十歳位のあどけない幼体に変わってしまっていた。しかも、古風で趣ある大きな屋敷で目を覚してから半日、俺を『藤五郎』と呼ぶ背丈がほぼ一緒の顔だけオッサンに屋敷内を連れ回されている。
なんで死んだはずの俺が子供になって屋敷を歩いるのか、ここは何処なのか、俺は誰なのか……状況を理解する暇などなかった。
「先程から何やら浮かない顔ですが、何かありましたか?」
「あ、いや、大丈夫……問題ない、です」
「左様ですか……もし何かありましたら、この伊東丹波に何時でも御申し付けくだされ。藤五郎様」
「ハハ……ありがとう」
俺に屋敷を案内してくれてるこの人は伊東丹波。禿げかけた頭皮に顔付きは完全にオッサン、無数の傷跡と隆起に富んだ筋肉は迫力満点──にも関わらず、背丈が子供の俺と同じくらい小さい。アンバランスな見た目からして小さな巨人とはまさにこの人のことだろう。
「ここで御座いますな」
粛々と降る綿雪と雪山を横目に、丹波さんは屋敷の離れにある部屋の前で立ち止まった。
「……左月様、入りますぞ」
「────うむ、入れ」
襖の奥では顔のシワが目立つ爺さんが姿勢を正し、机に向かって座っていた。
この爺ちゃんも袴姿……俺も、俺を案内する丹波も、屋敷ですれ違った連中も──ここまで出会った人間全員が当たり前のように和服姿だった。どこぞの高級旅館にでもいるのかと思っていたが、どうもそんな雰囲気じゃない……何よりも──。
「お主が兵部様の御子息か、兵部様に似て良き面構えよ」
カッカッカッ! と笑う爺ちゃんの横にやっぱり置かれた日本刀……丹波は無論、俺も脇差しを渡されて帯刀している。渡された時にこっそり親指で刃を軽く撫でてみたが、それだけで皮膚がスパッと切れた(今も軽く袖を握って止血中だ)。つまりこの爺さんや丹波さんが持ってる刀も本物の日本刀なのだろう。
皆の格好といい本物の刀といい……まるで江戸時代より前の時代に来たようだが……?
「藤五郎様! お早く左月様に挨拶をば!」
「あ、えっと……ど、どうも……」
言われるがまま『左月』って爺ちゃんに頭を下げると、ポンと肩を優しく叩かれた。
「今日から若様と共に励めよ、若様が良き君主になるには良き家臣の努めがあってこそじゃからな」
「さ、左月様? 藤五郎様はともかく、なぜ拙者の頭も撫でるので……?」
「あ、いやスマン。お主の禿頭が良い触り心地で、それに背丈も手の置きやすい位置にあるからつい、な」
「なッ!? お、お戯れが過ぎまするぞ!!」
「カッカッカッ! すまぬすまぬ」
二人の会話に俺の鼓動は激しく動悸してきた。
ちくしょう……若様やら君主やら家臣やら──時代劇でしか使わないような単語ばっかり言って──ッ! 薄々状況を理解してきたけど俺はまだ信じないぞ。『これだッ!』っていう確証を得るまで信じてなるものか……!
「たが……若様は人見知りが激しい御方ゆえ、藤五郎には苦労をかけてしまうかもしれんがの」
若様という単語を口にした途端、左月の爺さんが暗い陰を落とした。
「早速、挨拶に行くが良いだろう。歳の近いお主が来たら、若様も喜ぶだろうからな」
「畏まりました……ところで、若様はどちらに?」
「いつもの部屋じゃな……相変わらず閉じ篭っておる」
「やれやれ……」と肩を落とす左月爺さんと「左様でございますか……」と力無く囁いた丹波さん。
その若様ってどんな奴なんだろうか、二人の空気を察するにあんまりいい感じじゃなさそうだけが……。
「では、我等はこれにて──参りますぞ、藤五郎様」
「り、了解……」
「少し待て、藤五郎」
部屋から去ろうとした俺達を左月爺さんが呼び止めた。
「若様には未だ『真の友』が居らぬ。お主には臣下の前に若様の親友になって頂きたいのじゃ」
「親友……ですか」
「うむ、よろしく頼んだぞ」
臣下の前に親友って、アラサーの俺すら聞いたことない台詞。俺は一連の出来事や左月爺さんの言葉を巡らせる。死後のどうなるかなんて考えもしなかった。だからこそ、俺が死の間際に願ったことが頭をよぎった。
「すみません、伊東さん」
「丹波と呼び捨てくだされ。藤五郎様はいずれ拙者の主君となります御方、そう畏まれるとやり辛ろうございます」
「そう……それじゃ丹波、さっき言ってた『若様』ってどんな人なんだ?」
やはりと言うべきか、この若様と言っただけで丹波の眼が沈んだ。
「若様でございますか……拙者も詳しくはわかりかねますな。それこそ、今から藤五郎様自身でお確かめくだされ」
さっきからその『若様』って人の話になると歯切れの悪いよな……だからこそ、先に人柄とか知りたかったんだけど。
「この部屋に若様はおりまする。拙者は大殿に呼ばれた故、藤五郎様はこの部屋で若様と対面くだされ」
「……分かりました」
丹波に屋敷の最奥、あんまり陽の光も通らなそうな部屋に案内された。もう入り口の空気からして引き籠もりの部屋って感じだ。
(この部屋に噂の若様が……ね、引き篭もってるらしいが、どんな奴なのか)
この時点で、俺がどこに居るのか──いやどの時代にいるのかなんとなく察してきている。だからこそ、この若様とやら疑念を確信に変えたいところだ。
「失礼します……入ります……よ?」
薄暗い室内に目を凝らすと、小さな少年らしき人の影、そして闇の中で僅かな光を反照する刃の姿も捉えた。
「我が右眼に巣喰いしモノノケを今こそ絶たん──覚悟は良し……開眼せよ、我が眼っ!」
「────えっ」
部屋の奥、なにやら闇の儀式でもおっぱじめそうな呪術を唱えたと思いきや、少年が自分の顔に刃を突き立てていた。
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