天正九年(一五八一年)四月。
磐城国(現在の宮城県南部から福島県北東部一帯。当時は陸奥国)の大半を支配し、伊達家と敵対関係にある相馬氏との合戦が政宗様、及び俺・伊達成実の初陣であった。
伊達家と相馬家は元々親戚同士らしいが、政宗様の爺ちゃん世代の人達が相当ハッスルしたせいで(天文の乱って言うらしい)親戚同士が今も奥州の覇権を巡って争い続けていた。
今回の戦も、伊具郡の丸森城を相馬方から『奪い返す』のが目的だとか。
「ふぁ〜……眠い」
山鳥が徐に鳴き始めた夜明け前。
俺達は阿武隈川近くに設営された『矢野目』という陣地から、まだ雪が残る丘上に築かれた丸森城を眺めていた。
基本的に戦国時代の合戦は夜中に目的地まで行軍、布陣を済ませ、日の出と同時に戦が始まり、日没まで戦うのが普通らしい。そのため、夜通し馬で移動したからめっちゃ眠い上に足がパンパンなのである。
これから夕暮れまで戦い続けるとかタフすぎるだろ戦国民。
「やっと初陣だと言うに……何故なのじゃ……」
あくびする俺の傍らで、伊達政宗の真骨頂である三日月の前立とは違い、黒兜に日輪の前立、黒漆塗の胴具足を纏った政宗様は、俯いて歯を食いしばり、
「小十郎は前線で戦うというのに……何故……」
左眼に涙を浮かべるや。
「何故! 我は陣内待機なのじゃーーーっっ!!!」
政宗様は朝から元気よく悲痛な叫びを上げた。彼女もまた、俺と一緒に米沢から数日かけてここまで移動したってのに、俺と違って元気が有り余ってるな。
「俺は安心したよ、いきなり前線に出てもまともに戦えないだろうから」
「ムムム……我は伊達家の跡取りとして大手柄を挙げなくてはならぬのじゃ! たとえそこで死んだとしても悔いはない!!」
「いや、跡取りが初陣で死んだらアカンでしょ」
ウッキウキで戦場に赴いていた政宗様に告げられた役割は要所の防衛。それも味方が総崩れになった際の逃げ道を確保するというもので、ぶっちゃけ後方待機になってしまった。勿論、政宗様がこの決定に納得するはずもなく、本陣にいる政宗様の父親にして伊達家の当主・伊達輝宗様に出陣を促す使者を出しまくっている、が……。
「父上も我の出陣を許可してくれぬ…………もう戦が始まってしまうというのに」
「後方部隊、しかも退却路確保の部隊が序盤から出陣するわけ無いでしょうに……てか出陣自体が有り得ないって」
「クッ……最大の敵は味方であったか…………何か策を講じねばならぬな」
あ、なんか良からぬことを考えてるな……。
流石に戦場から最も離れた最後方に布陣させられたのだから、戦の経験も無い若造が何かできるはずがない。だけども、そんな予想を裏切るのが政宗様なのだ。戦が終わるまでしっかり注意しておかないと。
「よし、決めたぞ!」
すると早速、政宗様が歩き出した。
「ちょっと待った、何処に行く気だ?」
「手勢だけで城攻めに加わるつもりじゃが、何か問題か?」
「大問題だよ、さっさと戻れ」
何食わぬ顔で陣幕を潜ろうとする彼女を引き止める。
ナチュラルに役目をほっぽり出そうとしやがって。小十郎さんがあんだけ「迂闊に動かないように」って念を押してたじゃんかよ。速攻言いつけ破ろうとするのは勘弁してもらいたい。
「藤五郎が陣に残れば良いではないか! 我は城を落としてくる!!」
「勝手なことしたら俺が怒られるんだから! 今日だけはマジで大人しくしてれよ!!」
語尾を荒らげてキツめに怒鳴りつけると、政宗様はシュンとして、
「そうか……藤五郎も我の出陣は不服……か?」
急に涙目でしおらしくなりやがった。
うぐぐぐ……外見だけなら絶世の美少女だけに強く怒鳴った罪悪感がえげつないな……。政宗様にお願いされたら嫌だと言いづらく、強く大きな声で叱かりづらい、だからあんまり怒れないんだよ。
「あ、当たり前だ、もしも政宗様が怪我をしたら一大事だからな」
「そうか…………藤五郎もそっち側なのだな………あいわかったぞ」
床几に腰掛けあからさまに落ち込む政宗様。あれ、今日はやけに素直に引き下がったな。初陣を今か今かと楽しみにしていたものだから、もっと派手に駄々をこねるかと思ったんだが……。
「む、開戦の狼煙か……戦が始まったようじゃな」
「みたいだな」
大地が朝焼けに染まり出した時刻、朝特有の静けさを打ち破るかのように、あちらこちらから開戦を告げる花火と狼煙が上がった。法螺貝と鬨の声もまた戦場にこだまする。
切り裂くような空気に当てられ、自然と身が引き締まる。
「──藤五郎よ」
「何ですか??」
「我は戦が終わるまで、この陣幕から出てはならぬのか?」
「そうなるな、指示が出たなら別だけど」
「ならば、一つだけ藤五郎に問いたい」
「な、何だよ」
何か覚悟を決めたような瞳を政宗様が向けてくる。この表情、どうやらまだ出陣を諦めきれてないみたいだな。もう何を言っても無駄だぞ、指示があるまでこの陣地から貴女を出さないって小十郎様に誓ってんだから。
約束を違えたらマジで半殺折檻してくる鬼の小十郎さんにそう約束したもんで、何言われても絶対に陣幕から出さないから早々に諦めてくださいよ。
「厠に行ってよいか? もう漏れ出しそうなのじゃ……」
「あ、ハイ……行ってらっしゃいませ」
ごめんなさい小十郎さん。流石に女の子に生理現象を理由にされたら引き止めるのは無理ですわ。こればっかりは仕方ないって許してください。
「なんじゃ、藤五郎は付いて来ないのか?」
「行くわけ無いでしょ! さっさと行ってきてください!!」
まったく、政宗様は武将よりまず女性としての意識を持って貰いたいものだ。
「そうか……それは残念じゃなぁ〜」
政宗様がニマニマしながら陣を出る。
どうせ外に出ても警護の兵士達が見回ってるし、たった一人でここから逃げ出せるわけないだろう。
「俺一人ここにいても意味ないか、政宗様が戻ってくるまで戦場を眺めてようかな」
俺だって男。
画面越しのドラマやゲームでしか見たことのない本物の戦場がどんなものなのか興味はある。俺は陣を出て近くにある櫓に登り、戦場全体を見渡した。
「これが、戦場……か」
瞼に飛び込んできた光景は文字通り『殺伐』としたものだ。阿武隈川の水面を越えた先、 主戦場となっている丸森城では鉄砲の射撃音と硝煙が城を覆い。朝日を反射した甲冑やら刀槍が城の頂上を目指してうごめき、ミラーボールのように煌めいていた。
遠目から見れば朝の清々しさと相まって一種の芸術品のような美しさであるが、怒号と怨嗟を含んだ悲鳴によってさながら地獄を見ているようでもある。なんとも不思議な光景だ。
「うわぁ……これからあの中に混ざることがあるのかぁ……イヤだなぁ……」
武将が名のある敵を討ち取り、矢玉を躱しながら兵を従え、勇敢に戦場を駆ける──といった俺が知っている戦国時代の合戦がドラマやゲームの演出に過ぎないのだと思い知らされる。
本物の戦場は遠目からでもグロテスクで、これでもかってくらい吐き気を刺激する。平和な時代がいかに尊いものなのか、戦国の世に生まれ変わった今になって痛感してきたよ。
「あの緑の旗指し物は小十郎さんのもので、その隣が左月爺さん、橙色が敵の旗か……こうやってみると敵味方の区別が意外とつくもんだな」
旗指し物は『自分がどの場所にいるのかを味方に知らせる目印』って小十郎さんから教わったとき「あんな小さな旗で分かるものなのだろうか?」なんて疑問に思ったものだが、あれだけ密集して移動してたらそりゃあ識別可能ですわ。
特に丸森城とは違う方向に進んでるあの部隊とか、黄金の大旗にデカデカと描かれた昇り龍が描かれててめっちゃ目立ってますよ。
この辺の陣地から出陣したばかりの、恐らく味方の部隊だろうが、あんな派手な旗ならどこに居ようが見失うこともないだろう。むしろ敵から積極的に狙われそうだ。
「てか、なんであっちに走ってるんだ? あっちは別に何もなかった気がするんだけ……ど………ッッッ!!」
と、俺は一つの予感が頭を過り、背中に悪寒が走った。この辺で兵士が待機してる陣地ってここしか無いんだが?
つーか!! さっきよりこの陣地の兵士が少なくなってる気がするんだが!?
つーか!!! 政宗様の姿が何処にもいないだがッ!!??
これは、もしかして──!!!
「おい警備兵!! 政宗様はどこに行った!?」
下にいる兵士に慌てて尋ねると、一同顔を見合わせて。
「若様は本陣より命令が下されたとかで、つい先程兵を引き連れ出陣なされましたぞ?」
「な、ななななな…………!」
もう一度、あの黄金の大旗を翻す部隊に目を移すと、先頭を征く黒甲冑の武者が俺を見つめていた。顔は見えないが表情は大体察しが付く。アイツは今、絶対したり顔でニヤニヤしやがる。
「あとは任せた! しっかりと退路を確保しておくのじゃぞ〜!!」
確かに黒武者──いや、政宗様が言い放った。
「ハッハッハッ!」と遠くなる政宗様の笑い声に、俺はヤツに嵌められたのだと瞬時に悟った。
「お戻りくださいっっ!! 政宗様ぁぁぁああああっっっ!!!」
精一杯の大音声も彼女には届かない、俺は手すりに拳を叩きつけた。
「あぁもうっ! 何でこうなんだよぉおおっっ!!!」
厠に行こうが一瞬たりとも目を離すんじゃなかった、俺は急いで櫓を降りて馬に飛び乗る。
伊達の御曹司が初陣で命令無視して敵に突っ込み、最悪討ち取られたりなんてしたら、後世に語り継がれるレベルの笑い話だ。もしそうなれば政宗様の付き人たる俺は間違いなく死罪、良くて切腹に処されるだろう。
「ちくしょうッ! 絶対に連れ戻してやるからなぁ……ッ!!」
丸森城の戦いが始まって約十分弱。俺と政宗様の戦いは早くも佳境に入った。
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